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本編2
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「で、これはどういうシチュエーションなんですかね」
コーヒーカップを隆則の前に出した矢野が笑ってはいるが困った表情をしているのを知って、細い身体を一層小さくした。
三月最後の休日、寂れた商店街から少し離れた場所にある新しいカフェは女性客で賑わい、無口な砥上が注文を取りに行っている間に、カウンターを占領しているのが客の片方が不穏な空気を放っていれば、当然だろう。
「もしかして、バラしたんですか五十嵐さん」
「すみません……」
いたたまれずさらに小さくなる。
隆則の隣を占領している遙人から負の感情を露わにした視線が矢野に向かっているのが分かっても止められない。
余計なことを口にしたら、どこから仕込んできたバイブが身体の中で震え出すからだ。消え入りそうなほど縮こまった隆則の様子を見て、矢野は面白そうに自分を睨めつけてくる遙人に微笑みかけた。
「ども、五十嵐さんに贔屓にしていただきました矢野です」
完全にこの状況を面白がっているとしか言いようがない矢野の反応に慌てて言葉を遮ろうとして、スマートフォンを握ったままの遙人と目が合う。
「っ!」
瞬時に中のバイブが最強レベルの振動を始める。
(ひどい……)
だが矢野との関係を知られたらこうなっても仕方ないと考えている自分がいる。
元々遙人の嫉妬から始まった関係だ。苛まれているのに、なぜか胸がキュンとしてしまうのを止められない。
「その仕事、もうしてないんですよね」
冷ややかで低い声が矢野に向けられるのをただ聞いているしかない。
「はい、パートナーできましたから。いやぁ心配してたんですよ五十嵐さんのことは。だって最後に会ったときにノンケに恋したって言うんですよ。しかも俺にされながら『はると、はると』って泣いてるんですからね、そりゃ心配になりますよ」
あの日のことを冷静だった彼の口から聞くのは死にそうなくらい恥ずかしい。絶対に嫌われたと思い込んで死んでしまいそうになっていたあの時は、もう思い出したくもない。
「久しぶりに会って幸せそうで安心してたら、今度はどうして良いか分からないって弱音聞いたら助けたくなるじゃないですか」
「それで相談に乗ってくださってたんですね、どうも」
礼を言っているはずなのに棘だらけだ。
間に挟まれた隆則はどうしたら良いのか分からない。ただ大人しくここに座っているしかない。
自分の恥ずかしい過去を晒されて消え入りたいのに実際にはできない。スイッチを止められ恐る恐る肩から力を抜く。またいつ中の物が動き出すか分からないから、ひたすら大人しくするしかない。
「もう俺のものですから手を出さないでください」
「出しませんよ。さすがにアレが怒るのでね」
アレ、と顎をしゃくって指したのは砥上だ。オーダーを受けこちらに近づいてくる。
「ついでに記憶からもこの人のことを抹消してください。かけらでも残っているのが気に入らない」
「遙人、それは無理だよ」
「いやぁ、近年まれに見る独占欲ですね。重たいって言われませんか、水谷さん」
「……俺重いですか、隆則さん?」
完全に揶揄われているのに、そこだけは真剣に取るのかと突っ込みたくなる。
だが遙人の気持ちが重いかと聞かれれば、答えは一つしかない。
「…………うれしい」
そう、こんなにも自分を愛そうとする遙人の気持ちはどんな形であれ嬉しいのだ。最近は何でもかんでも一人でやろうとはせず、互いの時間が合えば一緒にキッチンに立ったり洗濯物を干したりしている。
そしてベッドでもルールを決めた。
誘った方が主導権を握ると。遙人から誘ってくれば隆則は以前のようにただひたすら啼かされるが、自分が誘えば快楽に耐える遙人の顔を見ることができる。それが嬉しかった。やっと彼を手に入れた、そんな気持ちだ。
恋愛をしたことがない不安をどうしても解消できなくて、本当に信じて溺れて良いのか分からずに踏み止めた一線を超えたような気がした。
(アドバイス、色々貰ったけどやっぱり一番は話し合いだな)
矢野やそのパートナーである砥上から小手先のテクニックは色々と教えて貰った。
自分も役に立ちたいと言えば簡単なレシピを渡されたし、いつも自分ばかり溺れてしまうと言えば具体的なテクニックを伝授してくれた。
自分よりも年若い二人の方がずっと人生経験豊富でつい縋ってしまったが、それでも代わらない遙人の態度に落ち込んだこともあった。
だがあの日、ベッドの上ではいつも余裕で隆則を翻弄する遙人が、苦しそうに快楽を堪えては我慢できないとばかりに求められたのが嬉しかった。自分が遙人を悦ばせられると、初めて感じられた。
あの瞬間の愉悦は今も忘れられない。
だからほんの少しだけ勇気を出して誘えるようになった。
同じように他のことも遠慮する部分がなくなったと思う。
なによりも、遙人の変化が著しかった。今まではどこか掴み所なく、年下なのに隆則をまるっと包み込んではただ可愛がるような態度を見せていたのに、少しずつ弱い部分を見せてくれるようになった。仕事のことなど何も話してくれなかったのに、最近は世間話的に会社での出来事を口にする。コンプライアンスに関わる部分は相変わらず語らないが、同僚との会話や、社内で隆則がどう言われているか、ずっと気になって聞けなかった部分を教えてくれるようになって、好意的な扱いにホッとすると共に、対外にはそんな風に隆則のことを伝えているのかと知るのが恥ずかしくもあった。
男同士だとか年の差とか、そういったファクターをすべて取り払ったら、自分が構えていたものが酷く矮小なプライドのように映って、投げ出してしまった。
年上だからと気張っていたのを脇に置けば、仕事しかできない不器用な自分でも愛してくれる遙人の気持ちを素直に受け止めることができた。
不安は、なくならない。
まだ完全に自信があるわけではない。
けれど、老後も一緒に過ごしたいと願う遙人の言葉を信じたいと思った。
同時に、背が高く肩幅があって少し彫りの深い顔をした格好いい男が、どこまでも自分に惚れていて大事にして人生を捧げようとしているのが、可愛くてしょうがない。
今だって、意地悪をされているのに嬉しくて嬉しくてしょうがない。
「なーんだ、割れ鍋に綴じ蓋か」
矢野が呆れた溜め息を吐くのを見て、そっとカウンターの下で遙人の指に触れた。躊躇いなく指先を攫われきつく握られる。
「水谷さんもあれだったらアドバイスしますよ。ネコちゃんを昇天させずっと達きっぱなしにする方法とか」
剣呑だった遙人の目が途端に光り出した。
「ちょっ、矢野さん!」
「……いくらですか?」
プロからテクニックを教わるなら有料は当たり前だろうと、すぐに頭の中で適正価格をはじき出しているのだろう、隣に座っていてもすぐに分かった。
「そうですね、五回ランチで一テクとかどうですか?」
「安すぎます。相場は五桁半ばくらいではないんですか?」
さすが公認会計士(仮)と言ったところだ。
「そこは水谷さんの嫉妬分をサービスってことで。どうですか?」
遙人がギュッと手を握る力を強め隆則を見つめてきた。
ゴクリと溜まった唾を飲み込めば、すぐに矢野に向き合い一番高いランチを二つ注文した。当然のようにセットメニューにはなっていない高そうなデザートまで付け加える。
「ちょっ、お昼は家で食べるんじゃ……」
「明日も来れば来月中旬には……」
毎週末の昼をここで摂ろうと計算している。
「遙人っ」
「隆則さん、楽しみですね」
ニッコリと笑いかけてくる遙人に、諦めるしかない。
開け放ったままの窓からは春の暖かい風が吹き込み、咲いたばかりの桜の花が揺れている。
来年の今頃はどんな関係になっているだろうか。
今まではまだ続いているだろうかと考えるのが当たり前だったが、少しだけ隆則の気持ちが前向きになりはじめた。これから芽吹く若葉のように、未来が瑞々しく輝いて広がっているように思える。
(来週はテイクアウトにして、花見をしながら食べたいな)
今までなら遠慮してそんなことを提案することもできなかった隆則は、テラスの向こうに咲き誇る花びらを見つめながら口を開いた。
ほんの少し未来への要望を愛しい彼に伝えるために。
-END-
コーヒーカップを隆則の前に出した矢野が笑ってはいるが困った表情をしているのを知って、細い身体を一層小さくした。
三月最後の休日、寂れた商店街から少し離れた場所にある新しいカフェは女性客で賑わい、無口な砥上が注文を取りに行っている間に、カウンターを占領しているのが客の片方が不穏な空気を放っていれば、当然だろう。
「もしかして、バラしたんですか五十嵐さん」
「すみません……」
いたたまれずさらに小さくなる。
隆則の隣を占領している遙人から負の感情を露わにした視線が矢野に向かっているのが分かっても止められない。
余計なことを口にしたら、どこから仕込んできたバイブが身体の中で震え出すからだ。消え入りそうなほど縮こまった隆則の様子を見て、矢野は面白そうに自分を睨めつけてくる遙人に微笑みかけた。
「ども、五十嵐さんに贔屓にしていただきました矢野です」
完全にこの状況を面白がっているとしか言いようがない矢野の反応に慌てて言葉を遮ろうとして、スマートフォンを握ったままの遙人と目が合う。
「っ!」
瞬時に中のバイブが最強レベルの振動を始める。
(ひどい……)
だが矢野との関係を知られたらこうなっても仕方ないと考えている自分がいる。
元々遙人の嫉妬から始まった関係だ。苛まれているのに、なぜか胸がキュンとしてしまうのを止められない。
「その仕事、もうしてないんですよね」
冷ややかで低い声が矢野に向けられるのをただ聞いているしかない。
「はい、パートナーできましたから。いやぁ心配してたんですよ五十嵐さんのことは。だって最後に会ったときにノンケに恋したって言うんですよ。しかも俺にされながら『はると、はると』って泣いてるんですからね、そりゃ心配になりますよ」
あの日のことを冷静だった彼の口から聞くのは死にそうなくらい恥ずかしい。絶対に嫌われたと思い込んで死んでしまいそうになっていたあの時は、もう思い出したくもない。
「久しぶりに会って幸せそうで安心してたら、今度はどうして良いか分からないって弱音聞いたら助けたくなるじゃないですか」
「それで相談に乗ってくださってたんですね、どうも」
礼を言っているはずなのに棘だらけだ。
間に挟まれた隆則はどうしたら良いのか分からない。ただ大人しくここに座っているしかない。
自分の恥ずかしい過去を晒されて消え入りたいのに実際にはできない。スイッチを止められ恐る恐る肩から力を抜く。またいつ中の物が動き出すか分からないから、ひたすら大人しくするしかない。
「もう俺のものですから手を出さないでください」
「出しませんよ。さすがにアレが怒るのでね」
アレ、と顎をしゃくって指したのは砥上だ。オーダーを受けこちらに近づいてくる。
「ついでに記憶からもこの人のことを抹消してください。かけらでも残っているのが気に入らない」
「遙人、それは無理だよ」
「いやぁ、近年まれに見る独占欲ですね。重たいって言われませんか、水谷さん」
「……俺重いですか、隆則さん?」
完全に揶揄われているのに、そこだけは真剣に取るのかと突っ込みたくなる。
だが遙人の気持ちが重いかと聞かれれば、答えは一つしかない。
「…………うれしい」
そう、こんなにも自分を愛そうとする遙人の気持ちはどんな形であれ嬉しいのだ。最近は何でもかんでも一人でやろうとはせず、互いの時間が合えば一緒にキッチンに立ったり洗濯物を干したりしている。
そしてベッドでもルールを決めた。
誘った方が主導権を握ると。遙人から誘ってくれば隆則は以前のようにただひたすら啼かされるが、自分が誘えば快楽に耐える遙人の顔を見ることができる。それが嬉しかった。やっと彼を手に入れた、そんな気持ちだ。
恋愛をしたことがない不安をどうしても解消できなくて、本当に信じて溺れて良いのか分からずに踏み止めた一線を超えたような気がした。
(アドバイス、色々貰ったけどやっぱり一番は話し合いだな)
矢野やそのパートナーである砥上から小手先のテクニックは色々と教えて貰った。
自分も役に立ちたいと言えば簡単なレシピを渡されたし、いつも自分ばかり溺れてしまうと言えば具体的なテクニックを伝授してくれた。
自分よりも年若い二人の方がずっと人生経験豊富でつい縋ってしまったが、それでも代わらない遙人の態度に落ち込んだこともあった。
だがあの日、ベッドの上ではいつも余裕で隆則を翻弄する遙人が、苦しそうに快楽を堪えては我慢できないとばかりに求められたのが嬉しかった。自分が遙人を悦ばせられると、初めて感じられた。
あの瞬間の愉悦は今も忘れられない。
だからほんの少しだけ勇気を出して誘えるようになった。
同じように他のことも遠慮する部分がなくなったと思う。
なによりも、遙人の変化が著しかった。今まではどこか掴み所なく、年下なのに隆則をまるっと包み込んではただ可愛がるような態度を見せていたのに、少しずつ弱い部分を見せてくれるようになった。仕事のことなど何も話してくれなかったのに、最近は世間話的に会社での出来事を口にする。コンプライアンスに関わる部分は相変わらず語らないが、同僚との会話や、社内で隆則がどう言われているか、ずっと気になって聞けなかった部分を教えてくれるようになって、好意的な扱いにホッとすると共に、対外にはそんな風に隆則のことを伝えているのかと知るのが恥ずかしくもあった。
男同士だとか年の差とか、そういったファクターをすべて取り払ったら、自分が構えていたものが酷く矮小なプライドのように映って、投げ出してしまった。
年上だからと気張っていたのを脇に置けば、仕事しかできない不器用な自分でも愛してくれる遙人の気持ちを素直に受け止めることができた。
不安は、なくならない。
まだ完全に自信があるわけではない。
けれど、老後も一緒に過ごしたいと願う遙人の言葉を信じたいと思った。
同時に、背が高く肩幅があって少し彫りの深い顔をした格好いい男が、どこまでも自分に惚れていて大事にして人生を捧げようとしているのが、可愛くてしょうがない。
今だって、意地悪をされているのに嬉しくて嬉しくてしょうがない。
「なーんだ、割れ鍋に綴じ蓋か」
矢野が呆れた溜め息を吐くのを見て、そっとカウンターの下で遙人の指に触れた。躊躇いなく指先を攫われきつく握られる。
「水谷さんもあれだったらアドバイスしますよ。ネコちゃんを昇天させずっと達きっぱなしにする方法とか」
剣呑だった遙人の目が途端に光り出した。
「ちょっ、矢野さん!」
「……いくらですか?」
プロからテクニックを教わるなら有料は当たり前だろうと、すぐに頭の中で適正価格をはじき出しているのだろう、隣に座っていてもすぐに分かった。
「そうですね、五回ランチで一テクとかどうですか?」
「安すぎます。相場は五桁半ばくらいではないんですか?」
さすが公認会計士(仮)と言ったところだ。
「そこは水谷さんの嫉妬分をサービスってことで。どうですか?」
遙人がギュッと手を握る力を強め隆則を見つめてきた。
ゴクリと溜まった唾を飲み込めば、すぐに矢野に向き合い一番高いランチを二つ注文した。当然のようにセットメニューにはなっていない高そうなデザートまで付け加える。
「ちょっ、お昼は家で食べるんじゃ……」
「明日も来れば来月中旬には……」
毎週末の昼をここで摂ろうと計算している。
「遙人っ」
「隆則さん、楽しみですね」
ニッコリと笑いかけてくる遙人に、諦めるしかない。
開け放ったままの窓からは春の暖かい風が吹き込み、咲いたばかりの桜の花が揺れている。
来年の今頃はどんな関係になっているだろうか。
今まではまだ続いているだろうかと考えるのが当たり前だったが、少しだけ隆則の気持ちが前向きになりはじめた。これから芽吹く若葉のように、未来が瑞々しく輝いて広がっているように思える。
(来週はテイクアウトにして、花見をしながら食べたいな)
今までなら遠慮してそんなことを提案することもできなかった隆則は、テラスの向こうに咲き誇る花びらを見つめながら口を開いた。
ほんの少し未来への要望を愛しい彼に伝えるために。
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