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第二章

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 地元の銀行に就職して、そこで稼いだ金を彼らのために使われ、ただ愛情も尊敬も思いやりもない実家にこの身を捧げたくはない。

 家族の縁を切ってでもやりたいことがあった。

「オレ、それじゃ嫌だって欲が出たんです」

「それはどんなものなんだい」

「……ただ愛されるだけじゃ嫌なんです。柾人さんの役に立って堂々と隣に立てて……柾人さんが絶対に手放せないくらいの人間になりたいんです。プライベートだけじゃなく仕事面でも」

 だから和紗や蕗谷が提示した道に乗ったのだと。

「無力で言われるがままの、昔と同じじゃ駄目なんです。オレが柾人さんの助けになれる存在になりたいんです」

「……君は馬鹿だ」

 柾人と同じほどに孤独な存在を抱きしめた。ずっと彼には違和感があった。愛されたがりの寂しがり屋。その上で誰かの嗜虐心を煽るのは暴力を受けることに馴れていたからなのだろう。

 一層自分のやったことを悔いた。自分だけはどこまでも彼を傷つけない存在でいなくてはならなかったのに。

「こんな男にすべてを捧げるというのか……君に怪我をさせた私を……」

「オレが選んだんです、柾人さんを。多分柾人さんに捨てられたらオレ、生きていけません」

 分かったんです、本当の意味で。

 そう言った朔弥は柾人の腕の中で本当に幸せそうに笑った。同時に柾人の中に今まで以上の愛おしさが湧いた。彼が幼い頃に受けた悲しみや苦しみを忘れるほど愛したい。二度と彼が傷ついたりしないように、悲しまないように守りたい。そして誰よりも慈しみ愛するのは自分だ。この傷ついた心のすべてを包み込むのを他の誰にも譲りたくはない。

「君に酷く乱暴なことをしてすまなかった。こんな私だが、まだ朔弥の側にいることは許されるだろうか」

 希(こいねが)えばクスリと綺麗な顔が笑みをたたえる。

「柾人さんの側にいたいのはオレの方です……まだ何の力もないオレですけど、側にいていいですか?」

「君がいい……君だけがいいんだ」

「ありがとうございます、柾人さん」

 久しぶりの口づけは両頬を包み込み逃げられないようにしてたっぷりとその唇を味わった。少し肉の薄い唇の感触も甘い口内も可愛い声を奏でる舌もたっぷりと味わい、愛しい朔弥をキスだけで溶かしていく。時折漏れる吐息も甘く柾人を翻弄していく。

 抱き合ってキスをする、ただそれだけで気持ちも身体も昂ぶっていく。今日はなにも考えずにただこうして朔弥を貪っていたい。彼がこの腕に戻ってきたことを実感するために。朔弥も同じように溶けたようで、柾人へと無防備に身体を預けては、愛らしくシャツを掴んでくる。

 そのいじらしい仕草が一層柾人を興奮させる。

 すぐにでもその体温を、自分のものだと確かめたくなる。

 唇を離せば潤んだ眼差しが柾人を見つめてくる。

「ベッドに行こうか」

 二人が互いを慈しむための場所へと誘おうとして、だがまたしてもか細い猫の鳴き声に邪魔された。

「あっ、ミーにこと忘れてた! ごめんどうしたの」

 リビングの扉を開ければ痩せ細った猫は甘えるように朔弥の足に身体を擦りつけている。何かを訴えているのかただ甘えているのか、柾人には分からなかったが、随分と痩せ細った猫が朔弥と同じに見え、つい口を出してしまう。

「お腹が空いたのかい?」

 問いかければまた「ミャー」と返事をするかのように鳴いた。

「あっ、気づかなかった。ごめんね、ミー」

「……ミーは君の家族なのかい」

「はい。いつの間にか軒下にいて。そっから居着いた猫なんです」

 随分と可愛がっているのが声音と眼差しで分かる。だが犬すら飼ったことがない柾人にはどうしたらいいか分からないし、この家には動物のためのものがなにも存在していない。だが、朔弥の大切なものを自分も大切にしたいという気持ちになっていた。

 本人だけいればそれでいい、と考えていた自分が少しだけ変わったのが分かった。

 携帯で検索して、老猫にあう手作りのご飯を用意する。朔弥がいない間、なにも作る気にならなかったせいで冷蔵庫には多様な食料が残っている。その中にあるもので適当に作って冷ましてから猫の前に置けば、近所の寺から除夜の鐘が響き始めた。

「ぁっ」

 隣で柾人の作業を見ていた朔弥が小さな声を上げた。この家で誰かと年を越したのは初めてだ。ガツガツと遅い夕食を貪る猫から彼に視線を移せばとても嬉しそうに朗らかに笑っている。

「あけましておめでとうございます」

「あぁ。あけましておめでとう。これからもよろしく」

 こんな当たり前の挨拶を、年明け早々にするのは何年ぶりだろう。思い起こせば会社を興して毎日のように泊まり込んでいている頃以来だ。それももう十年以上前だし、一緒にいたメンバーは皆死相が浮き上がっていた。

 こんなにも穏やかな新年の挨拶をしたのはもしかしたら両親がいた頃以来かも知れない。

「君も、あけましておめでとう。君のための居場所を作らないといけないな」

 もう一度猫に視線を向ければ、食べ終わった皿を綺麗に舐めている。よほど腹を空かせていたのだろう。だが食事をさせて終わりではないのは、動物を飼ったこともない柾人にも分かる。

 だが新年を明けたばかりのこの時間に開いている店は限られている。

「コンビニに猫の用品は置いてあるんだろうか」

 気にもしたことがなかったからどれほどのものがそろっているか分からない。

「行きましょう」

 朔弥がさっき脱がしたコートを再び羽織るのを見て、今まで硬かった自分の顔が緩むのを感じる。その自然体が自分をどれほど和ませているかなど彼は分かっていないだろう。

「そうだな。行こうか」

 玄関横にあるクローゼットからコートを取り、今度は鍵を忘れずにポケットに入れて二人で玄関を出る。

 こうして並んでエレベータに乗るのも久しぶりだ。以前は休日毎に一緒に出かけていたのが懐かしく感じる。離れていた時間は一ヶ月もなかったというのに。

 エントランスを出れば、年明けの冷たい風が吹き付けてくる。手袋を付けていない朔弥の白い手が暗闇の中でも赤くなっているのが分かる。ポケットに入れることをしない朔弥の手を握りしめれば驚きにこちらを見て、すぐに俯いた。うなじまで赤くなっているのは分かっている。この半年、手を握ることなど何度もあるのに未だに馴れないその仕草が愛らしくて愛おしくて、ところ構わずに抱きしめたくなる。だが人目のあるところで恥ずかしがり屋の恋人は小さくなってしまうのも分かっているので、冷たくなった手をトレンチコートのポケットにしまう。そのため身体が密着した。
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