おじさんの恋

椎名サクラ

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本編2

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 何かイヤな予感がする。

 仕事をこなしながら遙人はその不安を潰すために、頭の片隅で情報を整理していった。

 正月休みもとっくに終わり、世間はバレンタインで賑わっている。監査法人が忙しいのは四月からで、各企業が締めた最終決算を見ていかなければならない。

 今はその準備期間で少しだけ余裕があるのを良いことに、遙人は仕事と平行に違和感を時系列でまとめ始めた。

 最初に違和感を覚えたのは一月の半ばだ。いつもパジャマ代わりにしているトレーナーで一日過ごしている隆則が珍しく平服で仕事部屋から出てきた。本人が何も言わないので遙人も敢えて何も訊かなかったが、その頻度が週に一度必ずあり、その日は落ち込んでいるようにも思えて気になって気になって、だが訊けずにいる。

(平日の昼間に何をしているんだ、隆則さんは)

 こっそりGPSアプリでもインストールして追跡しようかとも思ったが、いくらパートナーとは言えそこまでするのはさすがにやりすぎのような気がして思い止めていたけど、もうそう言ってられないのではと考え始めている。

(さすがに浮気……じゃないだろうけどもしかしたら、重いとか思われてるのか)

 なんせ前科のある遙人だ。

 ゼミの教授にも女性陣にも指摘されて初めて自分の愛し方が世間一般と違うのだと知ったくらいだ。もしかしたらまた無意識に何かをしでかして隆則を不安にさせてしまったのではないか。

(また逃げられたらどうしよう……)

 未だに隆則の部屋の扉を開けるのが少し苦手だ。

 何もない空間だったあの時を思い出しては未だに手が震えるくらいだ。

(でも気になる……どこに行ってるんだろう)

 カタカタと四月以降のスケジュールと割り振りが行われたデータに必要情報を入力していきながら、隣のエクセルに思いついた違和感を書き並べていく。

 その件数が二十件に達したところで手を止めた。

(細かすぎだろ、俺! なんで隆則さんのことになるとこんなに執拗なんだ)

 ほんの些細な違和感が山のように並べられているリストに頭を抱えたくなる。

 相手が隆則以外だったら絶対にスルーすることばかりだ。

(ダメすぎだろ、さすがに……)

 こんなデータを同僚に見られでもしたら絶対に馬鹿にされると分かっているから、すぐさまセーブせずにエクセルシートを削除したが、書き出した内容はしっかりと頭にインプットされてしまって余計に気になっている。

 コンビニに行ったから着替えたと言っていたのにコンビニ袋が見当たらないとか、レシートがゴミ箱に捨てられていないとか、そもそも買った物の残骸がどこにもないとか、探偵も真っ青になるような内容だ。

 もしこれでいかがわしい宿泊施設のポイントカードでも出てきたら絶対に発狂するだろう。

(やばっ、嫌なことを思い出した)

 もうずっと記憶の奥深くに沈めて重石を乗せて忘れ去ろうとしていた、人生最大の不快な記憶だ。

 もう随分と経っているのに未だに思い出すだけで腸が煮えくり返る。あの隆則を自分以外に悦ばせた人間がいる事実が遙人の正気を奪う。

(アレがなかったら俺、隆則さん抱こうって思わなかったけど……もしかして俺のセックスで満足できないとか? それともマンネリしてつまらなくなったとかだったらどうしよう)

 仕事が明けるたびに意識が失うほど抱いてはいるが、本当はメス達きするのが嫌だったりするのだろうか。

(でも姫始めはめちゃくちゃ可愛く俺のをフェラしてくれたし、この間だって自分から誘ってくれたんだよな)

 恥ずかしそうに俯きながら恐る恐る遙人に抱きついて「したい」と言ってくれたのだ。隆則から誘ってくれたのは初めてで、興奮しすぎて48手すべてを試す勢いでまたしても気を失うまで抱いてしまった。

 達きすぎてわけが分からなくなった隆則がずっと啼きながら「好きだ」と言ってくれたのを思い出して本能に従順な下半身が反応を始めてしまう。

(ダメだ、あの日の隆則さんを思い出すだけでまたしたくなる)

 次はいつ誘ってくれるのだろうと期待してしまうくらい、あの日の隆則は可愛すぎて艶めかしすぎて、簡単に遙人の理性を奪っていく。

(やっぱり真相を明らかにしないと落ち着かないな……でももうちょっとだけ情報を収集しよう)

 いきなりどこに行ったのかとか何をしていたのかと訊かれて、隆則がそれを苦痛を感じないよう慎重に行動しなくては。

 冷静に仕事をこなすふりをしながら脳内では隆則のことばかりを考えていれば、あっという間に終業時間がやってくる。考え事をしていた割には予定よりも早く終了した仕事を上司に報告し、帰り支度をする。さすがに三年も繁忙期以外は定時上がりをする遙人に声をかけてくる者はいなかった。

 いつものように電車に揺られながら、仕事中からずっと考えていた隆則の違和感を解明すべく色々な情報をつなぎ合わせていくが、どうしても確信が掴めない。つい、浮気するパートナーが取りがちな行動を検索しては蒼ざめていった。

(急に洒落込み始めるとか外出が増えるとか……あ、今までそんなそぶりも見せなかったのに誘ってくるようになったとかもあるんだ……えっ?)

 まさか、この間誘ってくれたのは浮気しているからなのか?

 さすがにそれはないだろうと思いたいが、だが付き合ってもう三年以上も経ってから初めて誘ってくれたのはやましい気持ちがあるからと言われてしまうと納得してしまう。いつもは遙人が恥ずかしがる隆則をあの手この手と誘い込まなければ裸一つ見せてはくれないのだ。ついその記事を嘗め回すように読んでしまう。

(やっぱりGPSをこっそり入れよう……でもシステムに詳しい隆則さんのことだからすぐに見つかっちゃうかな)

 無頓着な隆則なら気付かない、インストールしてしまえと悪魔が囁く。

 普通であればここに良心の代弁者たる天使が登場するはずなのに、疑念を抱いた遙人の元には現れようとはしない。

(そうだよな、見つからなきゃ良いし……確か隆則さんが入れてるあのアプリって位置情報を見せたい相手に通知する機能会ったよな)

 滅多に使われないがメールよりも便利だからと入れてもらったメッセンジャーアプリに許可した者同士が互いの位置情報を共有できる機能が付いていたのを思い出す。

 あれであれば気付かれる可能性は低いだろうと、家に帰ったら機会を覗おうと心に決め、いつもよりも早く家に辿り着くために急ぎ足で改札から飛び出し、もう慣れた道を早歩きしていく。

「っと、すみません」

 急ぎすぎたせいか前を歩く人にぶつかりそうになり、慌てて謝罪する。

「大丈夫ですよ」

 笑顔を返したその顔に見覚えがあった。初詣で隆則に話しかけていた男だ。随分と親しそうに話しかけていたので雰囲気から顔のパーツまで記憶してしまうほど観察した相手である。

 だが親しげに声をかける余裕は遙人にはなかった。

 軽く頭を下げて横を通り過ぎていく。まさか相手がずっとニヤニヤ笑いながら急ぐ背中を見つめているとも知らずに。

 いつものように帰り着いた家はずっと家主がここから一歩も出ていないことを物語るように廊下まで暖かく、玄関は遙人が出かけた時と何一つ変わりなかった。

 今日は出かけなかったのかと安心して、だが念のために隆則の靴があるかどうかを確認する。

「よし、大丈夫だ」

 出奔の可能性が否定されたことに安堵してからやっとリビングへと入っていく。そこも遙人が出たときと何一つ変わりなく、朝食用に置いておいた食事がそのままになっていることに嘆息した。

「またデスマーチだ……なんであの人はすぐに死にそうな仕事の仕方するんだろう」

 これでは年末からじっくりと太らせたはずの肉が失ってしまう。

 食べたら死ぬとでも思っているのか、僅かな糖分だけで納品まで過ごすのが心配でならない。

 ちらりと仕事部屋の扉を開ければ、隆則が栄養ドリンクを机の上に並べてものすごい早さでキーボードを打ち鳴らしている。

 机の側に貼られてあるカレンダーに新しい予定が赤字で大きく書き込まれてあり、どうやら入なし毎で今週いっぱいはパソコンに張り付いていなければならないようだ。

(あれは元後輩って人の仕事だな)

 何度か顔を合わせたことのある隆則の元後輩に「グッジョブ」と念を送りながら、あまり胃に負担がかからない物を用意する。具材いっぱいのサンドイッチに苦いほど濃いコーヒーを手に仕事部屋へと入っていく。

「隆則さん、朝から何も食べていないんですよね。これだったら食べられそうですか?」

 コーヒーの匂いにつられて隆則が振り向いた。その目は血走っており、一日でこんなになるくらい急がなければならない案件だと判断しながら、空き瓶を片付けていく。

「ありがとう……あの、また……」

「急な仕事、なんですよね。分かってますよ。朝ご飯も明日から食べやすい物を用意しておきますね」

「ごめん遙人……」

「気にしないでください。その代わり、終わったら俺に隆則さんをたっぷり補給させてくださいね」

 それが何を意味しているのかすぐに分かった隆則は、毎度の会話なのに顔を真っ赤にさせて小さく頷く。いつもと変わらない様子だ。皿が空くまで側にいてまた仕事に取りかかり始めるタイミングでこっそりと皿と一緒にスマートフォンを持ち出す。

(これでよし!)

 すぐさまメッセンジャーアプリを立ち上げ、帰りの電車で熟読した登録方法を実践する。

「オッケーっと。うん、ちゃんとできてる」

 自分のスマートフォンに隆則の位置がちゃんと表示されているのを確かめてからキッチンに行き、苦いばかりのコーヒーを煎れて隆則の元へと訪れる。

「あまり栄養ドリンクを飲み過ぎないでくださいね、コーヒーここに置いておきます。俺、先に寝ますからね」

「ん、わかった」

 画面に集中しすぎてこちらを見ようともしないのを良いことに、元あった場所にスマートフォンを戻せば、少しだけ気持ちが落ち着いた。

 とはいえ、納品が終わるまで隆則がこの家を出ることはないだろう。

 安心してとりあえず冷たくなった朝食を夕飯代わりに食べ始めた。
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