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第二章
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個室なのをいいことに、みな一通り騒いで豪華な花と暇つぶしの本やお菓子を残してあまり長居することなく帰って行った。まだ仕事が立て込んでおり、昼休みを使って来てくれたようだ。
それを後で知ってさりげない気遣いに感謝してしまう。自分達の食事よりも朔弥への見舞いを優先してくれたのだから、今度何かでお礼しなければ。
のんびりとした入院生活で時折見舞客が来るくらいで順調な回復を見せた朔弥は、きっちり二週間後には退院を告げられた。
毎日のように柾人は見舞いに来てくれたが、本当に体調の心配をするばかりで、事件のその後や兄たちがどうなったかを全く教えてはくれなかったから、自分が何のために入院しているのかをつい忘れてしまうほど、穏やかな日々を過ごしていた。
顔や腹にできた痣も随分と薄くなった頃ようやく家に帰った朔弥は、変わらないマンションの中である一点だけが随分と変わったことに驚いた。
「あれ、これミーですよね」
老猫が以前に比べて随分と太り毛艶も良くなっているように思える。しかも常に気怠そうにしていたはずなのに、幼かった頃を思い出させるように動きが少し良くなっている、ような気がする。
この二週間で一体何があったのだろうかと柾人を見れば、申し訳なさそうな表情でこちらを見ようともしない。
「柾人さん、何かしたんですか?」
「……申し訳ない。ずっと二人で一緒だったのでつい……甘やかしてしまった」
どう甘やかしたのだろうと頭をひねりながらリビングへと入れば、以前はなかった大量のおやつに、さらにグレードアップしたキャットフードが置かれてある。そればかりか、電気仕掛けのおもちゃやぬいぐるみ、それに猫じゃらしまで増えていた。キャットタワーだけだった猫スペースが一層豪華になっており、壁にはキャットウォークまでできていて甘やかしのレベルが桁違いなのが分かった。
「いくらなんでも……」
「君がいない寂しさをミーで紛らわせていたら、こうなってしまった。申し訳ない」
艶やかな毛並みになった猫がするりと朔弥の足に顔を擦りつけた後、優雅な足取りで自分用にと設けられたドーム型のベッドへと入っていく。まるでずっとこの家にいるかのような自然さで。
たった二週間いなかっただけで随分と充実した生活を送っていたようだ。
「……いえ、オレがいない間、ミーのことを大事にしてくれてありがとうございます」
折れるしかない。こうやって猫の世話をすることでしか心を落ち着かせられなかったのだから。朔弥に言えるのは感謝だけだ。突然連れてきた猫を自分よりも可愛がってくれた柾人にこれ以上何を言えというのだろうか。
「君の方はもう大丈夫なのか?」
退院の手続きでゆっくりと会話をすることがなかったからだろう、ようやく落ち着いた空間に戻ってやっと聞けたといった風情だ。いつになく気を遣われているのが分かる。今回の事件に柾人の叔父が関わったからだろう。責任感の強い彼のことだから、自責の念に駆られているようだ、和紗と同じように。
「もう痛みはありません。医師からも内臓の損傷はないのを確認して貰いましたし、平気です」
まだ若干痣が残っているが、それだっていつか消えるだろう。例え傷が残ったとしても朔弥は男だ、女性のように悲観することは何もない。
「すまなかった、君を巻き込んで」
「何を言ってるんですか。柾人さんは何も悪くないです。それに、オレの兄もあそこにいたんですよ、あの人が何もしなくてもオレはきっと怪我をしてました」
そう、結果は同じだ。兄だけだったとしても自分は暴力を振るわれただろう。自分の意の通りに朔弥を動かすためなら何をしてもいいと考えるような人間なのだから。
「和紗から連絡があった。弁護士が君の両親に逢いに行ったそうだ」
「随分と早いですね」
入院中に話を進めておくと言われていたが、もう両親にまで逢いに行ったのかと感心してしまう。その報告書が渡された。
主観の混ざらない弁護士の報告は酷い物だった。
兄が逮捕されたことに狂乱した父がひたすら朔弥を詰り、分籍する旨を告げれば掴みかかってきたらしい。母はひたすら兄が可哀想だと泣き、朔弥が我慢して言うことを聞いていればこんなことにはならなかったと繰り返していた。まさに地獄絵図だ。そんな中でもしっかりと接近禁止命令の話をしたのだからさすがとしか言いようがない。
いつの間に裁判所からそれを取ったのかすら朔弥には分かっていなかったが、動いてくれた弁護士をはじめ、忙しい中で対応してくれた和紗にも感謝しかない。
おまけのように怒り狂った父から絶縁状が渡されたのまでオプションのように貼り付けてあり、そっと胸を撫で下ろした。気位ばかり高い父は自分からこれを出したならもう二度と朔弥の前に姿を現すことはないだろう。
「相変わらずだな、父さんも母さんも」
それ以上の感慨はない。何一つ想像に難くない行動に苦笑しか漏れない。
拘留中の兄にも同様の命令が出ていることを告げ、こちらは発狂して掛けていたパイプ椅子を蹴り飛ばし、面会者とを隔てるアクリル板を何度も殴り続け取り押さえられたそうだ。未だに自分がしたことの何が悪いのかを理解していないようで、嘆息が漏れる。
跡取りとしてそれこそ蝶よ花よと育てられたお山の大将からしたら当然の行動だろう。弁護士に対して申し訳なくなる。いつかその考えを改めてくれればいいと思いながらも、もう二度と会いたくはなかった。きっと刑期を終え実家に戻ればまた変わらない日々を彼らは過ごすのだろう。朔弥の存在がなくても。
自分がいるべき場所はもうあそこではない。
報告書を柾人に渡して礼を言う。
「柾人さんありがとうございます。和紗さんにも直接お礼が言いたいんですけど……」
「それには及ばない。朔弥は気にしないで今まで通りの生活を続けてくれ……咲子様も心配している」
咲子の名前が出たということは、朔弥と唯がしていることが知られたのだろう。だが慌てる気持ちはなかった。
「……咲子様にも唯さんにも迷惑を掛けてしまいましたね」
今まであまり負の感情を露わにしない柾人が、悲しそうに笑った。隠し事をしていた朔弥はギュッと心が締め付けられた。
「隠し事をしてごめんなさい」
「いやいい……詳細は唯くんと咲子様に聞いた。私のためにしてくれたことだ、止めるほうがおかしい」
いつもと柾人の雰囲気が違っているのを感じながら、そういえば帰ってきてから目を合わせてくれないことに気づいた。それどころか、触れようともしない。
何かに怯えているようで、その何かが全く掴めない。
分かるのはいつもと違う、それだけだ。
(オレ、もっと柾人さんのことを知らないと駄目だ……)
それを後で知ってさりげない気遣いに感謝してしまう。自分達の食事よりも朔弥への見舞いを優先してくれたのだから、今度何かでお礼しなければ。
のんびりとした入院生活で時折見舞客が来るくらいで順調な回復を見せた朔弥は、きっちり二週間後には退院を告げられた。
毎日のように柾人は見舞いに来てくれたが、本当に体調の心配をするばかりで、事件のその後や兄たちがどうなったかを全く教えてはくれなかったから、自分が何のために入院しているのかをつい忘れてしまうほど、穏やかな日々を過ごしていた。
顔や腹にできた痣も随分と薄くなった頃ようやく家に帰った朔弥は、変わらないマンションの中である一点だけが随分と変わったことに驚いた。
「あれ、これミーですよね」
老猫が以前に比べて随分と太り毛艶も良くなっているように思える。しかも常に気怠そうにしていたはずなのに、幼かった頃を思い出させるように動きが少し良くなっている、ような気がする。
この二週間で一体何があったのだろうかと柾人を見れば、申し訳なさそうな表情でこちらを見ようともしない。
「柾人さん、何かしたんですか?」
「……申し訳ない。ずっと二人で一緒だったのでつい……甘やかしてしまった」
どう甘やかしたのだろうと頭をひねりながらリビングへと入れば、以前はなかった大量のおやつに、さらにグレードアップしたキャットフードが置かれてある。そればかりか、電気仕掛けのおもちゃやぬいぐるみ、それに猫じゃらしまで増えていた。キャットタワーだけだった猫スペースが一層豪華になっており、壁にはキャットウォークまでできていて甘やかしのレベルが桁違いなのが分かった。
「いくらなんでも……」
「君がいない寂しさをミーで紛らわせていたら、こうなってしまった。申し訳ない」
艶やかな毛並みになった猫がするりと朔弥の足に顔を擦りつけた後、優雅な足取りで自分用にと設けられたドーム型のベッドへと入っていく。まるでずっとこの家にいるかのような自然さで。
たった二週間いなかっただけで随分と充実した生活を送っていたようだ。
「……いえ、オレがいない間、ミーのことを大事にしてくれてありがとうございます」
折れるしかない。こうやって猫の世話をすることでしか心を落ち着かせられなかったのだから。朔弥に言えるのは感謝だけだ。突然連れてきた猫を自分よりも可愛がってくれた柾人にこれ以上何を言えというのだろうか。
「君の方はもう大丈夫なのか?」
退院の手続きでゆっくりと会話をすることがなかったからだろう、ようやく落ち着いた空間に戻ってやっと聞けたといった風情だ。いつになく気を遣われているのが分かる。今回の事件に柾人の叔父が関わったからだろう。責任感の強い彼のことだから、自責の念に駆られているようだ、和紗と同じように。
「もう痛みはありません。医師からも内臓の損傷はないのを確認して貰いましたし、平気です」
まだ若干痣が残っているが、それだっていつか消えるだろう。例え傷が残ったとしても朔弥は男だ、女性のように悲観することは何もない。
「すまなかった、君を巻き込んで」
「何を言ってるんですか。柾人さんは何も悪くないです。それに、オレの兄もあそこにいたんですよ、あの人が何もしなくてもオレはきっと怪我をしてました」
そう、結果は同じだ。兄だけだったとしても自分は暴力を振るわれただろう。自分の意の通りに朔弥を動かすためなら何をしてもいいと考えるような人間なのだから。
「和紗から連絡があった。弁護士が君の両親に逢いに行ったそうだ」
「随分と早いですね」
入院中に話を進めておくと言われていたが、もう両親にまで逢いに行ったのかと感心してしまう。その報告書が渡された。
主観の混ざらない弁護士の報告は酷い物だった。
兄が逮捕されたことに狂乱した父がひたすら朔弥を詰り、分籍する旨を告げれば掴みかかってきたらしい。母はひたすら兄が可哀想だと泣き、朔弥が我慢して言うことを聞いていればこんなことにはならなかったと繰り返していた。まさに地獄絵図だ。そんな中でもしっかりと接近禁止命令の話をしたのだからさすがとしか言いようがない。
いつの間に裁判所からそれを取ったのかすら朔弥には分かっていなかったが、動いてくれた弁護士をはじめ、忙しい中で対応してくれた和紗にも感謝しかない。
おまけのように怒り狂った父から絶縁状が渡されたのまでオプションのように貼り付けてあり、そっと胸を撫で下ろした。気位ばかり高い父は自分からこれを出したならもう二度と朔弥の前に姿を現すことはないだろう。
「相変わらずだな、父さんも母さんも」
それ以上の感慨はない。何一つ想像に難くない行動に苦笑しか漏れない。
拘留中の兄にも同様の命令が出ていることを告げ、こちらは発狂して掛けていたパイプ椅子を蹴り飛ばし、面会者とを隔てるアクリル板を何度も殴り続け取り押さえられたそうだ。未だに自分がしたことの何が悪いのかを理解していないようで、嘆息が漏れる。
跡取りとしてそれこそ蝶よ花よと育てられたお山の大将からしたら当然の行動だろう。弁護士に対して申し訳なくなる。いつかその考えを改めてくれればいいと思いながらも、もう二度と会いたくはなかった。きっと刑期を終え実家に戻ればまた変わらない日々を彼らは過ごすのだろう。朔弥の存在がなくても。
自分がいるべき場所はもうあそこではない。
報告書を柾人に渡して礼を言う。
「柾人さんありがとうございます。和紗さんにも直接お礼が言いたいんですけど……」
「それには及ばない。朔弥は気にしないで今まで通りの生活を続けてくれ……咲子様も心配している」
咲子の名前が出たということは、朔弥と唯がしていることが知られたのだろう。だが慌てる気持ちはなかった。
「……咲子様にも唯さんにも迷惑を掛けてしまいましたね」
今まであまり負の感情を露わにしない柾人が、悲しそうに笑った。隠し事をしていた朔弥はギュッと心が締め付けられた。
「隠し事をしてごめんなさい」
「いやいい……詳細は唯くんと咲子様に聞いた。私のためにしてくれたことだ、止めるほうがおかしい」
いつもと柾人の雰囲気が違っているのを感じながら、そういえば帰ってきてから目を合わせてくれないことに気づいた。それどころか、触れようともしない。
何かに怯えているようで、その何かが全く掴めない。
分かるのはいつもと違う、それだけだ。
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