おじさんの恋

椎名サクラ

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本編1

9-1

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 遥人の一日はとても多忙だということに気付いたのは、一緒に暮らし始めてから随分経ってからだった。12月に入ってすぐ、締め切り間近の仕事を抱えている隆則は、ふと気になって彼の帰省について訊ねた。

「水谷くんは年末年始、どうするんだ?」

 二ヶ月近くも一緒に過ごしているが、彼の生活が今までよくわかっていなかったのは、余裕を持たせて組んだはずの仕事がなぜかまたギチギチに詰まり始めたからだ。毎日コマンドを叩いても期限過ぎないで納品するのがやっとの状況だった。

「いえ、帰りません。帰ったら絶対に勉強できませんから」

「どうして?」

「弟たちの面倒を見ないといけないんです。もうすぐ試験があって、アイツらの面倒で時間を取られたら大変なんですよ」

「へぇ、……あれ、この時期に?」

 大抵の大学は今二期制になっているから試験をするとしたら学期末のはずだ。年末年始に試験があるとはあまり聞かない。

「資格の方の試験があるんですよ。今月半ばに。それが通れば次は五月に、それも通ったら次は八月と気が抜けないんです」

「へぇ……え? 資格の試験ってそんなに何回もあるの?」

 一回の試験で合格したらそれで終わりという資格しか持っていない隆則はその試験スケジュールに驚いた。ありえないだろう、普通は。そんなに何回も試験を受けなければならないのなんて大学入試くらいしか思い浮かばない。

「しょうがないんです、国家資格ですから。しかも、今回受からないと就職が難しくなるんで」

「国家資格? え、なんの試験なの?」

「公認会計士です」

 意外な単語に目玉が飛び出るのではないかというくらい驚いた。それは、いわゆる士業というやつではないか。メチャクチャ高給取りの入り口で、しかも凄く安定してそうな職業、という認識しかないが、それでもそう簡単に取得できる資格でないことくらい隆則でも分かっている。

「き、きみ家事とかしなくていいから勉強しろよ! 手とかメチャクチャ抜いてもいいし、ご飯だって店屋物とか総菜でいいから勉強しろよ! 掃除はアイツに任せればいいからっ」

 あいつと指さしたのは、半月前にようやくクローゼットの中でバッテリー切れを起こしているところを発見された全自動掃除機だ。なぜクローゼットに入り込んでいたのかは不明だが、それでも正常に動いている、らしい。遥人からの報告から知っただけで隆則は確かめたことはないが。

「あの子のおかげで掃除は楽になりましたよ、本当に助かってます。それに食事も洗濯もそんなに負担にはなってないですから。なのに給料をもらって申し訳ないですよ」

 そうだろうか。

 家事全般が苦手な隆則は信じられずにいる。食事だって毎回美味しいのに栄養を考えたバランスのいい物がテーブルに並び、服だって洗いざらしのままではなくきっちりアイロンまでかかっているのだ。部屋のどこも清潔でゴミだって毎週決まった日に出しているのでベランダにゴミ袋が放置されることもない。ちゃんと人間らしい生活が送られている部屋に様変わりしているのには相当な労力がいるはずだ。

 なのに訝しむ隆則の表情を見て遥人はなんてことないように笑った。

「一人暮らしの時よりも楽をさせてもらってます」

「本当に? 大変になったら俺のことは気にしなくていいから」

「ありがとうございます。それよりも、五十嵐さんのほうは帰省はいいんですか?」

「あー……」

 もう何年も実家には帰ってない。数年前までは母の執拗な催促に折れて帰っていたが、そのたびに結婚はとか彼女はとか辛い話ばかりを繰り返され、今では仕事を理由に帰らなくなっている。そして今年もきっと……いや絶対に帰れない。もう30も過ぎて独身のまま仕事ばかりしている息子に見合いをセッティングしているに決まっている。

「次の仕事があるから無理……かな」

「えっ、仕事終わったんじゃないんですか? それじゃ身体を壊しますよ」

 幸いなことに、隆則への依頼は途切れることはない。余裕をもって組もうとしても次から次へと依頼がやってくる。後輩からは定期的に泣き言が入るし、サーシング株式会社からも正確な仕事ぶりを気に入られたのか、開発の外部サポートを懇願されている。

「うん……でもフリーだから断れないんだ」

 それっぽい理由を口にして俯いた。一度断ったら次の仕事はない。そんな雰囲気を醸し出せば敏い遥人は納得したのか「じゃあ丁度いいですね」と明るく言った。

「俺がいないと五十嵐さんまともなもの食べないから。お互い年末年始はいつも通りってことで」

「すまない……」

「いや、年末年始に一緒にいるのが男の俺で申し訳ないです」

「そんなことないからっ!」

 むしろ嬉しいなどと口が裂けても言えない。もともと遥人への好感度が高かったし、同性に恋をする性癖だからむしろ役得とは口が裂けても言えないが、新しい年を気になる人と迎えられるんだと思っただけで気持ちが高揚していく。

 あまり仕事を詰めすぎないようにすると約束しながら、これ以上一緒にいたら感情が爆発しそうで、仕事を理由にまた部屋に籠った。

(やっぱりカッコいいな、水谷君……ダメだダメだ変な気を起こすなっ!)

 見ているだけで満足するしかない。相手はノンケで自分がゲイだとばれてしまったら絶対に出ていかれてしまう。

 けれど……。想うのは許されないだろうか。

 甲斐甲斐しく世話をされ、しかも話しかければ優しく笑いながら相手をしてくれるそんな相手は今までなかった。殺伐とした会社員時代もそれ以前も陰気な隆則にそんな優しさを向けてくる人はいない。だからか、少しでも優しくされれば気になって好きになってしまいそうだ。

(しまう……じゃないな。多分……好きなんだ)

 自分の気持ちに目をそらし続けてきたが、きっと自分は遥人に恋をしている。一緒にいるだけで気持ちが高鳴り、他愛ない話をしただけで幸福感が胸を占めてしまう。そのうえ自分の心配をしてくれるとなったら、恋愛に不慣れな隆則が堕ちるのは当然といえば当然だ。なにせ、初めて会った時からずっと好意を抱いていたのだから。

「好きになっちゃ……ダメだ」

 独り言だが扉の向こうに遥人がいるからと自然と声が小さくなる。

 こんなにも年の離れた相手に好意を持たれてると知ったら気持ち悪いと感じられるだろう。

 けれど優しくされたら……それが仕事だとしても勘違いしてしまいそうになる。だからこそ自分を戒めないといけない。なるべく遥人のことを考えないようにとまたパソコンを立ち上げた。次の依頼はいつまでだったか、モニターの横にあるカレンダーを確認する。書き込みスペースが広い大きめのカレンダーには年始にサービスを開始したい企業からのタイトなスケジュールが書き込まれている。これなら三日で作れるかとメールに添付された仕様書を確認し、ざっとキーボードの横にあるノートにコマンドのレイアウトを書き始めた。

 まもなく試験だという遥人を煩わせたくなくて、隆則はまた部屋から出ない生活を続けながらなんとか自分の気持ちを封じるのに専念した。専念しすぎて完璧すぎるプログラミングを作り上げてしまったのは怪我の功名か、クライアントにひどく喜ばれ、次もよろしくと嬉しい返事をもらえた。

 けれど、その間もあまり顔を合わせていないのに、遥人は甲斐甲斐しく隆則の世話をし続けている。飲み物を取りに行けば冷蔵庫には好きなブランドのお茶が常備され、テーブルにはいつでも食べられるよう冷めても美味しい食事と目立つところに菓子が常に用意されている。

 そしてうっかり顔を合わせればあの優しい笑みを向けながら仕事の進捗を訊かれる。簡単に予定を話せば、納品後には胃に優しくも豪華な食事が用意されるのだ。

「だから、そんなに気を使わなくていいから」

 珍しく一緒に夕食を取りながら懇願した。帰省の話をしてからあっという間に時間は過ぎ、もう今年も終わりに近づいている。試験が終わったという遥人は今まで以上に甲斐甲斐しく隆則の世話を焼きはじめた。結果発表は来月で、次の試験に向けての勉強をしながらいつも隆則のために何かをしている。

 そんなに優しくされたら勘違いするからもっとそっけなく事務的であって欲しい。

「気を使ってませんよ、本当に。でも五十嵐さん仕事中はあまり食べないでしょ。おかゆやおじやとか簡単なものしか作ってませんから」

 細かく刻んだ野菜が入ったおじやのどこが簡単な料理なのかと問い詰めたくなる。しかもおかずとして並べられている料理には若者が好きな揚げ物はなく、筑前煮や解した鮭を和えたサラダなど、三十代の胃にも優しいものばかりが並べられている。

 隆則から見れば手の込んだ料理ばかりだ。

「俺、小さいころから親の代わりに料理ばっかしてきたから慣れてるんですよ。一人暮らしするまでずっと親の分と弟たちの分の二種類作ってきたから、これくらいお手の物です」

「……凄いな……」

 感嘆するしかない。

「だから気にしないで食べてください。仕事はどうなんですか? まだ続きそうですか?」

 もう今年も残るところあと十日、会社が休暇に入るまでそれほどなく、その状態で隆則に縋りつく企業はあまりない。むしろ渡したデータを組み込む作業に躍起になっていてこちらに連絡すらない。年始から始動する依頼はあっても、ポケットのように空いてしまった時間に途方に暮れていた。

 嘘が苦手な隆則は素直にその状況を口にした。

「なら大掃除をしましょう! 五十嵐さんの部屋を掃除しようと思っていたんですよ」

「え? いや自分の部屋は自分でするから」

「でも布団を洗ったりしないと。新年には気持ちいい布団で寝たいでしょ。近くにコインランドリーができたんですよ、それ試したくて」

 確かにまともに干されたことのない隆則の布団は消臭スプレーでは匂いが誤魔化せなくなっている。しかも黄ばみ始めており、いつもならポイっと捨てて新しいカバーをネットで注文している。だがそれは遥人には言えない。自分の生活能力のなさは知られていても寝具までしかりとは言いたくない。

 でも触られたくない。

 その上では己の欲望を満たすためにあんなことやこんなことをしているから、気になる相手には絶対に触れられたくないのだ。
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