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第二章 番外編

番外編:ミーが死んだ日 3

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 それから何度かアプリで柾人の行動を探ったが、いつも同じように新宿二丁目の側にある建物で二~三十分過ごし、それから帰っているようだ。何をしていたのかを聞けない後ろ暗さにどんどんと朔弥の気持ちが疲弊していく。それは周囲にいる面々にも伝わったのか、数度目になるそこへの到着を確認して、和紗が口を開いた。

「山村くん、行くわよ」

「えっ、どこへ?」

「決まっているでしょう、この場所によ。今から行けば間に合うわ」

 コートを羽織った和紗に、すかさず女性社員が鞄とデジタルビデオカメラを手渡した。まるで今日は乗り込むぞと用意したかのようだ。一部始終を呆然と見つめていると、いつの間にか宮本を初めとした他の女性社員が朔弥の書類をまとめて鞄に入れ、同じようにコートを無理矢理羽織らせる。

「えっ、ちょっと待ってください。オレ、まだ!」

「心の準備はタクシーの中でしなさい。行くわよ」

 凜とした和紗の言葉に逆らえず、男性社員までもがそれに協力し、ビルの下にあるタクシー乗り場へと連れて行かれた。終点間際には行列になっているタクシーも、まだ電車が動いている時間ではあまり台数がないが、ゼロではなかった。

 その一台に乗り込むと、迷うことなく和紗が行き先を運転手へと繋げた。

 その手には開発中のアプリを仕込んだスマホが握られている。

「あの、本当に行くんですか?」

「何を言っているんですか、当たり前でしょう。倉掛がしていることを知る権利も、その内容に憤慨する権利も山村くんにはあります。それを忘れないように」

「でも……」

 消極的な発言をしそうになる朔弥を、和紗はきつく窘めた。

「倉掛の家族は山村くんただ一人です。その人間が不安になるようなことは絶対にしてはいけないことなのです。娶ったなら一生添い遂げる男気を見せて貰わなければ困るわ」

 ただ戸籍が一緒なだけで、いつでも解消はできる。そう思っているのは朔弥だけなのかも知れない。相談した日から和紗の顔が凄く険しく、時折柾人の背中を見つめては鬼のような形相になっている時がある。心変わりが許せないのだろう。

 だが柾人と付き合うようになってもう七年だ。家でも会社でも顔を合わせるうちに飽きてしまったのかも知れない。男女の夫婦と違って共にいるための目標がないのだ。子供を育てるといった大きな役割が存在しない分、絆は脆いのかも知れない。

 どちらが心変わりをしたら、その時点で二人の関係はおしまいだ。

「オレには自信がないです……もし柾人さんに好きな人ができて、その人からもう一度自分に向かせるための自信が何もありません……」

「自信なんか男同士でなくてもあるわけではないけれど、物事には順序があります。もし倉掛に好いた相手ができたとしても、山村くんとの関係を清算してから行うべきです。その当然のルールを無視して好き勝手していいわけではないんですよ」

「そうですけど……」

 でも気持ちは止められないだろう、好きになってしまう気持ちを。

 自分がただひたすら柾人に向く感情を止められないように、柾人もまた知らない誰かへと向かう気持ちを止めることはできないのだろう。

「山村くん、理性と感情は違います。どんなに理性で割り切っても、感情が伴わなければあなた自身が納得しませんよ。その分仕事も疎かになります。まずは納得することから始めましょう。」

「……すみません」

 近頃の朔弥の仕事ぶりを見て、柾人だけでなく朔弥にも怒っているのかも知れない。職場にプライベートを持ち込んで仕事を疎かにしていたのだろうか。自分なりに懸命にやっていたつもりだが、ここのところ疑心暗鬼と不安で車内に目が行き届いていなかったのかも知れない。

 夜の都心の道はそこそこの混み合いを見せていたが、幸いなことに距離が近いこともあって十五分ほどで目的地に着いた。

「行きましょう」

「……ここにですか?」

「当たり前です」

 和紗の手の中にある端末が示すのは目の前にあるビルだ。だがその一階はどう見てもペットショップで、他の階はオフィスとなっている。その中にサーシングと取引している企業名はない。

 和紗はヒールを響かせながらペットショップの店内へと入っていった。慌てて後に続けばすぐさまデジタルビデオカメラがその手にスタンバイされる。

「あのっ和紗さん……え? なにしてるんですか、柾人さん……」

 そこには、猫と戯れている柾人の姿があった。仕立てたばかりのスーツに爪を立てて仔猫がよじ登ろうとしている。

「朔弥っ……に、和紗ちゃん……」

 柾人も呆気にとられ、その隙に仔猫は大きな手からすり抜けて肩へと昇っていく。

「ほう、これが倉掛が今夢中になっている相手か」

 デジタルビデオカメラがその相手をアップに写すが、可愛らしくミャーとか細い声を上げるばかりだ。

「随分と幼い仔猫ちゃんと浮気をしているな、倉掛」

「人聞きの悪いことを言わないでくれ。これは浮気じゃない」

「ほう、ではなぜこっそりこんなところに来ているんだ。山村くんに何も言わずに」

「それは……」

 猫を肩から離すためにスタッフがやってきた。胸の下に手を入れられた仔猫は小さな両手をパーにしてピンク色の肉球を見せてくる。その愛らしさに見入っている間に和紗がしっかりとあどけない仕草を撮影していく。

「それは、なんだ?」

「いや……旅立って半年経つからそろそろ戻ってくる頃じゃないかと……」

「何を言ってる」

 冷たく突き放したように言い放つ和紗とは別に、朔弥にはその意味がすぐに理解できた。

「あの、ミーのことですか?」

「なんだ、山村くんは分かっている話なのか」

「はい……半年前に飼っていた猫が亡くなって……その時に『毛皮を着替えて帰ってくる』という話をして……それで探してたんですか、柾人さん」

 だが解さない部分はある。なぜそれを黙っているのだろう、二人の家族のことなのだから話してくれても良いのにと想う反面、やっぱり自分は柾人の家族ではないのだろうかとほんの少しの諦めが顔を覗かす。

 もう一緒にいて七年になるけれど、信頼して貰えないのだろうか。

 もしかしたら朔弥といるのは、彼の叔父が怪我をさせた責任を取っただけなのだろうかと、少し悲しい気持ちになる。職場ではない安堵感からそのまま面に出た。

「どうした、朔弥!!」

 慌てて柾人が寄ってきた。酷く心配そうだが、すぐにその頭を和紗が殴った。

「理由も分からないのか、愚か者がっ」

「……って、和紗ちゃん酷いだろ! なんなんだ一体!」

「逆ギレするな、阿呆。お前の勝手な行動でどれだけ山村くんが心配したと思っているんだ」

 言えない朔弥の代わりに和紗が怒鳴りつける。しかもしっかりとデジタルビデオカメラを柾人に向けて。怒りを露わにしている和紗を宥めようと言葉を掛けるがすべて片手で払われてしまった。

「お前が何も言わずに勝手なことをすれば、山村くんが心配するとは考えなかったのか」

「それは……」

「いつまで独身気取りだ? ちゃんとした相手がいるならホウレンソウは当然のことだろう、何一人でこんなところにいるんだ」

「あの、和紗さん……オレもう大丈夫ですから」

「山村くんもです。もっと自己主張しなさい。自分の立場をよく弁えてください、あなたは倉掛の唯一の家族ですよ。その立場を最大限この男に振りかざして良いのです」

『唯一』という言葉が重く朔弥の心にのしかかる。

 事故で両親を亡くした柾人にはもう血の繋がった家族はいない。兄弟もいない柾人にとって朔弥は戸籍上では一番近い存在となるだろう。だが血の繋がりはない。それが朔弥がしっかりと自分の不安を拭いきれない原因だ。だから想っていたよりも帰る時間が遅かっただけでこんなに動揺してしまうんだ、心変わりをしたのではないかと。

 不安に駆られて自分を助けてくれると分かっているところに訴えるのだ、卑怯にも。

「すみません……」

「もともと山村くんが自己肯定感が低いのは分かっています。それをきちんと認識し不安にさせないのは倉掛の使命ではないのですか……そうしたくて山村くんを自分の籍に入れたいと聞いたが、私の記憶違いだったか」

 一気にまくし立てた和紗に、戸籍上親子である二人は項垂れて聞くしかなかった。

「それから倉掛、『毛皮を着替えて帰ってくる』とはペットを亡くした飼い主へのお悔やみの言葉とワンセットだ、本当に帰ってくるとは限らない。半年経ったからといってペットショップに並ぶ保証もない。そんな言葉に縋り付いて何をしようと言うんだ」

 残酷な真実を伝えて、満足したのか和紗がしょんぼりとしている柾人の顔をしっかりとデジタルビデオカメラに収めてからペットショップを出ていった。

 店内に残された二人はどうして良いか分からずにそのままでいるしかなかった。

 ガラス張りの囲いに入れられた子犬や仔猫が興味津々にこちらを見つめてくる。

 なんとか場の雰囲気を和まそうと顔を上げたとき、朔弥はある猫と目が合った。

「あれ?」

 柾人が先ほどまで相手をしていたのとは違う、ひどく懐かしい印象をもった眼差しをしていた子だ。

 ふらりと近寄ってみれば、見上げてくるつぶらな瞳がとても懐かしかった。仔猫特有の丸い目元だけというわけではなく、こちらをじっと言葉もなく見つめてくるところや、ほんの少しだけ諦観が混じっているところがそっくりだ。

 それまで少し遠巻きにしていた店員が朔弥の様子を見て近づいてきた。
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