きっと明日も君の隣で

椎名サクラ

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20 春に君の隣を歩く2

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 ぞくりと背筋を冷たい何かが駆け上がっていった。

「あれは緻密に計算されたホラーじゃないのか?」

 信じられず畳みかければまた見えない耳がしょんぼりと垂れる。

「酷いなぁ……俺の純情が……」

 落ち込んだふりしてギュウギュウに抱きついてくるから、無碍にできず慰めるように頭を撫でた。自分よりもずっと大きな男が妙に可愛い仕草で甘えてくる。

「あれ、拓真が書いたのか?」

「うん、悠人忙しかったから応募してみたんだ。俺、めちゃくちゃ悠人が好きってつもりで書いたのに……」

「そうか、酷いことを言って悪かったな」

「秀人様に下読みして貰ったときは完璧って言って貰ったのに」

 なぜそこで兄の名前が出てくるのだ。入院している間に勉強を見てくれと頼んだが、どうやら気が合ったようで退院しても頻繁に逢っては何かを話しているらしい。

 今までは自分が忙しくて相手ができなかったが、もう受験も終わったしこれから二人の時間を増やそうと思ってる矢先に兄の名がでるのは快くない。

「兄さんとどんな話をしたんだ?」

「うん? 将来設計の延長で、どうしたらお金がいっぱい稼げるかって相談したら、新人賞の応募要項渡してきて、これで小金を稼げって」

 なんだ将来設計というのは。しかも小金を稼ぐために投稿をするという発想がよく分からない。小説家になりたいという人間は多いがそう簡単になれるものではない。

 一体どういう才能しているんだと、その頭の中を割って見てみたい。

(まあいいか)

 きっと中西が書いた話のヒロインも同じ感覚なのだろう。その中にどんな凶悪な部分があろうと、本人を好きになってしまったなら、あっさりとそれに目を瞑ってしまうのだろう。

「無理して稼がなくてもいい。僕もアルバイトくらいはする予定だ」

 もうこの話はいいだろうと話題を反らせば、中西の顔がまた悲しそうに沈んだ。

「無理してバイトしなくてもいいんじゃない? そんなことしたら逢う時間なくなるよ……悠人の時間を全部独り占めできるように小金稼いでるのに……」

「我が儘すぎるぞ、拓真。それじゃ社会勉強をする時間すら僕にはないというのか?」

 いつも中西に頼ってばかりじゃなく、自分で稼いだ金で何かを贈り物をしたい。まだ高校生だったから中西が大学に進学した祝いすら贈ることができなかった。それに誕生日だって祝ったことがない。こんな恋人ではさすがに寂しくさせてしまう。

 そう訴えれば、今にも地の底に墜ちそうなほど落ち込んでいた中西が、すぐさまに浮上してまた抱きついてきた。

「その気持ちだけでめちゃくちゃ嬉しいから」

「でもお祝いはしてなかったから」

「……今日さ、うちの両親法事で帰ってこないんだ……だから、泊まっていかない? その、入学祝い代わりでいいから」

「それって……」

 トクンと心臓が跳ねた。

 もしや一度だけした「アレ」を求められているのだろうか。たった一回で発作を起こしてしまったからもうしたくなくなったのかと思った。あんなシーンを見てもう勃たなくなったと言われても仕方ない、と。

「もしかして、我慢してたのか?」

 思わず聞いてしまう。今までそんなそぶりを全く見せなかったから。

「当たり前だろ。俺今でも悠人のこと、すっげー好きなんだから。側にいて襲わないでいるの大変だったんだから」

「襲えば良かったのに」

 いつでも歓迎するのに。もうこの身体に飽いたのかと思った。新しくできた傷を見たくないのかと思った。ただ気持ちを通わせるだけで満たされているのかと。

 違ったのが嬉しい。

「できるわけがないよ……杉山医師と秀人様と約束させられたから……手術して二年は絶対にしちゃダメだって。すっげー頑張ったからご褒美くれる?」

 どうせ帰すつもりもないのだろう。こんなことを言われて、帰るつもりもない。

「いいよ」

「あっ、待って!」

 身につけていたワイシャツを脱ごうとする悠人の手を慌てて止めた中西は、細いままの身体を立たせた。陸上を止めて三年が経つのに、未だに筋肉質なまま背ばかりがひょろりと伸びた中西は、女子受けする細マッチョと言っても過言ではない。優しく笑顔が絶えないのに背が高いとなれば、それだけでもモテるだろう。その中西が男の自分を誰よりも大切にしているのがくすぐったいくらいに心地いい。

 こうして当たり前のように抱きしめてくるのも。

「俺が脱がせたいんだけど、いい?」

「いいけど、先にキスする?」

「当然」

 ひょいっと抱き上げられ、ベッドに座った中西の膝に乗せられる。こうすると目線が丁度良いのが少しだけ悔しい。だからいつも笑顔を絶やさない頬を両手で包み自分から唇を寄せた。いつものように合わさるだけのキスを何度も繰り返しては、この男は自分のものだと実感していく。

 手を繋いだりキスをしたりはもう慣れた。別れるときには中西があまりにも自然にしてくるから、この二年で当たり前になった。けれどキスだってあれ以来唇を合わせるものばかりで少し寂しかった。

 言えば悠人の求めるようなキスをしてくれただろう。けれど自分ばかりが求めているみたいで恥ずかしくて口にはできなかった。

 だからたっぷりとその唇の感触を味わう。

 少し厚みのある唇が嬉しそうにカーブを描いている。

「んっ」

 中西の舌がするりと口内に入って思わず声が上がった。驚きに離れようとする身体を大きな手が押さえ、隙間がないくらい強く腕が回される。そのまま奥に引っ込んだ舌の先を舐めてきた。

 トクンとまた胸が高鳴る。

(ああ、そうか……)

 発作を起こしてしまう原因を全部排除したのか、この二年は。再発していないことを確認してようやく許可が下りたから、こんな大胆なことをしているのだろう。

 自分の身体のせいで辛い思いをさせてしまった中西に、捧げるように舌を伸ばした。

「んんっ」

 ただ舌が擦れ合っているだけなのに気持ちよくてトロリと溶けそうになる。もっと溶けたくて深く合わせれば、口内を蹂躙する舌に翻弄され、どんどんと身体の熱が上がっていく。

 気持ちよくて、悠人もどんどんと大胆になる。自分から中西がしたように舌を伸ばしては積極的に絡めていった。唇が離れる頃には息が上がり肩を上下させていた。

「悠人、すげー綺麗」

 中西も眦を下げながら紅潮した悠人を見つめてくる。

「服、脱がすね」

 ネクタイを締め一番上まで留めていたボタンを一つ一つ外していく。スラックスのベルトとボタンを外してからワイシャツが脱がされる。傷だらけの身体を見て中西はなんていうだろうか。新たにできた大きな傷を見てもその気になってくれるだろうか。

 ワイシャツを追って肌着もベッドの下に落ちる。窓から差し込む春の心地良い陽光が悠人の身体にできた傷を露わにする。

 それを目にして、中西はなにも言わなかった。

「……嫌か?」

「ん、どうして? 相変わらず綺麗だなって見惚れてるんだけど」

「本当か? 見てて嫌じゃないのか?」

 白い肌に這う手術痕。その一つ一つを辿りながら大きな手が動いていく。

「俺は好きだよ。悠人が俺と生きようとしてくれた証だから、この痕があるのがめちゃくちゃ嬉しい」

 世間一般的な感想ではないだろう。けれどそう言われて、醜い傷を愛おしそうに撫でられるのが嬉しいなんて、悠人の感覚も充分におかしい。

「悠人が生きるために頑張った一つ一つにキスしていい? その全部、俺のものにしていい?」

「ふっ、こんなの見て喜ぶなんて拓真くらいだ……いいよ」

「じゃあ遠慮なく」

 悠人を膝立ちにさせ、中西は薄くなっている手術痕から一つ一つキスを落としていく。チュッチュッと跡を付け赤味を増やす。

「んっ……キスするだけじゃないのかよ……んぁっ」

 ペロリと舐められて声が上がる。

「だって愛しいから」

 また抉るように舐められると、皮膚が薄いせいか敏感に反応してしまう。

 懸念なんて中西の前では無意味なことだったのが嬉しかったのか、自分でも信じられないくらいに甘い声が出る。ただ肌を舐められているだけなのに身体の熱は上がり、普段は意識しない場所が見事に反応していく。

 こんな自分でも、中西は好きなままでいてくれるだろうか。声を上げるたびに胸に顔を埋めている中西の表情が気になる。熱のこもった眼差しを送れば、視線に気づいた中西が上目遣いに悠人を見て、想像した以上に蕩けた表情へと変わっていった。

「真っ赤になってる悠人可愛い……もう我慢できないから全部脱がせるよ。傷跡だけじゃなくて、身体全部キスさせて」

 逞しい腕がひょいと抱き上げたかと思えば、すぐに悠人の身体をベッドへと倒した。スラックスを下着ごと脱がし、犬が嬉しくて飼い主を舐めてしまうのと同じように全身を舐め上げていく。
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