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第二章

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「なんだって、朔弥がバイトを辞める!?」

「ええ、どうやら資格の勉強に集中したいようなの。随分と気持ちが落ち込んでいるんですって。詳細は聞かなかったけど、知っているか?」

 和紗からの報告を受けて柾人は眉間に皺を寄せた。

 彼がここしばらく落ち込んでいるような仕草を見せるが、原因はアレしかないだろう。大晦日の夜に聞いた家族との諍いが原因としか考えられない。

 正直、その話を聞いて朔弥の家族に怒りを覚えたものだ。これ程に繊細で清麗な心を、いとも簡単に踏みにじれるものだ。本来であれば子供を守る立場にある母親までがコウモリのように動き回っては、彼が心を疲弊するのは当たり前だ。

 その中でも口にしていたように柾人のために働きたいと願っての決断であれば、ここへと引き戻すのは可哀想だろう。

 なにせ和紗が提示した条件は無謀としか言い様がない。たった一年半で資格を十五以上取れというのだから。それはシステムの専門的資格から経理関係や経営に関してまで多岐にわたっている。

 蕗谷も和紗もどのポジションに朔弥を置くつもりなのかを柾人には隠しているせいで、その資格の多さに驚いたほどだ。

「分かった……」

「倉掛は知っているんだな、山村くんの事情を。ならいいが、開発部への説明は任せた」

 ヒールの音を響かせながら出て行こうとする和紗を呼び止める。

「そこは任せては駄目か……」

「社員たちに恨まれるのは嫌に決まってるでしょ。そうでなくても先月山村くんがいなかったのは倉掛のせいなんでしょ。責任は取ってちょうだい」

 暴動が起きるのが分かっていて、和紗は早々と常務室を後にした。

 当然だが和紗は、朔弥が咲子に引き込まれ子飼いになったのは知っている。だが先月朔弥がいなかったことで開発部は殺伐とした仕事となった社員達の恨みを一身に買いたくはない。すべては、有能な朔弥の力を過小評価しては囲い込もうと動く柾人が悪いのだと責任をなすりつける。

「しばらくあのことは、倉掛にも社長にも言わない方がいいわね」

 小さな独り言を聞くものは誰もいない。

 まさかこの会社の重鎮の恋人たちが二人とも咲子の掌中にあると知ったら、発狂のあまり仕事にならなくなるだろう。

「教えるのはいつにしようかしら」

 その時期が楽しみだと思いながら、新しい取引のカードを手に入れた和紗は、仕事でやつれてはいても上機嫌だった。

 反して、あれほどアルバイトでも朔弥がサーシングに入ることを反対していた柾人は頭を抱えていた。確かに年末の忙しい中、朔弥に酷いことをして避けられるようなことをしたのは自分だが、恋人同士のもめ事に平気で口を挟む社員たちからこれ以上恨まれるのは避けたい。だが言わざるを得ないのだろう。

「開発部が暴動を起こさないといいのだが……」

 起こる未来しか想像できなくて、柾人は嘆息した。なにせ社長に呼応してか、個性的な社員が多くいるサーシングは、相手が常務であろうが平気で目の前で批判してくるのだ。

 そんなメンバーをよくまとめて可愛がられる朔弥はやはり、魅力的と言えるだろう。

 ストレスが溜まると分かっていると、人間は僅かな現実逃避を求めてしまう。

 パソコンの画面を切り替え、忙しい朔弥の負担にならないために、食材ではなく、半調理したものへと切り替えるよう発注をかけつつ、こっそりと閲覧していたペットサイトで猫用のおもちゃを購入する。

「本物にそっくりなサンマのぬいぐるみか……なに、腹にマタタビを入れると一層食いつきがよくなる……なるほど」

 生まれて初めてのペットに、実は夢中であるなど周囲は気づかないだろう。もう老猫で遊ぶ時間よりも眠っている時間の方が長いが、それでも初めての種族の異なる家族に、見つめるだけの柾人もメロメロになっていた。

 何かを欲しがるわけではないのに側で寄り添う姿がまるで朔弥に似ていて、可愛がらずにはいられない。

 少しでも長生きするために高級なキャットフードを購入し、ついでとばかりに自動で掃除までしてくれるトイレと浄水機能が備わった自動給水器、見守りカメラ付きの自動給餌器の注文ボタンを押した。

 そして夕方の説明で予想通り社員からの集中砲火を浴びた柾人が疲れて帰れば、いつものように食事の用意が終わった朔弥と共に老猫も出迎えてくれた。

「お帰りなさい……あのっ」

 気遣わしげにこちらをみる朔弥に微笑みかける。

「和紗から聞いた。資格の勉強と大学の勉強に集中するそうだね、大変だけど大丈夫かい? 私に手伝えることはあるかい?」

 朔弥がほんの少しだけ困ったように眉尻を落とした。アルバイトを辞めることへの罪悪感からだろうか、少し疲れたような顔が色っぽいと感じてしまう。

「あまり無理はしないように。来週からは食材も焼いたり煮たりで完成する半調理のものが届くようにしておいたから、今は勉強に集中しなさい」

「はい……ありがとうございます」

 伏せた目が長いまつげを強調させる。

「大学の勉強も大変になってきているのかい?」

「あ、はい……試験が今月末からあります」

「そうか。あまり無理をしないように……」

「はい」

「食事のあと、朔弥を可愛がる時間を貰えるだろうか」

 近頃はこうして朔弥の了承を取り付けてから二人で睦み合う。彼を無理矢理に犯すなどという愚行を起こさないため、すべて彼の意思を優先する。断ってもいいのに、そういう話をすれば頬を赤く染め俯きながらも決して拒まない。

「はぃ」

 恥ずかしげに小さな返事を塞ぐと、いい加減にしろとばかりに猫が「ミャー」と鳴く。自分も構って欲しいと言っているようで、その小さな頭を撫でてから寝室へと向かえば、 朔弥がパタパタと廊下を走り、食事の配膳へととりかかり、柾人が着替えてダイニングへと向かえば温かい栄養バランスのよい食事が並べられ、二人と一匹で堪能してから、その後は恋人の美しい艶姿を存分に堪能するのだった。
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