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「ありえない……」
菅原玄は頭を抱えていた。
この数年頭を痛ませている悩みが全く解決していないからだ。
それは最愛の末弟、碧の事である。10歳も離れた遊び人と結婚したにも関わらず、未だに離婚していないどころか経済界一のオシドリ夫婦として取り扱われている。
気に食わないしありえない。
なにせ碧の相手はアルファ校でも右を出る者がいないというほどの遊び人である天羽一輝だ。すぐに浮気すると思っていたのに、未だに浮気相手の影がない。それどころか仕事が終われば寄り道一つせずまっすぐ家に帰り夫婦の時間を堪能しているという。
定期的に調査をしてもらっている探偵社から送られた調査資料にはこの半年、プライベートで接触した人間が写真付きで印刷されているが、すべて碧の絵画の関係者。しかも最愛の末弟の腰に手を回し無駄に自分の物アピールしている写真ばかりだ。
今まで特定の相手を作らず穴という穴を渡り歩いていた男が可愛い末弟と夫婦というだけでも噴飯ものなのに、愛妻家と知れ渡っているなどあってはならないことだ。
絶対陰で浮気していると思っていたのに、今回も外れか……。
だが諦めはしない。きっといつかするであろうその日までじっくり調べ上げてやる。
意気込みながらつまらない内容ばかりが並んでいる報告書を仕事用の鞄に詰める。明日出社したら、証拠隠滅のためにシュレッダーにかけるのだ。
菅原家の執事は主人にあまりにも忠実であるため、長男の玄が三男配偶者の浮気調査の報告書を捨てたと知られては世界で一番恐ろしい母親に何を言われるかわかった物ではない。
あくまでも内密に進めなければ。
母だけならまだいい。もしこの話が碧の耳に入って「玄兄さんなんか大嫌い」と言われたら、確実にその場でショック死だ。心臓発作か脳溢血で昇天だ。いくら碧のためとはいえ、弟の夫の浮気調査だ、碧はいい気持ちになりはしないだろう。
「今回はなかったとはいえ、いつか絶対に尻尾を掴んでやるからな、天羽!」
弦は強く拳を握りながらベッドにそれをのめり込ませた。
打倒天羽! 早く碧に嫌われろと呪いをかけながらいつもはサイレントにしているスマホにちらりと目をやる。音がしないから気付かなかったがメールが入ったようで、青いランプが光っている。
「なんだ?」
仕事の連絡かと思いアプリを立ち上げる。
「なんだ、先輩か」
そこには昼に送ったメールの返事が来ていた。送り主は、桐生・アルベルト・篤繁。玄の中学・高校の生徒会の先輩だ。財閥系企業の創始者一族の一人として世界を股にかけ活躍している。
老舗製薬会社である菅原製薬とは規模が全く違っているし接点もないが、その桐生がなにを思ってかよく玄に連絡を入れてくる。
今は遠く離れたニューヨークにいるそうだが、近々帰国するらしい。そろそろ本社の取締役になるのではないかと一部で噂されている。
今は異動前で忙しいはずなのに、相変わらずの筆まめだ。
玄は文章の内容を確認した。
『帰国したらぜひ君と飲みたいと思っている。時間を作ってくれるかい? 楽しみにしているよ。そういえばご令弟が今度、我が社のギャラリーで個展を開くそうだね。成功を楽しみにしているよ。ギャラリーの責任者にも今度就任するので最初の仕事を一緒にできるのは光栄だ。その話も是非聞きたいので、帰国すぐに会えると嬉しい』
「なんだと?」
碧の個展だと?
そんな話は耳に入っていないぞと目を剥く。確かに最近大きな美術展に、長年指導してくださっている講師の勧めで出展し何かしらの賞に入選したとは聞いていたが、個展の話は全く耳に入ってきていない。
もう一度鞄にしまった報告書を取り出し、直近で二人が会っている人物を確かめる。
「先輩のところのギャラリーの関係者か……なぜ気づかなかった!」
大事な碧の初めての個展だ、絶対に参加しなければならないというのに、その詳細すらも知らされていないのは業腹だ。自分は碧の実兄だと訴えたいが、いかんせん弟は天羽家に嫁いでいるせいか、夫である天羽一輝がしゃしゃり出てくる。
だが今その細い身体には小さな命が宿っている。個展作業などさせる時期ではない。
断らせるべきか。だが碧のステップアップには必要な機会だ。ずっと趣味でやってきた絵画が今認められようとしているのだから、応援するのが兄というもの。
「よし、天羽の代わりに私が碧に付き添おう」
そのためには早急に桐生と連絡を取らなければ……。
「帰国したらすぐに飲みましょう、そうしましょう。いつ帰ってくるんだこの野郎っと。これでよし!」
相手にとってはこれ以上ない失礼な内容を、何重にもオブラートに包みビジネス文章風にアレンジした内容となっていることを確認し、送信する。と同時に、玄は自分の貯金残高を確認した。
「絵画というのは大体どれくらいするんだ? 碧の絵を買い占められるだろうか」
趣味がなくひたすら仕事に打ち込んできた玄の貯金残高はなかなかに凄いものがあるが、今一つ絵画市場を理解していないため不安になる。
「よし、梗にも打診するか」
長弟もそこそこ貯金があるだろう。初の個展で絵が売れ残ってしまうなんて可哀想だ。
碧の絵はすべて菅原兄弟で買い占めさせてもらおう。そして、作品数が多かったら美術館を建てよう。碧の絵だけを展示する美術館もいい。
現に特定作家の名を冠にした美術館は世界中に存在している。菅原碧美術館がこの世に存在したっていいはずだ。
玄の脳内では、末弟は「菅原」のままで「天羽」を名乗っていることが腹立たしくてしょうがない。むしろ認めたくない。
「碧のための美術館は会社の文化事業費から出させるか……、それがいいな。管理のための部門を作ってあとはアウトソーシングとするか、それとも子会社を立ち上げるかは取締役会で決めさせるとして、とりあえず叩き台は作らないといけないな」
だがその前にと長弟に連絡を入れる。碧の個展の話とともに買い占めの打診をすれば、まだ会社で怪しい新薬を開発しているであろう梗からすぐに返事が来た。
「さすが梗だ、全財産を投げうつだけではなく父からも搾り取る方法を模索するとは。なかなかやる」
スマホの文字を眺めながら、ニヤリと笑う。
菅原兄弟の末弟への過度なブラコンぶりに周囲がドン引いているとも知らず、玄はパソコンを立ち上げ、早々と企画書の作成を始めた。場所はどこにするかや建物をデザインする建築家の名前など、無駄に金をかけた一大企画となっているが、最愛の末弟のためなら散財は厭わないとばかりにどんどんと贅沢な内容を盛り込んでいく。
「これくらいにしておくか。いや、やっぱり規模はもう一回り大きいほうが……将来、碧の子供たちも絵を描き始めた時のためにフリーな空間も作ったほうが良いかもしれない……絵画とは限らないな、彫刻の可能性もあるから庭園部分も広く作ったほうが良いだろう」
一体どれほどの予算で考えているのか。叩き台にしては規模が大きすぎる企画書を作り上げ、それを超重要書類として保存して玄は満足したままベッドにもぐりこんだ。
その間、一度も桐生のことなど思い出すこともなく。
菅原玄は頭を抱えていた。
この数年頭を痛ませている悩みが全く解決していないからだ。
それは最愛の末弟、碧の事である。10歳も離れた遊び人と結婚したにも関わらず、未だに離婚していないどころか経済界一のオシドリ夫婦として取り扱われている。
気に食わないしありえない。
なにせ碧の相手はアルファ校でも右を出る者がいないというほどの遊び人である天羽一輝だ。すぐに浮気すると思っていたのに、未だに浮気相手の影がない。それどころか仕事が終われば寄り道一つせずまっすぐ家に帰り夫婦の時間を堪能しているという。
定期的に調査をしてもらっている探偵社から送られた調査資料にはこの半年、プライベートで接触した人間が写真付きで印刷されているが、すべて碧の絵画の関係者。しかも最愛の末弟の腰に手を回し無駄に自分の物アピールしている写真ばかりだ。
今まで特定の相手を作らず穴という穴を渡り歩いていた男が可愛い末弟と夫婦というだけでも噴飯ものなのに、愛妻家と知れ渡っているなどあってはならないことだ。
絶対陰で浮気していると思っていたのに、今回も外れか……。
だが諦めはしない。きっといつかするであろうその日までじっくり調べ上げてやる。
意気込みながらつまらない内容ばかりが並んでいる報告書を仕事用の鞄に詰める。明日出社したら、証拠隠滅のためにシュレッダーにかけるのだ。
菅原家の執事は主人にあまりにも忠実であるため、長男の玄が三男配偶者の浮気調査の報告書を捨てたと知られては世界で一番恐ろしい母親に何を言われるかわかった物ではない。
あくまでも内密に進めなければ。
母だけならまだいい。もしこの話が碧の耳に入って「玄兄さんなんか大嫌い」と言われたら、確実にその場でショック死だ。心臓発作か脳溢血で昇天だ。いくら碧のためとはいえ、弟の夫の浮気調査だ、碧はいい気持ちになりはしないだろう。
「今回はなかったとはいえ、いつか絶対に尻尾を掴んでやるからな、天羽!」
弦は強く拳を握りながらベッドにそれをのめり込ませた。
打倒天羽! 早く碧に嫌われろと呪いをかけながらいつもはサイレントにしているスマホにちらりと目をやる。音がしないから気付かなかったがメールが入ったようで、青いランプが光っている。
「なんだ?」
仕事の連絡かと思いアプリを立ち上げる。
「なんだ、先輩か」
そこには昼に送ったメールの返事が来ていた。送り主は、桐生・アルベルト・篤繁。玄の中学・高校の生徒会の先輩だ。財閥系企業の創始者一族の一人として世界を股にかけ活躍している。
老舗製薬会社である菅原製薬とは規模が全く違っているし接点もないが、その桐生がなにを思ってかよく玄に連絡を入れてくる。
今は遠く離れたニューヨークにいるそうだが、近々帰国するらしい。そろそろ本社の取締役になるのではないかと一部で噂されている。
今は異動前で忙しいはずなのに、相変わらずの筆まめだ。
玄は文章の内容を確認した。
『帰国したらぜひ君と飲みたいと思っている。時間を作ってくれるかい? 楽しみにしているよ。そういえばご令弟が今度、我が社のギャラリーで個展を開くそうだね。成功を楽しみにしているよ。ギャラリーの責任者にも今度就任するので最初の仕事を一緒にできるのは光栄だ。その話も是非聞きたいので、帰国すぐに会えると嬉しい』
「なんだと?」
碧の個展だと?
そんな話は耳に入っていないぞと目を剥く。確かに最近大きな美術展に、長年指導してくださっている講師の勧めで出展し何かしらの賞に入選したとは聞いていたが、個展の話は全く耳に入ってきていない。
もう一度鞄にしまった報告書を取り出し、直近で二人が会っている人物を確かめる。
「先輩のところのギャラリーの関係者か……なぜ気づかなかった!」
大事な碧の初めての個展だ、絶対に参加しなければならないというのに、その詳細すらも知らされていないのは業腹だ。自分は碧の実兄だと訴えたいが、いかんせん弟は天羽家に嫁いでいるせいか、夫である天羽一輝がしゃしゃり出てくる。
だが今その細い身体には小さな命が宿っている。個展作業などさせる時期ではない。
断らせるべきか。だが碧のステップアップには必要な機会だ。ずっと趣味でやってきた絵画が今認められようとしているのだから、応援するのが兄というもの。
「よし、天羽の代わりに私が碧に付き添おう」
そのためには早急に桐生と連絡を取らなければ……。
「帰国したらすぐに飲みましょう、そうしましょう。いつ帰ってくるんだこの野郎っと。これでよし!」
相手にとってはこれ以上ない失礼な内容を、何重にもオブラートに包みビジネス文章風にアレンジした内容となっていることを確認し、送信する。と同時に、玄は自分の貯金残高を確認した。
「絵画というのは大体どれくらいするんだ? 碧の絵を買い占められるだろうか」
趣味がなくひたすら仕事に打ち込んできた玄の貯金残高はなかなかに凄いものがあるが、今一つ絵画市場を理解していないため不安になる。
「よし、梗にも打診するか」
長弟もそこそこ貯金があるだろう。初の個展で絵が売れ残ってしまうなんて可哀想だ。
碧の絵はすべて菅原兄弟で買い占めさせてもらおう。そして、作品数が多かったら美術館を建てよう。碧の絵だけを展示する美術館もいい。
現に特定作家の名を冠にした美術館は世界中に存在している。菅原碧美術館がこの世に存在したっていいはずだ。
玄の脳内では、末弟は「菅原」のままで「天羽」を名乗っていることが腹立たしくてしょうがない。むしろ認めたくない。
「碧のための美術館は会社の文化事業費から出させるか……、それがいいな。管理のための部門を作ってあとはアウトソーシングとするか、それとも子会社を立ち上げるかは取締役会で決めさせるとして、とりあえず叩き台は作らないといけないな」
だがその前にと長弟に連絡を入れる。碧の個展の話とともに買い占めの打診をすれば、まだ会社で怪しい新薬を開発しているであろう梗からすぐに返事が来た。
「さすが梗だ、全財産を投げうつだけではなく父からも搾り取る方法を模索するとは。なかなかやる」
スマホの文字を眺めながら、ニヤリと笑う。
菅原兄弟の末弟への過度なブラコンぶりに周囲がドン引いているとも知らず、玄はパソコンを立ち上げ、早々と企画書の作成を始めた。場所はどこにするかや建物をデザインする建築家の名前など、無駄に金をかけた一大企画となっているが、最愛の末弟のためなら散財は厭わないとばかりにどんどんと贅沢な内容を盛り込んでいく。
「これくらいにしておくか。いや、やっぱり規模はもう一回り大きいほうが……将来、碧の子供たちも絵を描き始めた時のためにフリーな空間も作ったほうが良いかもしれない……絵画とは限らないな、彫刻の可能性もあるから庭園部分も広く作ったほうが良いだろう」
一体どれほどの予算で考えているのか。叩き台にしては規模が大きすぎる企画書を作り上げ、それを超重要書類として保存して玄は満足したままベッドにもぐりこんだ。
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