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第二章

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 師走の忙しさに、サーシング株式会社の開発部は死屍累々という言葉にふさわしく、定例の三時の昼寝を過ぎても起き上がる者は僅かしかいなかった。一様に目の下にクマを作り、ふらふらしながらプログラミング言語を打ち込んでいる。

「み……皆さん大丈夫ですか?」

 恐る恐る声をかけても返事はない。経理からは経費精算の締め切りが迫っているから忘れないよう釘を刺されている朔弥は、この状況ではとてもじゃないがそんな話をしても誰も聞いてくれないことは容易に理解した。

 そんな状況じゃない。まさにその一言に尽きる。

 だからといってアルバイトの朔弥にできるのは、忙しいみんなのためにポップアップで告知を流すことだけだ。それだって本来は上役の仕事であるが、開発部部長の和紗かずさがあまりにも多忙なため、引き受けてしまった業務である。

 どさりと重い鞄を定位置になっているテーブルに置いてパソコンを立ち上げれば、仕事の進捗や工数が大量に届いていた。それをすべてエクセルにまとめて和紗の決済を貰うため社内システムに乗せる。そんな細々とした仕事の合間に資格の勉強に取りかかる。

 簡単な資格の試験が今月に三つあり、できるだけ一回で合格するために何度も試験問題を見直す。いくら会社が費用を出してくれるとは言え、その費用はできる限り抑えたいと考えてしまう。

 オフィス系ソフトの扱いもようやく慣れ、大学帰りから定時までの短い時間にやるべきことをどんどんとこなしていく。その頭の隅には今日の夕食の献立を考えて手順を復習ってとフル回転させていた。

 大学にいるよりもサーシングにいる方がずっと頭を動かしているような状況だ。

 徐々に死に体のメンバーが一人また一人と起き上がり、パソコンを起動させては呻き声が漏れる。面倒な経費精算のポップアップを見て落ち込んでいるようだ。

 その一人一人に声をかけ手伝っていくと、大量の段ボールを台車に乗せた和紗が開発部に戻ってきた。

「和紗さんお疲れ様です」

「丁度良かったわ。山村くん、これ運ぶのを手伝ってください」

 部長席の横の長机に重たい段ボールを置き中を開ければ、朔弥には縁のない甘い匂いがぶわっと立ちこめた。

「なんですかこれ……お化粧品?」

「社長のご母堂からの陣中見舞いです。毎年この時期に届くのですが、量が年々多くなって困ってます」

 すぐに頭の中に咲子の顔が思い浮かぶ。

「山村くんは逢ったことがありますか?」

「あ、はい……。シルバーウィークに偶然」

「そうですか、では紹介する手間が省けましたね。咲子様が代表を務めている会社の商品です。受け取った者は必ず商品のレポートを書くルールとなっているので、年明けに集計をお願いします」

「わかりました……それにしても凄い量ですね」

 女性がどれだけ化粧品を消耗するか分からない朔弥には、段ボール五箱の大量の化粧品を前に呆気にとられる。

「これは開発部の分だけだ。他の部署にも色々と届いている」

「そんなに贈ってくださるんですね……本当に商品のレポートのためだけなんですか?」

「山村くんは鋭いですね。当然そんなことをしなくてもいいのですが、ここにはかなりの数、咲子様にお世話になった者がいます。その者たちへの歳暮の意味も込められているのです」

 あぁと頷いた。咲子が行っている慈善事業を思い出す。

「和紗さんも援助を受けられたのですか?」

「私は違うが、咲子様とは妙に馬が合って、可愛がって貰ったのは確かです」

 広げた段ボールから商品を次々に取り出し、カテゴリごとに分けていく。化粧水や乳液といった基礎化粧品を並べ終えれば次はファンデーションやリップなどを一つ一つ並べていく。

 すべてがテーブルに乗ってから和紗が大きく手を叩いた。

「咲子様からの差し入れだ。各自好きなものを好きなだけ持っていっていいが、必ずレポートを提出すること! レポートは社内システムで山村くんに送ってくれ」

 その言葉に死にそうな顔だった女性社員たちがわっと湧き、我先にと化粧品へと群がる。

「奥方や彼女に持っていってもいいが、レポートは忘れるな」

 男性社員にも一声かけてまた、和紗は忙しそうに開発部の部屋から出て行った。近頃デスクで作業しているのを見なくなったように思う。年末は何かと忙しいのだろうか。

 パラパラと男性社員もやってきたが、皆苦々しい表情だ。

「これで機嫌直るのかな……」

「直るわけないだろ、この色はダメだとか趣味が悪いとか言われるのがオチだ」

 こそこそ話し合いながらも、近頃まともに家に帰れない面々はなんとか妻や彼女の許しを請うために化粧品へと手を伸ばす。朔弥はそっとその輪から離れていった。

 だが、脳が興奮状態にある女性陣がすぐさまそれを阻止する。

「朔弥くぅん、どこにいくのぉ」

 ガシリと宮本みやもとが腕を掴んできた。反対の手にはたっぷりと化粧品が入った紙袋がある。「山村くん、私たちの息抜きにちょーっとだけ力を貸してくれないかしら」

 うふふと別の女性社員が同じように紙袋いっぱいの化粧品が詰め込まれている。

「えっ……なんですか?」

 悪乗りが過ぎるといつも柾人を悩ます女性陣が朔弥の両腕を抱えると、すぐさま社内にある女子トイレへと連行された。

「わぁー、化粧水でぇ整えなくてもぉ、さくやくぅんお肌きれぇい」

「やだほんと、なんで? これが若さってヤツ?」

「むかつくからもっと塗りたくってみようよ」

「リップはぁ清楚系のぉ、ぷるぷるピンクとかぁダメですかぁ」

「いたっなにするんですかっ!」

「今ビューラーだから動かないで!」

「こんなことだったら服やウィッグも用意しておけば良かった!!」

「忘年会では完璧にやろう! 今日はこれくらいでいいかな」

 わぁぁぁっと女性陣に囲まれ、あれやこれやと塗りたくられていく。本当は抵抗したいのだが、いつもお世話になっている女性陣に物申せるほどの根性は朔弥にない。あれよあれよという間に様々な化粧品を使われ、解放されたときにはマニッシュな女性が鏡に映っていた。

「えっ……なにこれ……」

 髪型も服も朔弥なのに、顔だけが随分と女性的になっている。

「これでぇ常務がぁ、どんな反応するかぁ楽しみですぅ」

 いつもの語尾を伸ばす口調で宮本が楽しそうに朔弥に女性用の香水を振りかけていく。

「いっ、今すぐ元に戻してください!」

「なに言ってるの、山村くん。私たちの息抜きのために、今日はこのまま終業までいてよ!」

「そうよ、最近会社に泊まり込みだから癒やしが全然ないのよぉぉぉぉ!!」

 朔弥よりもよっぽど煮詰まっているのか、ぐるりと朔弥を取り囲んだ女性たちは口々に仕事の愚痴を零し始めた。年末進行でいつもよりタイトなスケジュールの仕事が溢れている中、柾人が指揮を執っているプロジェクトが難航にしているらしい。せめてクリスマスは恋人と過ごせるようにと、時間を捻出するため休日出勤や泊まり込みといった荒技を繰り広げているが終わる見通しがつかないようだ。

「だからお願い! 今日だけ、今日だけでいいから私たちを癒やして」

「……オレが女の子みたいにお化粧するだけで癒やされるんですか?」

「そりゃもう!」

 サムズアップを皆がするものだから折れるしかなかった。できるだけ人の視線から逃げるように小さくなりながら開発部へと戻るが、なぜかドアが開く前から、残ったメンバーがこちらを見ている。
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