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第二章

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 彼が何で不安になり何で喜ぶのか。どうすればその心の憂いを晴らせるのか。もう自分のことばかりに目を向けている時期は過ぎた、これからもっと積極的に柾人の心と向き合わなければ。

 戻ってきた報告書をどうすればいいのか戸惑っている柾人の腕に指先を触れる。

「っ!」

 過剰に身体を反応させた柾人はやっと朔弥を見てくれた。その目は少しの怯えと巨大な不安をどうしていいのか分からない様子で、すぐに視線を反らそうとする。彼の違和感を朔弥が気にしているおが分かったのか、取り繕おうとしてどうしていいかを見失っている。

「こんなオレのこと、嫌いになりましたか?」

「そうじゃない」

 声すら弱々しい。

「面倒ですか?」

「そんなはずがないだろう」

「じゃあなんでオレを見てくれないんですか?」

「それは……」

 僅かに逃げようとするその手に指を絡ませた。出かけるとき、迷子になるからといつも柾人が当たり前のように手を繋いでくるから意識したことがなかったが、自分からしたのは初めてだ。いつも受け身になってなにかしらの期待をしながら相手に求めるのはもうおしまい。

 本当に欲しいのなら自分で動かなければ。ポジションだけではなく柾人自身に対しても。

 絡めた指が離れないようしっかりと握り込み、泳ぐ視線をしっかりと捕らえる。

「オレの何が嫌で目も合わせてくれないか、はっきり言ってください」

 家族にすらこうしてはっきりと言うことを諦めたせいで今回の件が起きてしまった。沈黙してずっと従っていればいいと自分を押し殺していた。でもそんな自分からは卒業だ。何も努力しないままただ愛されるのを待っていてはいけないんだ。

 それを嫌と言うほど思い知った。

 朔弥が何も言わないから兄も父もあそこまで思い上がってしまったのだ。もっと自己主張をすれば良かったのに、それを放棄した自分にも責任はある。だからこれからはきちんと自分の気持ちを相手に伝えなければいけない。

 特に柾人には。ほんの少し前まで互いに意見をぶつけ合うのではなく、察して受け止めて欲しい、そればかりを求めていた自分だった。

 じっと見つめてくる朔弥に根負けしたのか、柾人は詰めていた息を吐き出した。

「ダメ、なんだ……」

「なにがですか?」

「私のせいでこんな目に遭わせてしまったのに、それでも君が欲しい……手放すことができないんだ。もしあいつが出所してまた君に危害を加えることがあったら後悔するのが分かっているのに、それでも傍にいて閉じ込めてしまいたくなる……目を合わせたら朔弥を抱き潰してこの部屋から出られないようにしてしまいそうだ……ミーのように」

 なぜこの人は、こんなにも自分が求めている言葉を紡いでくれるのだろうか。その面には苦悩が浮かびずっと辛かっただろうに、朔弥は嬉しくて舞い上がりそうになる。

 自分から一歩を踏み出し、柾人との距離を詰めた。相手が逃げないように手を僅かに引きながら。

 戸惑う柾人が新鮮で、いつも自分をリードする大人の余裕を失った素のままの彼の姿が愛おしくて守りたくなる。

「そういう柾人さんをもっと見せてください……もっとオレを欲しがってる柾人さんを教えてください」

 また一歩距離を詰め、いつも自分を包み込んでくれる厚い胸板に額を当てる。

「抱き潰してください……でもオレは柾人さんに閉じ込められるのは嫌です」

「あぁ分かってる、私がおかしいのは」

「違います。守って貰うんじゃない、一緒に歩いてオレも柾人さんを守って助けたいんです。それじゃ嫌ですか?」

 お姫様のように守って貰うだけの人生では柾人の負担になるだけだ。

「オレ、もっと強くなります。もっともっと柾人さんが不安にならないようにします……だから隣を歩かせてください」

 愛されずずっと自信がなかった子供のままではいられない。今まで実感はなかったけれど、以前からサーシングには敵が多いと聞かされていた。兄や柾人の叔父のようなことをしようとする輩も世の中にはたくさんいるのだろう。柾人は常に危険と隣り合わせだと言うことだ。

 心が疲弊して当たり前の彼を守り癒やせる存在になりたい。

 ただ寝ているしかない病院でずっと考えてきた。

 もし可能なら簡単な格闘技を咲子に頼んで習わせて貰おう。そうすれば少しは役に立てるだろうか。

「……なぜ君は離れようとしないんだい? あんな目に遭ったのに」

「柾人さんがオレに愛し方を教えてくれたからでしょ……柾人さんを愛してるから、離れたくない……」

 背伸びをし、きつく結ばれた唇にキスをする。

 積極的な朔弥に驚いてまた僅かに離れそうになる身体を、繋いだ腕で引き留めてから指を放し抱きしめる。愛しい気持ちを込めて。

「絶対に柾人さんのこと、離しませんから。だから弱い柾人さんもオレに見せてください、いつも格好いいふりしなくていいんです。オレの前でだけはもう飾らないでください。少しでも柾人さんの負担を減らせる相手になりますから、離れようなんて考えないでください」

 だからありのままの柾人を見せて欲しい。

 見上げれば酷く困った表情の柾人がそこにいた。

 なぜそんな顔をするのだろうか。何も言ってくれない彼から言葉を引き出すにはどうすればいいのだろうか。どうすれば彼の心を晒してくれるのだろう。

 どうすれば対等な人間として朔弥を見てくれるのだろうか。

 もっともっと力を付けたら、そのうち変わるのだろうか。

 自分にも蕗谷や和紗に見せるような顔をしてくれるのだろうか。

 今まで努力してこなかったことを悔いた。

「私は朔弥を守りたいんだ。誰にも傷つけさせたくないんだ……」

「それはオレも同じです。あの人みたいなのが来ても柾人さんが傷つかないように守りたいんです。そんなオレではダメですか?」

「……ダメなわけがない」

 やっと柾人の手が朔弥の腰へと回った。いつものように身体が隙間もないくらいに合わさり、柾人の体温が布越しに伝わってくる。

 病院では手を繋ぐことでしか味わえなかった熱いくらいの温もりに、久しぶりに直に嗅ぐ柾人の匂い。それに包まれると心がどこまでも甘く温かくなっていく。ただ抱き合っているだけなのに幸せだと感じてしまう。こんな甘くも身体を震わす存在は柾人だけだ。

 傍にいるだけで心が満たしてくれるのは、彼だけ。

「私の傍にいればまたこんな酷いことをされるかも知れないのに、朔弥を離せないのは私だ。こんな私でいいのかい? 嫌いにはならないのか」

「嫌いになるはずがありません」

 もう一度自分から背伸びをして口づける。

 合わせるだけのはずが、強く抱きしめられ、唇を割られる。肉厚の舌が歯列をなぞり奥にある舌を絡ませてくる。

「んっ」

 貪るような濃厚さで欲しがられ、応えれば身体の奥が熱を持ち始め、いつも柾人を受け入れる蕾の奥が切なくなる。どこまでも朔弥を食い尽くそうとするその貪欲さが嬉しくて、退院したばかりだけれど自分から欲しがるように腰を擦り付けてしまう。

 激しいのに甘いと感じるのは、誰よりも柾人を愛しているから。遭難者が水を欲しがるようにすべてを欲しがられると、骨の髄まで溶けてしまいそうだ。

 久しぶりのキスでドロドロに溶けた身体を抱き上げられ、寝室へと運ばれる。

 そんな二人をドーム型のベッドからチラリと見た猫は、やっと静かに過ごせるとばかりに、腹を見せながらぐーっと伸びをし、そのまま目を閉じた。
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