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第二章

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 ようやく心穏やかな日常が戻った翌週、深夜と言って差し支えない時間に、朔弥は柾人の車に乗り込みシートベルトを締めた。車が多くなる時間帯を避けるため、この時間に出発すると言われたとき、一番にしたのは柾人の身体の心配だった。

 激務をこなした後に長距離の運転では疲れるはずだ。電車で行ける距離なのだからと何度も説得したが、聞き入れては貰えなかった。

「朔弥と二人きりでいたいんだ」

 その言葉にあっさりと折れてしまう自分が情けない。シートベルトが締まったのを確認して柾人はアクセルを踏んだ。ゆっくりと車が駐車場を出て、月が綺麗な夜の世界を走り抜けていく。首都高に乗れば、数多のネオンで輝く宝石箱をひっくり返したような街を速いスピードで横切っていく。このネオンの中には未だ仕事をしている人がいると思うと、不夜城と呼ぶにふさわしい光景なのかも知れない。

 大学入学と共に上京してきた朔弥は、もう住んで三年経つ街なのに、まだ知らない顔があるのが不思議で、車窓を見続けた。

 オーディオからは古い英語のラブソングが流れている。

 まだ残暑が残っている外気から遮断された空間は、世界から隔離されたような錯覚に陥る。

「大体三時間くらいで着く。それまで寝ていていい」

 今日も膨大な量の仕事をこなしてきたはずなのに、全く疲れを見せない横顔を眺めた。

「オレは大丈夫です。疲れたなら言ってくださいね、運転代わりますから」

 こんな高級車は運転したことがないが、実家に帰れば毎年家の手伝いとばかりに車の運転をさせられていた朔弥だ、オートマなら問題なく運転はできる。

「私の楽しみを取らないでくれ。近頃車に乗って出かけることがなかったからね、久しぶりの長距離が楽しみなんだ」

 車の運転が好きなのは知っている。だが仕事が忙しくて近頃はデートでも車を使うことはなくなった。

 柾人の唯一の趣味と言ってもおかしくない運転を任せ、朔弥は深く椅子に身体を預けた。

「柾人さんは本当に運転が好きなんですね」

 流れてきた耳覚えのあるラブソングのメロディに乗せるように告げれば、苦笑した顔が反対車線を走る車のヘッドライトに照らされた。

「語弊があるな。可愛い恋人を隣に乗せてするドライブが好きなんだ」

 手が伸びて朔弥の黒い髪を撫でる。細くコシのない髪を一摘まみ掬って名残惜しそうに離れていく手を引き留めたいと思うのは、二人の時間が心地良いからだ。

 訳が分からなくなるくらいに抱かれるのも、こうして他愛ない話をするのも、どれも心を満たしていく。

(もうこの人から離れるなんてできない)

 左手の薬指に嵌まった指輪を右手で回してみる。まだ慣れない指輪の感触がくすぐったい。これは柾人の心を具現化したもの、それを身につけている恥ずかしさと照れくささと、愛されているという幸福感が朔弥を溶かしていく。

 夜の下り車線は交通量が少なく、スムーズに走り続けていく。途中のサービスエリアで休憩を入れながら進んでいけば、日付が変わる前に目的地へと到着した。

 真っ暗な明かりも乏しい中で今日の宿を見れば、アメリカの草原にある一軒家のような佇まいだ。刈り込んだ芝生が玄関の前から広がり、他にはなにもない。

「ここ、ですか?」

 車から降りた朔弥は聞かずにはいられなかった。

「そうだよ。さあ入ろうか」

 カントリー風の木の扉を開けるための鍵がすでにその手の中に握られている。

「ここ、別荘?」

「違うよ。ヴィラなんだ。今日から三日間、誰にも邪魔されずに朔弥と二人きりになれる」

 いたずらっぽく笑うその顔に吸い寄せられる。隣に立つのを待って扉が開かれた。

「すごい……」

 小さな一軒家なのに、一歩中に入れば高級ホテルのような豪奢な家具が並んでいる。玄関で靴を脱いで中へと進めば天井を高く取った開放感のあるリビングが現れた。古い外見に見合わずどこもかしこも掃除が行き届いている。

「気に入ったかい?」

 二泊三日の小旅行、それほど多くない荷物が詰め込まれた鞄を持って柾人がやってくる。

「あ、ごめんなさい」

 慌てて鞄を持とうとすると優雅な仕草で却下された。長時間運転していたのに、疲れを感じさせない優しい眼差しが向けられる。

「これは寝室に置いておこう。お茶を貰えるかい」

「あ、はい!」

 キッチンに入り、綺麗に揃えられている食器の中からグラスを取り、冷蔵庫に入っているペットボトルのお茶を注いで出せば、手招きされてソファへと導かれる。

「車内は寒くなかったかい?」

「大丈夫です。柾人さんは疲れてませんか?」

「疲れていた方が良かったかい?」

「違いますけど……」

「朔弥が寒かったら良かったのに……そしたらすぐに温めてあげられるからね」

 肉の薄い腰を抱いて自分の膝の上に乗せる。

「あっ、柾人さん!」

「相変わらず朔弥は軽いね。ここにいる間にたっぷりと太らせないと」

 ちゃんと食べてます……とは言えなかった。昼は会社の女性陣に連れ回されなんとか食べてはいたが、あの部屋で一人食事を取る気になれず、資格の勉強に熱中してしまったと言い訳をして、柾人がいない寂しさを誤魔化してしまった。その結果、たった二週間離れていただけで二キロも体重が減ってしまった。少しへこんでしまった腹部を大きな手が撫でる。

「んっ」

 肉付きの悪い身体を隠していた服の下へと手が潜り込めば、愛撫に慣れた分身が早く可愛がられたいと窮屈なズボンの中で訴え始めた。

 今日は金曜日だ。

 平日に休みを取得すれば最大九連休となる今年のシルバーウィーク。けれど、そのために柾人は仕事に駆け回り、出張から戻った翌週から帰りが遅くなっていた。朔弥が寝るよりも後に戻り、同じ家に住んでいるのに一緒にいられたのは意識のないベッドの中だけだった。

 想いを確かめ合ったばかりなのにずっとすれ違いばかりで、寂しかった。

 柾人に可愛がられることに慣れた身体は、早く抱きしめて欲しいと願っていた。

 でも、自分から誘うのが恥ずかしくて、明確な言葉を紡げずにいる。膝の上でもじもじしてしまい、そんな自分がはしたなくて嫌だ。隠しているだろうが長時間の夜間の運転は神経を使う。疲れていないはずがない。分かっていても我が儘な身体は早くあの体温を感じたいと朔弥に訴えかける。

 そんな朔弥の様子を楽しそうに眺め、大きな手が腰を撫でた。

「んぁっ」

 それだけで甘い声が漏れてしまう。はしたない自分が恥ずかしくて、けれど横抱きされている状況では顔を隠すことができない。顔を真っ赤にしたままどうしていいか狼狽える。

「朔弥は綺麗なのに、こういう時には凄く可愛くなる。どれだけ私を翻弄したら気が済むんだろうね、君は」

「ちがっ……そういうんじゃ……」

 その通りでも、恥ずかしい。真っ赤になる顔を隠す絶好の場所を見つけて、男らしく逞しい首元に手を回すと、そこに顔を埋めた。

「そういう仕草が煽っていると分かっているのかい。朔弥は勉強とバイトで疲れているだろうから今日はゆっくりと休ませようと思っていたのにね」

「……無理です」
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