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第二章

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「違う、関係ないっ! オレはなにもしてないっ」

 頭を上げて必死に訴える男に怒気を抑えられない。こいつが朔弥に何かしたのだろうか。あの時、自分からすべてを奪っただけでは満足せず、今の自分からも奪おうというのか。しかも何よりも大事な朔弥を……。

 会社で再会したときよりも憎しみが増大して、嬲り殺してやりたくなる。

「倉掛、そいつは気にしないで警察に任せるんだ。早くこっちへ」

「あ……あぁそうだな」

 そうだ、今はこんなやつに構ってる場合じゃない。

 彼らがいたという場所にある柱に、なにかが縛り付けられているのが暗闇でも分かった。携帯のライトを点ければぐたりと大きな人形が倒れそうになっている。人形は見覚えのある服を身に纏っていた。

「朔弥っ!」

 慌てて傍に寄り紐を解こうとするが、固く結ばれた綱は手ではちぎれない。

「ちくしょうっ」

「今切ります!」

 探偵事務所のスタッフが携帯している十徳ナイフを取り出して紐を切り始める。

 それほど太くはない紐はすぐに切れ、朔弥の身体が倒れ込むのを慌てて抱きかかえた。

「朔弥……朔弥っ!」

 何度呼びかけても反応がない。くたりと柾人の腕の中に倒れ込むだけだ。その身体をしっかりと抱きしめ急いで生存を確かめながら、蕗谷を見た。

「蕗谷、救急車!」

「もう呼んでる。大丈夫、死んでないから、呼吸は確認してある」

 冷静な蕗谷の声に怒りがこみ上げる。

「なぜもっと早くに朔弥を助けないっ」

「捕り物劇の最終に傷を増やさないようにだよ。心拍も呼吸もある、あと僕たちができるのは救急車を呼ぶことだけだろう」

「もしその間に朔弥の容態が悪くなったらどうするんだっ!」

「だとしても、医療の専門家じゃない僕たちが勝手に動かさない方が賢明なのは確かだよ。まぁ落ち着きなよ倉掛」

「落ち着いていられるかっ! 朔弥がこんなに傷つけられて落ち着いてる方がおかしいだろ!」

「まぁそりゃそうだけどねぇ……あぁ救急車が来たみたいだよ」

 警察が取り押さえた二人をパトカーに乗せるために開いた扉に急いで抱き上げた朔弥を建物の外へと運び出す。担架を持った救急隊員が近づいているのが見えた。

「まずはこちらに乗せてください」

 朔弥を渡し担架に横たえれば、今まで暗闇の中では見えなかったその全身が、ヘッドライトに映し出される。

「っ!」

 そのあまりの姿に柾人は息をのんだ。コートを纏っていて気づかなかったが顔は腫れ所々青痣になり血が流れ、コートも足跡がたっぷりとついている。

「あのやろぉ……」

 憎しみが一層募っていく。警察の手に渡っていなければすぐにでもこの手で朔弥にしたのと同じくらい……いや、それ以上に痛めつけてやったのに。もうあの頃の無力な子供じゃない。嬲って嬲って、死んだ方がましだと思うようなことを存分にしてから、指を一本一本そぎ落としてやりたい。

 司法さえ介入しなければ。

 険しくなる柾人に蕗谷が背中を押す。

「倉掛ぇ変なことはなるべく考えないでね。お前はサーシングの社長になるんだ、そういうのはうちに任せればいいから」

「……なんのことだ」

「隠さなくても分かるよ。長い付き合いだからね……任せておけ」

 なにをとは絶対に言わないだろう。だが蕗谷の残酷性は誰よりも知っている。彼の掌中の珠を傷つけた男がどうなったのか……。なじみの探偵社とは別のいわゆる『組織』とも懇意にしている蕗谷一族が、生半可な最期を送らせてはやらないだろう。

「君はとにかく山村くんの傍にいてやれ。後始末は僕がつけるからね」

 にこやかに、会社にいるときと変わらない笑みを貼り付けているが、その中は随分とドロドロとした感情だろう。

 ドンッと背中を押され、仕方なく救急車へと乗り込む。目映いばかりの光を放つ車内で、朔弥がどれほど痛めつけられたかが映し出されている。コートを剥ぎ取られ怪我の様子を確認する救急隊員の横で、ただひたすら無事を祈るしかなかった。

(朔弥……朔弥っ!)

 蕗谷家と懇意の大病院に運ばれた朔弥はすぐに病院スタッフによって検査と処置を進められていった。その間、柾人はただ祈りながら座って待っているしかなかった。日付が変わりようやく病棟に移り説明がなされた。

 暴行の跡は身体中にあるが、内臓損傷と行った命に関わる怪我はなかったこと。だが随分長い時間嬲られていたようで心の傷を心配した方がいい、とも。そのためしばらく入院させ様子を見るという。本人には告げずに。

 今は痛み止めと共に投与しているため、目が覚めるまで苦痛はないだろうと言うことだった。

 その結果に安心しながらも、ベッドに横たわっている朔弥の顔を見ればまた心配が募っていく。見るも無惨なほど、顔は腫れ上がり触れるのが怖くなるほど身体中も醜い痣だらけとなっている。

「朔弥……」

 ずっと後ろ手に縛られたその手首には赤い綱の跡がくっきりと残っている。

 酷く辛いことをされて怖くなり自分から離れたいと考えたとしても当たり前の彼が、もし柾人の存在すらも拒んだなら、自分はそれを受け入れることができるだろうか。そんなとこが頭を過る。誰よりも大切で手放したくない、一生を縛り付けたいと感じるほど彼を愛してしまった柾人に、果たしてこの手を放すことができるだろうか。

 柾人のせいでこれ程までに辛い思いをさせてしまったのに。

「すまない、朔弥……本当にすまない」

 やはり温情などかけるべきではなかった。会社を訪ねてきたあの日、すぐにどことも取引ができず金を借りることもできないように手を回したが、命だけはと手を緩めた自分の甘さを悔いる。もっと徹底的に死を選ぶほどの制裁を加えればよかった。あの傲慢で卑怯な男を野放しにするべきではなかったのだ。

(殺してやる……)

 暗い感情が柾人の心を埋め尽くしていく。そして誓うのだ。

 もう二度と誰にも朔弥を傷つけさせない。どんな手を使っても未然に防ぐし、もしそれが敵わなかったとしたら、想像を絶する制裁を加えてやると。

 同時にこれからは朔弥にも監視を付けておかなければ……例え別れたとしても。

「朔弥……朔弥っ」

 力ないその手をひたすら握りつつ、ひたすら彼が目を覚ますのを待ち続けた。
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