上 下
26 / 110
第二章

5-3

しおりを挟む
 冷静にそこまで見てから、朔弥は強く柾人の拳を上から包み込んだ。すぐに柾人の手が動き痛いくらいに朔弥の手を握りしめる。

「なにが言いたいのか分かりませんが、お断りします」

「なんだと! オレがこれ程譲歩してやっているのに断るとはどういうことだ!!」

「お断りします。もうそちらとは全く縁のない人間です。私の存在は今までのように忘れてくださって構いません」

「なっ、オレは兄貴の忘れ形見のお前のことをいつも心配してやってたんだぞ!」

「ではなぜ、私の名前を一度も呼ばないのでしょうか。もうお忘れじゃありませんか?」

「っ!」

 鉄面皮の柾人と違い、冷静さがない男はすぐに顔を真っ赤にして苦々しい表情を浮かべては、何度も口を開けたり閉じたりを繰り返してる。必死で次の言葉を探そうとしているのが手に取るように分かる。

 柾人の父の会社を乗っ取ったと言っていたが、こんなに考えていることが顔に出る高慢な男が、果たして仕事ができるのか疑問だった。

 朔弥が見てきた経営者はサーシングの面々だけだが、好意的な表情を浮かべはするがなにを考えているか悟らせない技術を持っている。今だって怒鳴り散らしたいはずなのに、柾人も和紗も表情一つ変えず冷静な口調で相手の反応を見ている。

(なにか、凄く切羽詰まった匂いを感じる……この人は何がしたいんだろう)

 柾人を助けられる自分になるため、努めて冷静に相手を観察していった。

「叔父に向かってその言い方は何だ! 恥ずかしくないのか!!」

 怒鳴ることで相手を萎縮させようとしているのだろうが、それが悪手だと分からないのだろうか。怒鳴っても相手が自分に屈しないのが気に入らないのか、声がだんだんと大きくなる。

「それほど大声を出さなくても聞こえます。今日お見えになった目的を端的に仰ってはいかがでしょうか」

「そんなことも分からんのか! 娘がお前を気に入ったからそれを許してやるって言ってんだ。こんな馬鹿にくれてやるにはもったいないくらいなんだ! 有り難く思え!!」

「それが目的ではないでしょう。はっきり仰ったらどうです」

「だーかーらっ」

 ドンッと男はテーブルを叩いた。上に乗っている紙コップが僅かに浮き上がる。

「会社の経営が危うくなっているから資金繰りにここの株をよこせ。私にはそう聞こえますが」

 足を組み替えいつもの淡々とした口調で和紗が言葉を発した。

「本題はそこではないのですか、倉掛康二さん。赤字の補填がとうとう立ちゆかなくなり銀行からの新たな貸し付けも断られている。担保となっている会社と住居が危うい状態で、存在を思い出した甥にすべての責任を押しつけようと調べたら上場企業の常務取締役に収まっているのを発見。これ幸いに娘をあてがうと言って株式を巻き上げて売り払おうという魂胆、ですか。杜撰な計画ですね」

 一切の感情を乗せない物言いに、男の顔が赤黒くなった。

「会社のことなど理解しとらん小娘が、分かったようなことを抜かすなっ!」

「そうですか。ここはそんな人間が経営をしている会社です。ご希望には添えないようですので、お引き取りください」

 さも自分が代表であるかのような対応をする和紗の出方を覗う。

「なんだ、お前さんが社長なのか。これは申し訳なかった。結構な美人じゃないか」

 さっきは年増呼ばわりしていた男は、すぐさま掌を返したように笑顔を浮かべ、だが自分が上位にいる姿勢を崩そうとしない。自分の甥と同じ年代の女に舐められないための虚勢だろうが、随分と下種な物言いになっている。

 本当に柾人の親族なのだろうかと訝しんでしまうほどだ。

 また朔弥は自分の無力さを思い知る。

 学生であること、なにも社会的な武器を持っていないことが、こんなのももどかしいのか。そして、柾人の隣に立つというのがどれだけ険しいかを思い知る。

 朔弥の目にだって小物のように映る男に立ち向かう術を持っていないのに、実際に柾人たちが相手にしている経営者たちとどう向き合えばいいのか分からない。

 必ずしもこちらに好意を持っている相手ばかりではないのは先のパーティで知った。周囲は敵だらけだと社長である蕗谷にも教わっている。

 知識として知っているだけだった自分を目の当たりにして、立ち尽くしてしまう。

 その向こうにある、取るべき行動がなにも理解できていない。

(オレ……これで本当に柾人さんを助けられるのか?)

 ただがむしゃらに資格の試験勉強と大学の勉強に打ち込んで、本当に入社してから動けるかどうか不安が大きくなる。

 開発部にいる社員たちのようにプログラミングの知識もなければ社会経験だって不足している。こんな自分がどうやって経営者の一人である柾人を助けようとしているのか。

 漠然としたものが本当は形がないことに気づいた朔弥は愕然とするしかなかった。

 その間も話し合いは続いている。

 不安で自分もまた握った手の力を強めた。そうしなければ不安に押し流されそうでどうしようもない。

「結婚ですか。それがあなたの持ちうる唯一の武器、ということがよく分かりました。ただし、私にはすでにパートナーがおります。あなたの提案は受け入れられません」

「誰だそれは!」

「この状況でおわかりにならないのでしたら、とんだ節穴ですね」

 そこで初めて男が第三者へと目を向け、朔弥も顔を上げた。憎しみを込めた眼差しが真っ直ぐに朔弥を捉えるが、怯まずしっかりと顔を上げた。ギュッと柾人の手が、気持ちを支えてくれるようにしっかりと合わさる。

「そんなチャラチャラした小娘がなんだというんだ!」

 小娘と言われ、自分が化粧をしているのを思い出す。

(あっ……女だって思ってるんだ)

 なら逆に好都合だ。声を発したら男だと分かってしまうだろうから、口を閉ざしたままそっと柾人に肩を寄せた。男女がするような恋人らしい振る舞いをわざと見せつける。

「結婚という手段は諦めてください。なにより、ご息女はこの内容に賛同なんでしょうか。そのお腹に恋人との子供を宿しているのに」

「なんだと……」

 初めて男が女性へと顔を向けた。俯いた彼女の顔は分からない。だが僅かに肩が震えているように見えた。

「それは本当なのか、綾!」

 女性は答えないままただ沈黙を貫いたが、それは肯定を意味していると誰もが分かっていた。

「オレの許可も取らずに、ふしだらなことをしたのか、この馬鹿が!」

 挙げた手は躊躇うことなく女性の頭に力強く落ちた。

「きゃっ」

 悲鳴と共に女性の頭がテーブルに打ち付けられる。

「ここでの暴力はご遠慮ください」

「うるさい! 自分の娘を躾けてなにが悪いんだ!」

『息子を躾けてなにが悪いんだ!』

 男の言葉と呼応するように記憶が蘇る。

 容赦なく上がる手。それを見て嗤う声。かばいもせず部屋から出て行く足音。それらがフラッシュバックする。

『お前みたいな愚図はオレの子じゃない! オレの息子は勝弥だけで充分だっ』

 お決まりの言葉が何度も朔弥の心を抉っていく。血が出てなにも感じなくなるまでずっと、当たり前のように傷つけていく。泣いても助けてくれる人はいない。蹴られて転がった身体が壁にぶつかり、何かが床に落ちればまたそれに怒り蹴られることの繰り返し。

 身体を丸めなければ胃液が出るまで吐く羽目になる。いやというほど学習したからいつも身体を丸めて終わるまで耐え続けていた。

 その光景すべてが頭の中に蘇り、身体中の血が引くのが分かった。

 グワングワンと真っ白になった頭の中に壊れたスピーカーのような音がこだましていく。

 男はこちらのやりとりを見る余裕もないまま、先ほどまでは大事に育てたと言っていた自分の娘を殺す勢いで殴り続けている。頭を守るのではなく必死に身体を丸めお腹を庇う姿に、そこに大切なものが宿っていることを教えてくれる。

「ここでの一部始終は撮影されています。今の暴力を警察に提出することもできますがいかがなさいますか、倉掛くらかけ康二こうじさん」

 警察という言葉を耳にしてやっと男の蛮行が止まる。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

平凡な俺が双子美形御曹司に溺愛されてます

ふくやまぴーす
BL
旧題:平凡な俺が双子美形御曹司に溺愛されてます〜利害一致の契約結婚じゃなかったの?〜 名前も見た目もザ・平凡な19歳佐藤翔はある日突然初対面の美形双子御曹司に「自分たちを助けると思って結婚して欲しい」と頼まれる。 愛のない形だけの結婚だと高を括ってOKしたら思ってたのと違う展開に… 「二人は別に俺のこと好きじゃないですよねっ?なんでいきなりこんなこと……!」 美形双子御曹司×健気、お人好し、ちょっぴり貧乏な愛され主人公のラブコメBLです。 🐶2024.2.15 アンダルシュノベルズ様より書籍発売🐶 応援していただいたみなさまのおかげです。 本当にありがとうございました!

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

【BL】男なのになぜかNo.1ホストに懐かれて困ってます

猫足
BL
「俺としとく? えれちゅー」 「いや、するわけないだろ!」 相川優也(25) 主人公。平凡なサラリーマンだったはずが、女友達に連れていかれた【デビルジャム】というホストクラブでスバルと出会ったのが運の尽き。 碧スバル(21) 指名ナンバーワンの美形ホスト。博愛主義者。優也に懐いてつきまとう。その真意は今のところ……不明。 「僕の方がぜってー綺麗なのに、僕以下の女に金払ってどーすんだよ」 「スバル、お前なにいってんの……?」 冗談? 本気? 二人の結末は? 美形病みホスと平凡サラリーマンの、友情か愛情かよくわからない日常。

初夜の翌朝失踪する受けの話

春野ひより
BL
家の事情で8歳年上の男と結婚することになった直巳。婚約者の恵はカッコいいうえに優しくて直巳は彼に恋をしている。けれど彼には別に好きな人がいて…? タイトル通り初夜の翌朝攻めの前から姿を消して、案の定攻めに連れ戻される話。 歳上穏やか執着攻め×頑固な健気受け

強制結婚させられた相手がすきすぎる

よる
BL
ご感想をいただけたらめちゃくちゃ喜びます! ※妊娠表現、性行為の描写を含みます。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

極上の一夜で懐妊したらエリートパイロットの溺愛新婚生活がはじまりました

白妙スイ@書籍&電子書籍発刊!
恋愛
早瀬 果歩はごく普通のOL。 あるとき、元カレに酷く振られて、1人でハワイへ傷心旅行をすることに。 そこで逢見 翔というパイロットと知り合った。 翔は果歩に素敵な時間をくれて、やがて2人は一夜を過ごす。 しかし翌朝、翔は果歩の前から消えてしまって……。 ********** ●早瀬 果歩(はやせ かほ) 25歳、OL 元カレに酷く振られた傷心旅行先のハワイで、翔と運命的に出会う。 ●逢見 翔(おうみ しょう) 28歳、パイロット 世界を飛び回るエリートパイロット。 ハワイへのフライト後、果歩と出会い、一夜を過ごすがその後、消えてしまう。 翌朝いなくなってしまったことには、なにか理由があるようで……? ●航(わたる) 1歳半 果歩と翔の息子。飛行機が好き。 ※表記年齢は初登場です ********** webコンテンツ大賞【恋愛小説大賞】にエントリー中です! 完結しました!

【完結】国に売られた僕は変態皇帝に育てられ寵妃になった

cyan
BL
陛下が町娘に手を出して生まれたのが僕。後宮で虐げられて生活していた僕は、とうとう他国に売られることになった。 一途なシオンと、皇帝のお話。 ※どんどん変態度が増すので苦手な方はお気を付けください。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。