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第二章

13-2

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 しかも頭が次第に真っ白になって視界から景色が消えていく。

(なっ……んで……? 助けて……)

 助けを呼びたいのに、どんどんと遠のく意識の中で身体から力が抜け落ちて次第に床に近づこうとする。同時に男がしゃがみ込ませないように力を入れていくから余計に首が絞まり、朔弥から意識を奪っていく。

(た……すけ……て……)

 慈善団体の事務所が目前にあるからと手を差し伸べても、次第に真っ暗になっていく視界が自分の手すらもぼやけさせる。そしてついに力が抜けて意識も失う寸前にこちらを驚きの表情のまま見ている唯の顔が見えた、ような気がした。

 視界はどんどんと狭まり、ついには世界すべてが闇へと変わっていった。

 そして次に目が覚めたとき、朔弥が見たのはコンクリートむき出しの床だった。

「いっ」

 僅かに身体を動かすだけで頭痛が走る。

 なんでだ? こんなところを傷めるようなことを何かしただろうかと考えながら、痛みに歪んだ視界で必死に眼球だけ動かし周囲を見れば、家具などなにもない天井すらもコンクリート剥き出しの空間に柱だろうか、酷く硬い感触がするものに縛り付けられていた。ドラマの中に出てくるような廃ビルにいるようだ。コンクリートと窓以外はなにもない。しかも窓の枠は分かっても埃がびっしりと付いたガラスではここがどこだか確認することができない。

 どうして自分はこんなところにいるのだろうか。

 大学を出て慈善団体の事務所に向かう前に見つけたチョコレートの店に入ったことまでは覚えている。とても甘い匂いを鼻孔いっぱいに嗅いだ記憶まではあるが、その先があまり思い出せない。

 確か事務所に行こうとして、いつものように近道を使おうと人通りの少ない細い道に入ったことは覚えている。

「ぁ……」

 そうだ、そこで自分は誰かに腕を掴まれすぐに口を塞がれ、ようやく頭を駆け巡る痛みの原因を思い出した。薄ら笑いをしながら迷いもなく殴ってきた兄。

 未だにそこが痛くて痛くてしょうがなかった。

「な……んで? いっ」

 口を動かすだけでまた世界が回るような感覚と痛みが襲いかかってくる。

 窓から差し込んだ光が赤味を帯び、随分と傾き始めたのを知らせてくれるが、その光が目に当たるだけで痛みを引き起こしては、視界を赤で覆い尽くされる。痛みがまた思考を妨げうまく回らない。

 ただ言えるのは、兄の顔が幼い頃と同じような残忍さを宿していたことだ。

(何であそこに兄さんが……?)

 大学からずっと後を追ってきたのか、それとも……と考えてまた痛みで停止する。なるべく頭を動かさないように目覚めたときと同じ態勢でいるが、どれほどの時間こうしていたのか分からないが随分とあちこちが痛くなっている。

 日の傾き方で日没までそれほど時間はないかも知れない。だとすると殴られてから三時間くらいが経っただろうか。

 ひたすら痛みを堪え続ければ、人の声と同時に足音が近づいてきた。

(一人じゃないんだ……)

 逃げる可能性を考えていたが、身体を動かすのが難しく頭すら少しでも傾かせればめまいを起こすような状況ではとても無理だ。相手は一体何人いるんだ。

 まずは大人しくして彼らの狙いを探ろうと、意識を取り戻したことを隠すために目を閉じ身体の力を抜いた。

「おい、本当に死んでないだろうなっ。殺されちゃオレの計画が台無しなんだよ」

「うるせーっ朔弥が暴れるからだ、オレが悪いわけじゃない! あんたが口を塞いだのが悪いんだろ、あいつはオレの命令に絶対服従なんだよ」

「なにが絶対服従だ、お前みたいないけすかねぇ兄貴から逃げ出したんだろ。可哀想にな」

 聞きたくもない兄の声にかぶせるようにして、随分と粗雑ながら傲慢さが覗える年配男性の声がする。この男が自分の口を塞いだ人間だろうか。他に仲間はいるのだろうか。静かにして気配を覗う。

「おっさん、なんか勘違いしてないか。あんたがどうしてもっていうからこんなやり方になったんだぞ。こいつはオレの弟なんだからなにしたっていいけど、あんた違うだろ」

 弟だからといって物のように扱うのは相変わらずだ。年末のあの日、なぜ朔弥が彼らを拒絶したのか理解していない様子に、内心で溜め息を吐く。その傲慢さや自己中心的な態度がどこまで周囲を不快にさせているだろうか。

 だが一緒にいる男も随分と傲慢な人間のようだ。

 地方訛りはないが酷く横暴な物言いで、まともな仕事をしている人間のようには感じられない。ただ、その声に聞き覚えはあった。どこだったが思い出せないのがもどかしい。

 少しでも顔を見れたらすぐにでも思い出せるだろうが、じっとしていると決めた今、誰なのかを確認するのは悪策のように感じる。

 もっと彼らの話を耳にしてからだ。

「はっ、オレだって用があるんだよ。こいつのせいであいつが言うことを聞かないからな。さっさとあんたが家に連れ帰りゃこっちは助かるんだが、どうなんだ?」

「連れ帰る前にもう一回躾ける必要があるんだよ。家長に逆らうのがどういうことかちゃんと教えてやんなきゃな」

「そういう兄貴ってヤツが一番嫌われるんだよ。お前ら『兄貴』ってヤツはそういうところが分かってないから人間が小さいんだよ」

「なんだと、おっさん!」

「まぁオレは自分の目的が達成できりゃこいつがどうなろうが関係ないがな。それにしても女だと思ってたから、お前を見つけ出すのに時間がかかったぜ」

 ガハガハと笑う下品さに、気づかれないように唇の内側を噛む。酷く父と兄に似通った人間だ。だから共にいるのだろうか。だが男の目的が分からない。朔弥でどんな目的を達しようというのだろうか。こんな年配な人間に心当たりはない。

「まさか朔弥がホモだったとはな……だからオレの命令聞けなかったわけだ」

「それでこっちも困ってんだよ、なにが男同士だってんだ。あいつは昔女抱いていたんだぞ。絶対にこいつのせいだっそうじゃなかったら……くそっ」

 床を蹴ったがそれでも苛立ちが収まらないのか、乱暴な足音が近づいてきた。思わず奥歯を食いしばれば、案の定苛立ちを抱えた男は力任せに朔弥を蹴った。

「ぃっ……」

 僅かな覚悟はあったが、それでも実際に衝撃を受ければどんなに堪えても声が漏れてしまう。頭の痛みと同じ方向の腕が熱くなった後に痛みに変わる。

「起きたか。おい兄ちゃん、こいつをどうにかしろよ」

 もう寝ているふりを隠せなくて仕方なく目を開ければ、自分の前にしゃがんでいると目が合った。

「あなた……」

 まさかという思いで口を開けば、男は傲慢な様子を隠さずニヤリと唇の片方だけを上げて笑った。

「オレのこと、覚えてるか」
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