おじさんの恋

椎名サクラ

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本編1

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 隆則が辞表を提出した瞬間、社内は上を下への大騒ぎとなった。

 直前までやっていた仕事のメンバーが全員集められ原因究明で誰がどう負担をかけたかを聴収される事態にまで発展した。複数のメンバーからの証言で営業担当と直属の上司がやり玉に上がったのは、当然と言えば当然だ。

 難しいシステム開発はすべて隆則の手に委ねて乗り切った会社である。主力であるプログラマーが抜けるのはこの上ない大打撃だ。しかも隆則ほど文句を言わないプログラマーは少なく、会社としては彼ほど使い勝手の良い人材はいないし、コミュニケーション能力が多少低くてもそれを上回る能力で会社に貢献し続けてきた彼を喜んで手放すなど経営陣にはできるはずがなかった。

 社長の怒号が鳴り響く中、上司と営業担当者が小さくなりながら頭を垂れている姿を見ても、勤務状況面・給与面すべてで改善を提示されても、一度折れてしまった心が元に戻ることはなかった。

「なんで俺が怒られなきゃなんねーんだよっ!」

 トイレから自分の席に戻ろうとしたとき、フロアの一番隅にある給湯室から苛立った声が隆則の耳に飛び込んできた。男にしては少し高めの声は件の営業担当だろう。

(なんだあいつ、まだ社内にいるのかよ)

 営業は朝のミーティングを終えると部長の方針で全員社内から放り出されるのが常で、就業間近まで帰ってくることはない。なのに、11時を前にして給湯室で喋っているのはさぼりかと呆れていると、叫びには続きがあった。

「アイツただのプログラマーじゃんか! SEでもないくせになんであんなに騒いでんだよ、所詮IT土方だろうがっ!」

(あぁ、なるほど)

 こいつは肩書だけでしか物を見ていないのか。偉い奴にはヘコヘコして見下した人間にはとことんまで偉そうにするタイプかと納得しながら、だから自分に対してあれほどまでの無茶を通してきたのかと納得した。

 クライアントから直接ヒアリングして仕様をまとめシステムの全体設計から進行管理までを統括して行うSEよりも、与えられた仕様書のプログラミングだけを行うプログラマーの方が格が下なのは確かだ。

「お前バカか? 五十嵐さんがただのプログラマーじゃないっての、社内で知らない人いないんだぞ。プログラミングする時間がなくなるからってSEになるの蹴ってるだけだし」

 他に誰かいるのだろう、営業を嗜めるために情報を与えているようだ。

「あの人の仕事で営業利益の三割は持ってるようなもんだからな、その人辞めさせちゃった責任はデカいぞー」

 情報を与えるだけではなく失敗を揶揄するなと諭したいが、ここで隆則が顔を出せば相手もいたたまれないだろうと、そ知らぬふりで通り過ぎようとした。

「そんなこと誰も教えてくれなかったっ!」

「お前がバカみたいにプログラマー見下してるからだろー、ざまぁ」

 煽られてムキになったのか、営業が「言いつけてやるっ!」と叫び始めた。

「誰に? そういや、お前を必死でかばってた開発部の課長、降格だってな可哀想に。あの滅茶苦茶な変更をSE通さずに五十嵐さんに流したってだけでも大ブーイングなのに、仕様と出来上がりが別物レベルの変更させたなんてマジありえねーだろ。なんで変更にSE同行させなかったんだ?」

「俺だってあれくらいの変更仕様まとめられるっ!」

「それで大赤字だして五十嵐さん辞めさせるきっかけ作るとか、どんだけ無能なんだよ」

 盛大に笑われた営業が顔を真っ赤にして給湯室から飛び出してきた。隆則の存在を確認するとギッと睨みつけてきたが何も言わずに営業部があるフロアへと走っていく。その後をゆっくりと新人時代に指導してきた後輩が出てきた。

「あ、五十嵐さんお疲れ様です!」

 快活な彼のほうが営業やSEに向いているだろう、少なくともアイツよりはと思いながら片手をあげて返答する。

「……課長が降格って本当か?」

「相変わらず社内ゴシップに疎すぎ、五十嵐さん。降格だけで済んで御の字ぐらいに思ってもらわないとやってらんないですよ」

 別の開発系部署に異動した彼には影響は少ないだろうが、それでも自分が辞めることでこんなにも大騒ぎになるとは思いもしなかった。

「迷惑かけて悪かったな」

「なに言ってるんですか。あんな仕様変更、普通ありえないっすよ。それを通したのは五十嵐さんの上司とアイツがデキてるからだしな」

 アイツと先ほどの営業が走り去った後を顎で指した。

「は?」

「これも有名ですよ。可愛い恋人の営業成績をあげさせるために五十嵐さんに無理させたらしいって」

「ほんとかよっ!」

「五十嵐さん相手に冗談言ってもしょうがないでしょうが。それと、サーシングに引き抜かれたって噂もありますよ」

「なんだよそれ」

 最近台頭してきたライバル企業の名前に思わず苦虫を噛み潰したような顔になる。会社の優秀なSEやプログラマーも引き抜かれそのしわ寄せが隆則に降りかかっていたのを嫌でも思い出す。過去に何度かヘッドハンティングの誘いを受けていたが、あのいかにもインテリですという若い社長の余裕ぶった態度が気に食わず、誘いを袖にし続けてきた。

「あ、違うんですね良かった! 辞めた後、どっかにいくんですか?」

「……フリーでやる」

 元々趣味でやり続けてきたプログラミングまで嫌いになったわけではないし、独り身の身軽な立場だから無駄遣いさえしなければ月に2~3件の依頼で充分に食べていけると試算し、フリーになる決意をした。

「だったら辞める五十嵐さんから可愛い後輩の俺のお願い聞いてくださいよぉ」

 自分よりもずっと上背のある後輩が可愛いとは思わないが、頼まれると断れない性分でつい「なんだ」と言ってしまう。

「俺の依頼は最優先に引き受けてくださいっ! 無茶な仕様変更なんてしないですし五十嵐さんのスケジュール最優先にしますから!」

「お前、まだSEにもなってないだろ」

「来年にはなる予定なので。俺の持ち駒の一つになってくださいお願いします!」

 どれだけ優秀なプログラマーを抱えているかもSEにとって大事なことだ。だが会社という枠の中にいるなら必要ないだろう。この会社にだってたくさんプログラマーがいるのだから、元先輩に頼らなくてもと思ってしまう。

 人の感情を読み取るのに長けている後輩は瞬時に言葉を並べた。

「五十嵐さんが抜けた開発部は人材かっすかすになるの目に見えてます。俺レベルが10人育つまで難しい案件はある程度外部委託になるはずなんです。だから頼んます!」

 なるほど、と会得した。むしろ、今までバランスが悪かった部分が露呈したともいえるだろう。隆則一人にかかる負荷が大きすぎて後進を充分に育てきれなかった指導不足を今後どう改善させるかが課題になるだろう。すぐにレベルアップなんてできないから、後輩の言うように、彼らが育つまで一部を外注しなければ今の受注量をこなすことはできないだろう。

(こいつ、いいSEになりそうだな)

 自分が育てた後輩が、これからどう育つのか楽しみだが、近くでその成長が見れないのは残念でもあった。

「わかった。最優先かどうかはわからないが、困ったときはいつでも連絡しろ」

「ありがとうございます! 頼りにしてますから」

「……まさか辞めた直後に仕事寄越すのだけは勘弁だからな。少しは休ませてくれ」

「あー、じゃあ辞めた二週間後から解禁ということで」

 元気よく答える後輩に苦笑して、了承の意味を込めて手をあげながら彼に背中を向け自分の自分のデスクのあるフロアへと入っていった。席に着けば、少し離れた場所から上司が恨みがましい目で見てくるが、気にしないで今抱えている仕事を終わらせていく。さすがに途中まで組んだシステムを放棄して会社を辞めるわけにはいかないし、今後運用するためのマニュアルの作成もある。個人的恨みを相手にする暇はなかった。

 何よりも。

(今日はなるべく早く帰ろう)

 そしてあの牛丼屋に行くんだ。もしかしたら彼に会えるかもしれないし、会えたら気持ちに整理が付けたお礼も言いたい。

 いや、九にお礼を言われるのは彼も困るだろう、なにせ味噌汁飲んで急に泣き出した客だ、気持ち悪がられるのは必須で、とてもじゃないが自分でも気持ち悪いとしか言いようがない。

 でもどうしてか、彼に無性に会いたい。

「……別に好きとかそういうんじゃなくて……」

 パソコンに向かいキーボードを叩きながらぼそりと呟く。

 確かに自分はゲイだ。恋愛対象が異性に向かないのは多感な高校生の時に気がつき、それ以降も女性に興味を持たず彼のような綺麗な男に見惚れてしまう自分を自覚して、時間のある時は新宿二丁目に通ったりしていた。だがヒョロヒョロで顔もパッとしないプログラミングが唯一の趣味である隆則は、モテなかった。悲しいくらいにモテず、未だ恋人を持てたためしはないし、童貞(バージン)卒業できたのもプロに金を払ってである。

 そんな隆則が好意を抱くには、牛丼屋の彼は上質すぎた。

(あれはどう見たってノーマルだから、俺なんかまず眼中にないか)

 カチャカチャコマンドを打ち続けながら、頭の片隅で彼のことを考えてしまう。

 誰からも好感を抱かせる雰囲気の良い笑顔に整った顔立ちそして180cmの長身、これだけでも異性にはモテるだろうが、しっかりと付いた筋肉は同性にも人気はあるだろう。なにせ二丁目には逞しい筋肉隆々のごつい男を啼かせたくて仕方ない人間が多く存在している。

 彼の性癖がどちらに転ぼうが、自分が相手にされることはないと隆則自身が一番よく分かっている。

 だから、あくまでも鑑賞するだけ、ちょっと親しくなれたならラッキーだ。

(でもあの顔と腕は理想だな……)

 少し甘さのある優しい表情に見つめられるだけで隆則の下肢は疼いてしまう。その上少し筋肉の浮き出た腕に抱かれたならと夢想してしまうほどの逞しさはただただ羨ましい。どんなに運動しても、その後仕事で削げ落ちてしまう隆則はただただ憧れるだけだ。

(憧れるのは勝手だよな)

 自分よりもずっと年若い男が自分の恋人になればなどと夢見ることなど最初から放棄している。

 それより少しでも話す機会があれば、それだけで充分だ。むしろ、柱の陰から時々見れれば満足。下半身の処理はプロか自分の手ですればいいだけだ。

(そういえば最近抜いてないな……)

 今夜あたりちょっとエロサイト観ながら自己発電でもするかとぼんやり考えながら、着々と難しい言語を入力していった。
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