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第二章

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 気怠い身体となるのはよくある。たっぷりと愛し合った翌日はいつも腰が重く、歩くのもままならなくなることがよくある。その鈍い痛みすら幸せで、ベッドの中で柾人の体温を感じて微睡むたびにどれだけ愛されているかを実感しては、甘い恥ずかしさに悶えていた。

 けれど、今日は違う。

 同じ立てない状態であるのに、目を覚ました瞬間から身体の痛みと相まって悲しみが押し寄せてきた。

 この痛みは初めてではない。初めて身体を許した人は、自分の快楽のためだけに朔弥の身体を使った。どんなに痛くても声を上げることすら許されなくて、痛いだけのセックスの後は一人でこっそりと泣いていた。

 それと同じ痛みが今、身体に広がっている。少しでも身体を動かせば表現しがたい痛みが駆け上り表情を歪ませる。こんなセックスもある、ということを忘れていた。それまでがとても慈しまれていたから。愛されていると実感する交わりには痛みはなく、ひたすら愉悦ばかりが存在していた。腰のだるさですら愉悦の名残でしかない。

 朔弥はたった一人のベッドでほろりと涙を零した。

「い……たい」

 身体だけじゃない、心までもが。

 自分の言葉が何一つ柾人には届かなかった。伝えたかったのは、もっと頼って欲しい、それだけだ。自分だって男で、ただ柾人に可愛がられ愛されるだけではなく、自分の足で立ち隣を歩きたい。彼が疲れたならその背中を撫で、倒れそうになったなら支え、何かをなくしたなら一緒に探して。そんな関係になりたいのに、すべてを否定され、ただの愛玩物になれと言われているような気がした。

 同時にやっと分かった。

 会社の女性陣がなぜあそこまで口々に罵ったかを。

 柾人が望んでいるのは、この部屋でただ柾人の帰りを待つだけの存在。それだったら朔弥でなくてもいい。ペットで充分まかなうそれを望んでいる。

 その違いが悲しくて悔しくて……自分にとって柾人はかけがえのない存在でも彼には違うのかと目の当たりにした気持ちだ。

 声を上げずに泣き続けた。それは小さい頃からしていたこと、慣れていること。声を上げればその分だけ殴られるのを知っているから、必死に奥歯を噛み締め声を殺した。

 僅かでも漏らさないようにすれば、涙は声の代わりにどんどんと溢れ出る。

(やっぱりオレって……誰からもいらない人間なんだ)

 好きになった人にも、本当に愛した人にも弄ばれていたんだ。その事実が悲しくて悲しくて、朔弥のボロボロの心は傷を深くしながら、流れ出る血を止める術を持たずにそのまま眺めているしかなかった。市川に別れを告げられたときよりももっと大きく深い傷は、おびただしい量の血を流し、それが涙となって外へと溢れ出る。

 朔弥には止めることができなかった。

 子供の頃のように身体を縮込ませて自分の身体を抱きしめたくても痛みでできない。

 それが辛くて悲しくて、なにも感じない人形になってしまいたいと願ってしまう。人形なら、柾人からどんな扱いを受けても傷つかない。大事に腕の中に抱きしめられても、ボロボロにされ捨てられても、心は揺れない。

 燦々と太陽が差し込む部屋でただ一人泣き続けた。

(死んじゃいたい……もう嫌だ)

 なのに、どうしてだろう好きという気持ちが枯れない。愛しい感情が消えない。昨夜のことを思い出してもあの温かい手を求めてしまう。低い声で名前を呼んで欲しくなる。今ここにいて抱きしめて慰めて、話を聞いて欲しい。そう願う一方で怖くて逃げ出したいと思ってしまう。またあんな風に抱かれたら心が死んでしまいそうで、本当になにも感じない人形になってしまう。

 自分が望んでいるのは対等なパートナーだ。

 こんな関係じゃない。

 薬指に嵌まった指輪はそのために贈られたんだと思っていた。側にいて、互いに支え合うための誓いだと思っていた。

(でも違ったんだ……そう思ってるの、オレだけだったんだ……)

 だから、余計に悲しい。

 泣いて泣いて、時計を見ようとゆっくりと身体を動かそうとするが、また激痛が走り抜けた。

「ぐっ……」

 小さな呻き声と共にきついくらいにシーツを握りしめる。

 その小さな音にリビングから走ってくる音がした。

「朔弥、大丈夫か!」

 リビングに続いているドアが勢いよく開いた。

 大好きで大好きで仕方ない声を耳にしたのに、朔弥はきついくらいに布団を握り込んだ。昨夜の狂気を思い出して指が震える。

 何度も止めてと訴えたのに聞き入れて貰えなかった悔しさ、何度も許しを乞うたのに唇を塞がれた恐怖が心を窄ませ怯えさせる。

「朔弥……泣いていたのかい……すまない」

 枕に残ったシミを見つけたのだろう、いつも自分を慈しんでくれた大きな手が黒髪をゆっくりと撫でてきた。

「やっ!」

 怯えた心に反応して身体がビクリと震えた。

「っ……すまない」

 愛しい手がゆっくりと離れていく。それが本当は悲しいのに引き留める言葉が喉に突っかかって出てこない。代わりに布団を握りしめる力が強まる。

 本能が昨夜の行為に怯え、なのに心が柾人を求めるアンバランスさを自分で受け止められず戸惑う。

「痛いのかい? ……いや、痛いはずだ。本当に申し訳ない、朔弥」

 いつもの柾人だ。昨夜の狂気を孕んだ彼ではない。分かっていても受けたばかりの傷が素直に存在を受け入れられない。今まで積極的に、または消極的に自分を傷つける人ばかりが側にいたから、どうしていいのか分からない。傷ついているのに心はまだ柾人を信じたいのか、その熱を求めている。反して身体はまた乱暴をされるのではないかと拒んで手を伸ばすことすらできない。

 そんな朔弥を前にして柾人もなにもできないのか、詫びる言葉ばかりを口にするが、触れてくることはなかった。

 不器用な優しさが嬉しいのか悲しいのか自分でも分からない。

 ただ布団を握りしめた手は震えるばかりだ。

「酷いことをしてすまなかった。ただ許してくれるなら、薬を塗らせてくれないかい」

 無理矢理に繋がった場所は酷くなっているだろう。それは朔弥が一番よく分かっている。早く薬を塗らなければ何日も起き上がることができないのも、経験で知っている。でも、そんなに酷いことをされたにもかかわらず、一度も触れられないのに遂情した淫らな身体だ、もしそこに柾人の指が触れたらじっとなんてできない。

 傷を癒やすための動きに反応して悦んでしまうのが嫌で、そんなみっともない自分を知られるのが嫌で、頑なに顔を隠した。

 反応をしない朔弥に、柾人は小さく嘆息をするだけだった。

「ここに薬を置いておくから……自分で塗れないようなら呼んでくれ」

 カタリとサイドテーブルに塗り薬を置いて部屋を出て行った。

 朔弥に対する配慮だと分かっていても、悲しかった。

 とうとう柾人にまで見捨てられたんだと、自分の行動を棚上げしてまた涙が零れた。顔も見たくない仕草をしておいて、本当に出て行かれれば泣く。自分の心から生じた矛盾なのに、なぜ気づいてくれないのだと八つ当たりしてしまいそうになる。
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