おじさんの恋

椎名サクラ

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本編2

6-1

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 動きがあったのは納品した翌週だった。想像していたとおりデスマーチ中は全くと言っていいほど動かなかった隆則が家の近所で長時間とどまっていた。そこには何があったのか思い出せないが、少なくともコンビニではないことは確かだ。

(随分といるな……何をしているんだ?)

 一時間ほどその場所にとどまっていた形跡が残っている。

(帰りにちょっと調べるか)

 いつも通り納品直後のハイになっている隆則が狂うぐらいに抱いたのは週末だというのに、遙人が仕事で家を空けてすぐに誰かと会っているというのか。その事実が気に入らない。

(あれだけやって満足しないって、どんだけ性欲凄いんですか隆則さん)

 もしかしたら、デリヘルにすっごい開発をされて、今まで遙人が初めてだと言っていた行為も本当はリップサービスですでに開発済みだったのではと疑念を抱き始めている。さすがに胸の飾りは遙人が開発したと分かるが、自分が覚えさせたと思っていたメス達きも本当は経験済みだったとしたら、絶対に腸が煮えくり返って何をするか分からないだろう。

 とにかくその場所に何があるのかを確かめなければ。

 三月に入ったばかりではまだ会社は定時上がりを許してくれるのが助かる。これが来月だったらあまりの忙しさに何もできなかったことだろう。

 一年で一番忙しい時期である四月五月は、さすがの遙人でも定時に帰ることができず、終点間近の電車に飛び乗ることもしばしばである。

「あー早く独立したいなぁ」

 つい漏れた本音を聞いた周囲がぎょっとして顔色を悪くするのに気付かないまま、今日は早く帰るぞとばかりに仕事を前倒しにしていく。

 そして定時に上がって隆則が一時間も居続けた場所に辿り着いた遙人は、唖然とした。

「こんな店あったか?」

 随分とお洒落なカフェがそこにあった。ファミレスですら緊張してしまう隆則には不似合いな雰囲気である。こんなところに本当に一人で来たのだろうか。あまりの洒落た外観に緊張して入るのを躊躇いそうなものだがとビルの他の階に何が入っているのかを確認するが、一階以外は空き店舗のようで商店街がシャッター街になっているこのあたりでは珍しくもない光景だ。

 だとすると、この店に一時間もいたということだろうか。

 チラリと店内を覗いて、スッと遙人の表情が曇った。

(なんであいつがここにいるんだよ)

 あれはどう見たって先日ぶつかった男だ。あの神社で隆則と親しげに話していた、矢野と名乗った男。遙人は慌てて貰ったショップカードを取り出した。確かにこの住所で外観をイラスト化したのが印刷されている。

 義理堅い隆則のことだから誘いを受けて何度か通ったのだろう。

 だが何か引っかかる。本当にそれだけであの隆則が何度も通うのだろうか。基本で無精で人付き合いが苦手で、できることならコンビニすら行きたがらないはずの隆則がなぜここだけは週に一度くらいのペースで通っているのだろうか。

「居心地が良いのか?」

 だがどう見ても何の代わり映えもないカフェだ。しかも洒落ていると来ている。

 隆則にはハードルが高すぎるだろう。なんせ女性客が大半を占めているし、店構えも男性が入るには可愛らしい。

 ふと矢野が顔を上げ目が合った。余裕のある表情で会釈してカウンターから出てくる。

「水谷さんご無沙汰してます。今会社帰りですか? テイクアウトもやってますがいかがですか?」

 たった一回会ったのに遙人をしっかりと認識しているようであった。

(いけ好かないな……)

 興味の対象が狭い遙人など存在をすっかり忘れたというのに、なぜ相手は神社で経った数分会っただけの遙人を覚えているのだろうか。しかも名前を口頭で伝えただけだ。

 柔和な物腰に隠れているが、どこか品定めをされているような気がする。

(こいつ、気に食わないな)

 遙人も親しげな表情を崩さないまま相手を同じように品定めを繰り返す。

 背は遙人ほどではないがそれでも世間では長身な部類だろう、スレンダーな体躯の割には軟弱さを伺わせない絶妙なバランスである。その上に小さな頭が乗り優男と称しておかしくないほどの相手に敵意を抱かせない柔らかい表情をした顔がある。

 誰がどう見てもイケメンと言われる部類の男だろう。

(もしかして隆則さん、こういう顔が好きなのか?)

 疑心暗鬼になってしまう。もし隆則の好みがこの男だったらと考えると背中を冷たい汗が流れる。

(あり得る、かもしれない)

 なんせ遙人は隆則を無理矢理に恋人にした負い目がある。自分を助けてくれた人があまりにも好みのど真ん中過ぎて未だに手放せないどころか、行方を捜し出して無理矢理に関係を修復させたとすら考えている。

 そして今、家族に会わせて一層縛り付けている。

 隆則が窮屈に感じて好みの男が目の前に現れたから心の浮気をしているのだとしたら……許せるほど寛容ではない。

 僅かでも自分から心が離れるのが許せなくなる。

「いえ。隆則さんが随分と通っているそうなのでどんな店なのか見に来ただけなんですよ」

 牽制のつもりで隆則の名前を出してみれば、慌てることなく笑顔のままだ。

「そうですか。では是非次回はお二人でいらしてください」

「ええ、是非」

 心の中で舌打ちし、社交辞令のような笑顔でその場から離れる。どことなく敗北感を抱えるのはなぜだろうか。

(誰が行くか、馬鹿にするな)

 こういう柔らかい雰囲気が隆則は好きなのだろうかと僅かな戸惑いを抱きながら、心の怒号は衰えない。怒りに満ちながら玄関を開ければ、不穏な匂いが部屋中に漂っていた。

「マジかよっ」

 慌ててキッチンに駆け込めば、案の定隆則が今にも泣きそうな顔でフライパンを握り、そこからは不穏よりも不吉な暗雲がモクモクと立ちこめていた。

「隆則さんどうしたんですか!? 何やってるんですか!」

 何をやっていたのかなんて見なくても分かる。炭素と化したものがフライパンの上に乗っており、元の物質を認識することはできないが料理をしていたのだろう。

「まずは火を止めてっ! フライパンは五徳に乗せてください、大丈夫ですから」

 慌てた声にビクリと固まった隆則の背中をさすりながら指示をすれば緊張しきった身体から力が抜けるのを見計らってゆっくりと次の指示を出す。火が消えたコンロにフライパンを置いた隆則は蒼ざめると通り越して真っ白だった顔に血の気が戻っていった。

「怪我はありませんか?」

 優しく訊ねれば、小さく頷く首筋は伸びた髪に隠れながらも真っ赤になっている。その仕草がとても自分よりも干支一回り以上年上の人間には思えないほど、頼りなくどこか愛らしいと感じる。

 ようやくフライパンから手を放した隆則をダイニングの椅子に座らせ、部屋の窓を全開にして淀んだ空気を逃がせば、代わりに初春のまだ冷たい風が容赦なしに突き刺さってくる。まだコートを纏っている遙人は良いがずっと温かい部屋の中にいた隆則には厳しいだろうとクローゼットからダウンジャケットを取り出し着させる。

「何を作ろうと思ったんですか?」

 ファスナーを首までしっかりと上げてから訊ねれば、俯いたまま「ステーキ」とだけ答えた。
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