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本編1
6-1
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「くっはーーーっ!」
少しお高いパソコンチェアに腰かけながらグーっと伸びをすれば全身から危険な音が鳴り、ずっと同じ姿勢でいることへの警報のようだ。どこを動かしてもパキポキと鳴り、ほんの少し肩を動かすだけでもいい音がし始める。
(少し動かないとやばいな……)
隆則は引き籠もり続けた数字を数え始めた。
フリープログラマーになった隆則のことを知った同業者がこぞって仕事をくれるのは嬉しいが、あまりにも量が多すぎるしリミットがタイトなものばかりで、ここ数日家を出るどころかまともに寝ていない状況で、会社に行かなくてよくなった分、すべての時間を仕事に費やすようになった。
人間関係の煩わしさから解放された見返りのように、逆に多忙になったような気がするが、それでも自由に自分のペースで仕事が組めるのが功を奏してか、以前ほどタイトな仕事でも悲壮感が減ったように思うが、くるりと部屋の中を見回して違う意味の悲壮感が募った。
壮絶に汚い。
時間がないからと近所の弁当屋のプラスチック容器が床に山積みになっているし、飲み物のペットボトルもあちこちに散乱している。次第に着替えるどころか風呂に入るのも億劫になり、ここ数日湯浴みもしていない身体からは変なにおいも沸き起こっている。
ストレスから解放されたと同時に社会性も捨ててしまった廃人のような生活だ。
さすがにこのままでは色々と問題しか生じないだろう。
「虫とか湧くよな……」
ようやく引き受けた最期の仕事を明け渡したのだから少しは片づけようとゴミ袋を取り出そうとして、固まった。
「やばっ、切れてる……」
そういえば前回いつ掃除したかなんて覚えていない。それどころか、この部屋にいるはずの全自動掃除機すら定位置に姿がないし、動き回れるスペースも物が散乱した床にあるはずがない。泥棒に荒らされたのかと思うほどに汚い家は、ちょっとやそっとじゃ綺麗になる気が全くしなかった。
けれど、掃除をしないと大嫌いな虫が湧く。
「掃除……するしかないよな」
齢35、申し訳ないが掃除をはじめとした家事が大の苦手である。備え付けの大きなガスレンジは埃が積もり購入してから全く使用していないことを物語っている。もしかしたら既に虫が済み始めているかもと想像して、背筋が震えた。
「仕事終わったから……掃除だ掃除!」
自分を奮い立たせるために、まずはと風呂に入ることにした。きちんと身体を綺麗にしないと外にすら出ることができないことに気付いたのだ。
全身を泡だらけにしシャワーで洗い流してからふと水の流れが悪いのに気付き、排水溝のふたを開けた。
「っ! ……うそだろ」
ここしばらく風呂にも入ってないからそんなに頻繁には掃除しなかったが、そこにはいい具合に抜け毛が溜まっていた。思わず先祖の写真が頭を過る。皆見事なまでのテカリ具合を持った頭皮なのを思い出し、シャンプーに目をやれば、適当に選んだ女性用の安いものだ。さすがに身なりを気にしない隆則でもこれには危機感を覚え始めた。なにせ、禿はモテない。しかも世間からの風当たりは異様に強く、薄毛や禿というだけで色んな目で見られてしまう。
恋人がいた例がないうえに禿になってしまったら、もっと恋人ゲット率が下がってしまう。
さすがにそれだけは回避しないと……。
「スカルプシャンプー……に切り替えるか……」
口にして涙が出そうになる。年を取ったつもりがなくても、身体は確実に老化への道を突き進んでいる。
買い物を終えたら老化防止に関するサイトを読み漁ろうと決意しながら汚れていない服を発掘して着替え、マンションから出た。
「もう夜か……」
時間を気にしない生活をし過ぎて、今が朝なのか夜なのかわからなくなる。
さすがにこんな生活では社会不適合者まっしぐらだ。
しかもスマートフォンの時計は程よく深夜を指している。
(買い物ついでに牛丼屋に寄ろう)
急激に仕事の依頼が増えて家から出られなくなり、あの店に行くのも久しぶりだ。
仕事を辞めて二ヶ月は貯金で気ままな生活をして一時は毎晩のように通っていたが、急激に増えた依頼に追われ、ここ一ヶ月まともに通うことができなかった。ようやく『彼』とも顔見知りになり目が合えば会釈をするくらいにはなったというのに。でも仕方ない、これから食べていくためには仕事をしなければならないし、やはりプログラミングをするのが好きだ。自分が作り出したシステムが順調に稼働するのも楽しいが、難しい依頼だと余計に完成させる楽しみが大きい。汎用性や拡張を盛り込んだ内容だとなぜかワクワクしてしまい、変なアドレナリンが放出されるのだ。
だが、そのために社会生活をおざなりにしてしまいがちで、結果があの部屋だ。
隆則はコンビニでゴミ袋を買いながら、明日は日が出ているうちにドラッグストアに行こうと心に誓う。深夜すぎて空いている店がコンビニくらいしかないのでは、毛根に優しいシャンプーなんて売ってやしない。
(ついでに育毛剤とかも買っておいたほうが良いかな……あと、掃除用の洗剤とかも買わなきゃな)
床が見えないくらい汚い自分の部屋を思い出し、あそこにまっすぐ帰る気にならずフラフラと寄り道をしながら牛丼屋へ行こうとして、商店街にその灯りがないことに気付いた。
「あれ?」
確か一か月前までそこにあったはずのオレンジ色の光が全く見えない。
「定休日か?」
店がある場所まで行けばそこには張り紙があり、隆則はスマートフォンのライトをつけてそれを読み上げた。
「閉店?」
定番の閉店のお知らせがそこに記載され二週間も前に閉まったことが書かれていた。
「うそだろ……」
確かに隆則が店に行くたびに他の客の姿を見かけたことは一度もない。貸し切りなのをいいことに彼の姿を存分に堪能してきたから、隆則以外の深夜の客は少ないのかもしれない。もしかしていないから閉店なのだろうか……。
(俺の唯一の癒しはどうなるんだっ!)
せっかく仕事が終わって存分に彼を堪能しようと胸を膨らませたのに、これでは来た意味がないじゃないか。名前も知らない彼を鑑賞することが本当に唯一の楽しみであり癒しだったのに、もう会えないとなって涙が出そうなほど悔いた。
もっと頻繁に通えばよかった。
もっと注文数を増やせばよかった。
もっと早くに閉店を知っていれば、次の異動先を訊くこともできた。
後悔ばかりが隆則の頭を駆け巡る。そんなに後悔するくらいなら、会釈だけではなく何か話をすればよかったと思っても、共通話題がなにもないからなにを話していいかわからない。プログラミングや仕事なら会話が成立するが、いざ雑談となると自分の性癖を隠すために黙してしまう隆則は、何を喋ったらいいかわからない状況では言葉を選ぶのが難しくなってしまう。
訊きたいことはたくさんあっても、そんなことを聞いて自分がゲイだと知られたらと怖くなる。
自分に秘密があるから人に心が開けない。
コミュニケーション能力が高く自分の性癖をあけっぴろげにしている人間も多くいるが、元来小心者で人と接するのが苦手な隆則にはハードルが高かった。しかも見た目に自信が持てないし、秀でているものが何一つない劣等感から消極的だ。だからこそ、今まで恋人一人いた例がないのだが。
もう会えないのだから割り切ろう、ここでの癒しは終わったのだ。
今は殺伐として汚い部屋を綺麗にすることだけを考えよう……ついでにさっき行ったコンビニで夕食でも仕入れようとまた、フラフラと町を少し猫背で歩き始めた。
コートのポケットに手を突っ込まないと夜のビル風に体温が奪われていく。かじかんでいく指先を親指の腹で擦りながら亀のように首を縮こませながら帰路を進んでいくと、マンションから数件離れた小さなアパートの奥から強い光が灯っていた。
何があるのかと近づこうとして足が止まった。
「ぇ……火事?」
奥の窓からありえない炎をかたどる光が見える。
うそだろ……と思いながら、慌てて持っていたスマートフォンを取り出し、電話をかけた。
相手はすぐに出た。
『こちら110番です。事件ですか、事故ですか?』
「ぁ……火事です」
すぐに自分が間違え電話をしたことに気付いたが、なぜ架け間違えたのかがよくわからず慌ててそれだけ言って電話を切り今度は消防に架けた。
今の消防はスマートフォンのGPSからすぐに場所の特定を行ってくれるようだ、しどろもどろになっている隆則を優しく導き、場所の確認をするとすぐに消防車の手配をするという。
後しなければならないのは……。
隆則は冬の冷たい空気を肺一杯に吸い込んで、今までにないくらい大きな声を上げた。
「かじですよーーーーーーっ!」
少しお高いパソコンチェアに腰かけながらグーっと伸びをすれば全身から危険な音が鳴り、ずっと同じ姿勢でいることへの警報のようだ。どこを動かしてもパキポキと鳴り、ほんの少し肩を動かすだけでもいい音がし始める。
(少し動かないとやばいな……)
隆則は引き籠もり続けた数字を数え始めた。
フリープログラマーになった隆則のことを知った同業者がこぞって仕事をくれるのは嬉しいが、あまりにも量が多すぎるしリミットがタイトなものばかりで、ここ数日家を出るどころかまともに寝ていない状況で、会社に行かなくてよくなった分、すべての時間を仕事に費やすようになった。
人間関係の煩わしさから解放された見返りのように、逆に多忙になったような気がするが、それでも自由に自分のペースで仕事が組めるのが功を奏してか、以前ほどタイトな仕事でも悲壮感が減ったように思うが、くるりと部屋の中を見回して違う意味の悲壮感が募った。
壮絶に汚い。
時間がないからと近所の弁当屋のプラスチック容器が床に山積みになっているし、飲み物のペットボトルもあちこちに散乱している。次第に着替えるどころか風呂に入るのも億劫になり、ここ数日湯浴みもしていない身体からは変なにおいも沸き起こっている。
ストレスから解放されたと同時に社会性も捨ててしまった廃人のような生活だ。
さすがにこのままでは色々と問題しか生じないだろう。
「虫とか湧くよな……」
ようやく引き受けた最期の仕事を明け渡したのだから少しは片づけようとゴミ袋を取り出そうとして、固まった。
「やばっ、切れてる……」
そういえば前回いつ掃除したかなんて覚えていない。それどころか、この部屋にいるはずの全自動掃除機すら定位置に姿がないし、動き回れるスペースも物が散乱した床にあるはずがない。泥棒に荒らされたのかと思うほどに汚い家は、ちょっとやそっとじゃ綺麗になる気が全くしなかった。
けれど、掃除をしないと大嫌いな虫が湧く。
「掃除……するしかないよな」
齢35、申し訳ないが掃除をはじめとした家事が大の苦手である。備え付けの大きなガスレンジは埃が積もり購入してから全く使用していないことを物語っている。もしかしたら既に虫が済み始めているかもと想像して、背筋が震えた。
「仕事終わったから……掃除だ掃除!」
自分を奮い立たせるために、まずはと風呂に入ることにした。きちんと身体を綺麗にしないと外にすら出ることができないことに気付いたのだ。
全身を泡だらけにしシャワーで洗い流してからふと水の流れが悪いのに気付き、排水溝のふたを開けた。
「っ! ……うそだろ」
ここしばらく風呂にも入ってないからそんなに頻繁には掃除しなかったが、そこにはいい具合に抜け毛が溜まっていた。思わず先祖の写真が頭を過る。皆見事なまでのテカリ具合を持った頭皮なのを思い出し、シャンプーに目をやれば、適当に選んだ女性用の安いものだ。さすがに身なりを気にしない隆則でもこれには危機感を覚え始めた。なにせ、禿はモテない。しかも世間からの風当たりは異様に強く、薄毛や禿というだけで色んな目で見られてしまう。
恋人がいた例がないうえに禿になってしまったら、もっと恋人ゲット率が下がってしまう。
さすがにそれだけは回避しないと……。
「スカルプシャンプー……に切り替えるか……」
口にして涙が出そうになる。年を取ったつもりがなくても、身体は確実に老化への道を突き進んでいる。
買い物を終えたら老化防止に関するサイトを読み漁ろうと決意しながら汚れていない服を発掘して着替え、マンションから出た。
「もう夜か……」
時間を気にしない生活をし過ぎて、今が朝なのか夜なのかわからなくなる。
さすがにこんな生活では社会不適合者まっしぐらだ。
しかもスマートフォンの時計は程よく深夜を指している。
(買い物ついでに牛丼屋に寄ろう)
急激に仕事の依頼が増えて家から出られなくなり、あの店に行くのも久しぶりだ。
仕事を辞めて二ヶ月は貯金で気ままな生活をして一時は毎晩のように通っていたが、急激に増えた依頼に追われ、ここ一ヶ月まともに通うことができなかった。ようやく『彼』とも顔見知りになり目が合えば会釈をするくらいにはなったというのに。でも仕方ない、これから食べていくためには仕事をしなければならないし、やはりプログラミングをするのが好きだ。自分が作り出したシステムが順調に稼働するのも楽しいが、難しい依頼だと余計に完成させる楽しみが大きい。汎用性や拡張を盛り込んだ内容だとなぜかワクワクしてしまい、変なアドレナリンが放出されるのだ。
だが、そのために社会生活をおざなりにしてしまいがちで、結果があの部屋だ。
隆則はコンビニでゴミ袋を買いながら、明日は日が出ているうちにドラッグストアに行こうと心に誓う。深夜すぎて空いている店がコンビニくらいしかないのでは、毛根に優しいシャンプーなんて売ってやしない。
(ついでに育毛剤とかも買っておいたほうが良いかな……あと、掃除用の洗剤とかも買わなきゃな)
床が見えないくらい汚い自分の部屋を思い出し、あそこにまっすぐ帰る気にならずフラフラと寄り道をしながら牛丼屋へ行こうとして、商店街にその灯りがないことに気付いた。
「あれ?」
確か一か月前までそこにあったはずのオレンジ色の光が全く見えない。
「定休日か?」
店がある場所まで行けばそこには張り紙があり、隆則はスマートフォンのライトをつけてそれを読み上げた。
「閉店?」
定番の閉店のお知らせがそこに記載され二週間も前に閉まったことが書かれていた。
「うそだろ……」
確かに隆則が店に行くたびに他の客の姿を見かけたことは一度もない。貸し切りなのをいいことに彼の姿を存分に堪能してきたから、隆則以外の深夜の客は少ないのかもしれない。もしかしていないから閉店なのだろうか……。
(俺の唯一の癒しはどうなるんだっ!)
せっかく仕事が終わって存分に彼を堪能しようと胸を膨らませたのに、これでは来た意味がないじゃないか。名前も知らない彼を鑑賞することが本当に唯一の楽しみであり癒しだったのに、もう会えないとなって涙が出そうなほど悔いた。
もっと頻繁に通えばよかった。
もっと注文数を増やせばよかった。
もっと早くに閉店を知っていれば、次の異動先を訊くこともできた。
後悔ばかりが隆則の頭を駆け巡る。そんなに後悔するくらいなら、会釈だけではなく何か話をすればよかったと思っても、共通話題がなにもないからなにを話していいかわからない。プログラミングや仕事なら会話が成立するが、いざ雑談となると自分の性癖を隠すために黙してしまう隆則は、何を喋ったらいいかわからない状況では言葉を選ぶのが難しくなってしまう。
訊きたいことはたくさんあっても、そんなことを聞いて自分がゲイだと知られたらと怖くなる。
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コミュニケーション能力が高く自分の性癖をあけっぴろげにしている人間も多くいるが、元来小心者で人と接するのが苦手な隆則にはハードルが高かった。しかも見た目に自信が持てないし、秀でているものが何一つない劣等感から消極的だ。だからこそ、今まで恋人一人いた例がないのだが。
もう会えないのだから割り切ろう、ここでの癒しは終わったのだ。
今は殺伐として汚い部屋を綺麗にすることだけを考えよう……ついでにさっき行ったコンビニで夕食でも仕入れようとまた、フラフラと町を少し猫背で歩き始めた。
コートのポケットに手を突っ込まないと夜のビル風に体温が奪われていく。かじかんでいく指先を親指の腹で擦りながら亀のように首を縮こませながら帰路を進んでいくと、マンションから数件離れた小さなアパートの奥から強い光が灯っていた。
何があるのかと近づこうとして足が止まった。
「ぇ……火事?」
奥の窓からありえない炎をかたどる光が見える。
うそだろ……と思いながら、慌てて持っていたスマートフォンを取り出し、電話をかけた。
相手はすぐに出た。
『こちら110番です。事件ですか、事故ですか?』
「ぁ……火事です」
すぐに自分が間違え電話をしたことに気付いたが、なぜ架け間違えたのかがよくわからず慌ててそれだけ言って電話を切り今度は消防に架けた。
今の消防はスマートフォンのGPSからすぐに場所の特定を行ってくれるようだ、しどろもどろになっている隆則を優しく導き、場所の確認をするとすぐに消防車の手配をするという。
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