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第二章

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 朔弥が攫われた。

 そう教えてくれたのは蕗谷だった。唯から慌てた電話が来て内容を読み解いたところ、咲子が代表を務める慈善団体の事務所側で朔弥が二人組の男に襲われ車で連れ去られたと。慌てた唯はすぐに事務所にいるスタッフに助けを求めたが、人手が多くはない事務所では動くことができず、すぐに警察に連絡をしたが、それでも内容に不明な点が多すぎて犯人を追うことができないでいた。

 だから急いで朔弥の携帯のGPSを追ったが、郊外の車通りの多い国道脇の植え込みに投げ捨てられていた。

「ちくしょう……」

 朔弥が大事にしていた携帯を握りしめ苦々しく呟いた柾人をチラリと見て、蕗谷がメールで何かを打ち込んでいる。

「倉掛、心当たりは?」

「そんなのありすぎて見当も付かない……」

「最近連絡が来ている変なヤツはいるか?」

「……だとしたら叔父だな。だがあいつは朔弥が男だと分かっていないはずだ」

「それはどうかな? 一応当たらせよう」

「済まない。唯くんがせっかくナンバープレートを覚えてくれていたのに、何で見つからないんだっ!」

「レンタカーじゃどうしようもない。相手も随分と準備していたんだろうね、こんなにもスムーズにや。ったと言うことは」

 名前も知らないビルの壁に凭れながら、行方の知れない朔弥を心配しすぎてじっとなんてしてられない。腕を組み無意識につま先でトントンと地面を叩き苛立ちを落ち着かせようとする柾人の様子を蕗谷が冷静に観察していく。

「警察も動いているし、探偵にも依頼している。間もなく何かしらの報告が入るはずだよ。今焦ってもしょうがない」

「分かってる……が、落ち着いてなんかいられるか!」

 だがどこをどう探せばいいのか全く分からない。頼みのGPSも機能しないとなると、八方塞がりだ。本当に叔父が誘拐したのかも分からない今、無駄な動きを控えた方がいいのは分かっていても、この周囲をしらみつぶしに探し回りたくなる。

「なんであんなところに朔弥が……」

「どうやら母が声をかけたらしいよ。唯に経営を学ばせるために山村くんを巻き込んだって」

「咲子様がっ!?」

 朔弥と咲子が逢ったのは秋に清里に行ったときのただ一度だけ。気に入ったと名刺を渡してそれを丁寧にしまったのは覚えている。だが、なぜ二人が会ったのかが全く分からない。

「唯が言うには、正月に母が山村くんに逢いたがっていたから連絡を取ったそうだ。その時山村くんから奨学金の話が出て母が援助する代わりに経営を勉強しろと言われ了承した、と。二人で僕たちに隠していたんだねぇ」

 奨学金?

 なぜそれが必要なのだと言おうとしてハッとした。

『家族と……縁を切りました』

 年末にとても寂しそうにそう呟いた朔弥。幼い頃から兄と区別され虐げられていた彼が、心の呪縛から解放されるために執った手段だ。だが、次男と言うだけで虐げて当たり前だと思う連中に彼の心は分かるまい。当然、そんなことを言い出した朔弥の学費を出すはずもないだろう。

「……相談してくれたらよかったのに」

「山村くんはそれが嫌だったんだろう。もっとビジネスライクな場所から借りたかったのかも知れないな。どうしても倉掛は甘やかすからねぇ恋人を」

「うるさいっ」

「浮気調査じゃあるまいし、恋人のGPSですぐに位置確認ができるようにしているなんてよっぽどだと思うよ」

「いいだろっ、朔弥だって了承してくれているんだ」

「山村くんがいいんだったら僕がとやかく言うことじゃないけど……だけど困ったね」

 なにがとは言わない。誰が何のために朔弥を誘拐したのか。サーシングに関わる者なのか、それとも子供を取り上げられたと憤る咲子の慈善団体への恨みか。もっと個人的な内容なのかも掴みかねている。捜査範囲が広すぎて動けない今、ただ連絡を待つしかない。

「山村くんの親御さんに連絡は必要かい?」

「……それが分からない。連絡先は一応調べたが、心配させるのも申し訳ないし……」

「まずはなんて名乗ったらいいか分からないからね。恋人じゃ驚くだろうねぇ」

 柾人を揶揄ってくるが蕗谷も落ち着かないのだろう。なんせ、サーシングや咲子が絡んだ事件なら彼が一番重責を感じるだろう。飄々としているように見えて誰よりも責任感が強い。これで朔弥に何があったら、躊躇いもなく朔弥の両親に頭を下げるだろうし、柾人が考えているよりもずっと残酷な最期を相手に与えるだろう。

 組んだ腕に飾ってある時計で時間を確認すれば、唯から連絡が入ってからもう三時間が経過している。

「はぁ……どこにいるんだ」

 呟かずにはいられない。それで彼の行方が見つかるはずもないと分かっていても。

 見上げればもう日が傾き、無味乾燥なビル群をオレンジに染め上げている。人の通りも多くなり、ひっきりなしに車は走り抜けていく。そんなごく当たり前の光景を見つめながらも心を落ち着かせる助けにはならなかった。

 大学受験の時でも、会社が上場の直前でも、こんなに緊張したことはない。いや、ここまで緊張したことなどあるだろうか。寒い中佇んでいるのに、手には汗が浮かんでいる。

 唯が見たのは朔弥に似た人間で、案外この周辺を携帯を探すために歩いているのではないかと、僅かな期待を込めて周囲を見回していく。

「おっと?」

 蕗谷の携帯が鳴り、すぐさまそれに出る蕗谷と相手の会話に耳を立てる。

「ああなるほどね……分かった。そこにいるのかい? 分からないか……一応こちらも向かうよ」

「何があった」

「レンタカーが発見された。けれど周囲に人の気配がないそうだ。ナンバープレートで所有会社が分かったから今警察に連絡している」

「……個人情報保護法か、面倒だな」

「まあそういうなって。あれで守られている人間も多いからね。情報開示できる警察にそこを託して僕たちはレンタカーが置かれた場所に行ってみよう」

「そうだな」

 ここでじっとしていてもできることなどないだろう。

「行こうか」

 通りを走っているタクシーを拾い、探偵が教えてくれた場所へと向かえば、随分と古い団地群だ。使われなくなって久しい痛みが所々に見え、解体を待ってはその費用が工面できないといった風情である。

「これは……」

 こんな何もない場所に乗り捨ててあるのは不自然だ。柾人と蕗谷が到着するのを待っていたのか、会社が懇意にしている探偵事務所の顔なじみの職員が車の傍で佇んでいる。わざわざ繋ぎの服を身につけているのは、犯人たちが戻ってきたときに不審がられないためだろう。
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