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第二章

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 都心よりも涼しい清里は避暑にはもってこいの場所だった。

 朝方は少し肌寒くなるが斜面に広がる高原と八ヶ岳を眺めながら、目的もなく柾人と二人で歩き続けた。

 目的のない旅だ。朝にどう過ごすかを二人で話し合いながら食事を取り、出かける支度をした後、玄関を出る前にキスをしてから扉を開ける。夏休み中は毎日のようにこうして一緒に出勤していたから当たり前になりつつあるのに、玄関から出るとき必ずうなじまで赤く染めてしまう不慣れな自分がいる。

 いつものように手を繋ぎながら、目的のない散歩をするのは初めてだ。ジャムや珍しい蜂蜜を売っている店に立ち寄っては味見をしたり、地元の食材を使って作られたハムやベーコンの匂いに惹かれては夕食用にとここでしか食べられないものを買う。

 シルバーウィークなのに人もまばらな観光地を充分に楽しみながら、ひたすら歩き続けた。

「随分と買っちゃいましたね」

 気がつけば空いてるはずの手には、ビニール袋や可愛い紙袋がかけられている。

「こんなに買うつもりはなかったんだが」

 高原ならではの魅力的な商品に、つい財布のひもが緩んだと言わんばかりの言葉に笑ってしまう。

「柾人さんってお買い物が好きですよね」

「こらこら、それは語弊だ。私が好きなのは朔弥に似合うものや美味しいから食べて欲しいものを買うことだ」

 知っている、いつも散財するのは朔弥に関するものばかりだ。今身につけているすべては柾人に買って貰ったものだ。下着まですべて柾人の好みに固められている。服など数枚あれば充分着回せると口にしても、これも似合うあれもいいとどんどん買ってくるので、たった三ヶ月で寝室にあるクローゼットの半分以上は朔弥の着替えとなってしまった。

「そんなにオレのためにお金を使わないでください」

 いつもの懇願にも苦笑を返してくるばかり。

「私の数少ない趣味だ、許してくれ」

 そう言われて絆された結果がクローゼットに如実に表れている。

「オレもバイトですけど稼いでます……そりゃ柾人さんに比べたら少ないですけど」

 上場企業の常務取締役と一介のアルバイトでは稼いでいる金が違うのは分かっていても、自分も男で彼のために何かしたいのに、いつも先に支払いをされているのが現状だ。本当はこの旅行中くらいは自分がと思ったが、アルバイト代のほとんどを柾人の誕生日プレゼントに費やしてしまったため、手持ちが少ないのも確かだ。

「言っただろう、私の数少ない趣味だと。学生のうちは存分に甘えなさい。就職したら初任給でご馳走して貰おうか」

「……絶対ですよ」

「ああ、絶対だ。そのためには就職を頑張らないといけないね」

「本当に頑張らないと」

 課題として出されている資格を何一つ獲得していない今、勉強をしてもしても足りないという状況に焦ってしまう。すべてを取るには来年いっぱいかかるスケジュールとなっているが、「そう焦るな」と微笑まれる。

「着実に覚えていけば大丈夫だ」

「柾人さんはすぐにオレを甘やかすからダメです。もしサーシングに入れなかったらって不安なんですから」

 柾人が友人達と立ち上げた会社に入りたくて頑張っているのに、大丈夫だという一方で甘やかしてくるから困ってしまう。平日は大学とアルバイトと資格の勉強に明け暮れているため、柾人との夜が寂しいものとなっている。

 けれど辞めるかと問われれば、嫌だと即答するだろう。自分のこれからを柾人に捧げたいと願ってやまないのだ。

「私としては無理をして欲しくはないんだが」

「嫌です。サーシングに入りたいんです」

 柾人を支える一翼を担いたい。流されるように生きてきた朔弥に初めてできた目標なのだ、諦めることなど考えられない。

「オレが柾人さんと一緒に仕事をするのは嫌ですか? 仕事できない、のかな?」

 経営者の目線から使えないと判じられているのだろうかと、僅かな不安が頭をもたげる。

「そういうことではない。朔弥が一緒に頑張ってくれようとするのは嬉しいんだ。ただこんなにも綺麗な恋人が側にいたら仕事に集中できるか不安なのは確かだ」

「……就職する頃にはきっと慣れます」

「いや、慣れるかな。今だってほとんどの時間を一緒にいても、すぐに抱き潰してしまいたいと思っているからね……昨夜は無理をさせたが大丈夫かい」

 後半の際どい質問だけを耳元に囁かれる。

「……こんなときに、なにを言うんですか」

 昨夜のことが脳裏に蘇ってまた顔が赤くなる。

「なにって、綺麗なのに可愛いことばかりを言う恋人の心配だが」

「もう知りません!」

 離れようと足を速めても、しっかりと繋いだ手に力が込められ距離が取れない。

「丁度良い、あそこで少し休もう」

 ロッジ風のカフェへと誘われる。正面からは小さく見えたが、中に入れば思った以上に広く、道路の反対側はテラスになっており、背の高い木々が自然の日よけを作り上げていた。

 まだ時間が早いのか、店の中には常連風の老人と、テラスの一角を賑やかにする婦人の一団がいるだけだった。

 店員に案内されテーブルに着けば、すぐにケーキが載っているメニューが差し出された。

「少し甘いものを食べなさい。私の出張中にまた痩せてしまったね」

「……ごめんなさい、ちゃんと食べてたんですけど」

 柾人が二週間、出張で家に帰らない間に削げた肉は一週間経った今でも戻ってきていない。出会った頃のガリガリな身体を思い出させてしまったのだろうとすぐに謝罪を口にしたが、柾人は苦笑しながら首を振る。

「こんなに細いのに勉強にアルバイトだと倒れてしまう。もっと体力を付けなさい」

「はい……」

 言われるままクルミのタルトとコーヒーに決めれば、すぐに柾人が店員を呼び、老舗のフランス料理店を彷彿させる優雅さで注文をする。些細な仕草でも品がありながら堂々とした振る舞いに見惚れていれば、テラスの婦人の輪から抜け出してきた、上品な佇まいの女性が近づいてきた。

「ああ、やっぱり柾人くんだわ。ここで逢えるなんて奇遇ね」

咲子さきこ様!」

 珍しく慌てた柾人がすぐさま立ち上がり、自分の隣の椅子を引いた。当然のように咲子と呼ばれた老婦人は腰を下ろし、そのタイミングに合わせて椅子を押す姿は女性のエスコートに慣れたものだった。

 トキンと胸を高鳴らせながら、小さな闇が胸に宿る。

 柾人が咲子用にと紅茶を注文する。それを当たり前のように受け取る二人の関係が分からなくて、どう口を開いていいかと逡巡すれば、柾人が先に口を開いた。

「咲子様、こちらが私の恋人の山村朔弥です」

「まあ、あなたが朔弥くんなのね。お話は伺っておりますわ」

 正体の分からない女性に知られていることで、一層どう態度を取っていいか分からなくなり、名乗りながら頭を下げた。

ゆいさんが、年の近いお友達ができたととても喜んでいらしたのよ」

「ゆい、さん? あの……」

 先日のサーシングのパーティで知り合った社長の息子である唯の、朗らかな笑みを思い出す。だがどう見ても唯と目の前の女性に似通うところはどこにもない。

「咲子様、朔弥が戸惑っています。少しは話す隙をください」

「あらごめんなさい。だって唯さんのお友達で柾人くんの恋人を紹介していただけるなんて嬉しくて」

 うふふと上品に笑う。

「朔弥、こちらは咲子様。社長のご母堂だ」

「えっ、蕗谷ふきや社長のですか?」

 よく見ればあの飄々とした蕗谷と面差しが似ている。驚きながらも、こっそりと安堵の息を吐き出す。今まで会社以外で女性と一緒にいる柾人を見たことがなくて、上品な女性に対する態度が今までと違ってざわめいた心が、一気に凪いでいく。
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