きっと明日も君の隣で

椎名サクラ

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19 君に会えない冬は2

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「あれが悠人のお兄さんか……」

 仲良くできる自信はないが、せめて悠人が退院するまではどんな無理難題をふっかけられてもしがみつくしかない。

 ひぃひぃ言いながらマンションの前に着けば、エントランスに見たくない顔を見つけて眉間に皺が寄った。近頃学校で見かけない元チームメイトだ。相変わらず集団でないと動けないのか、陸上部特有のスポーツマンにしては細い身体で円陣を組み、他の人が通ることも考えずに呼び出しパネルの前を独占している。

 出入りする人たちが見ているのが気づかないようだ。

(嫌な予感がするなぁ)

 できれば彼らには関わりたくない。

 部活を退部させられたと聞いたし、その後学校に来ている気配もなかった。悠人の手術と勉強で頭がいっぱいの今、どんな目的で来たのか分からないが相手になどしてられない。けれど、エントランスを通らずに家に帰ることができない。

(さてどうするか……)

 荷物が重いからできるだけ早く下ろしたい中西は、しばらく逡巡したがこのままいても仕方ないと意を決してエントランスに入った。

 それまで出てくる人間すらチェックしなかった彼らが、なぜか中西だけは目敏く見つけてくるが、無視して丁度出てきた住人と入れ違いに入っていった。

「待てよ中西」

 伸びてくる手をするりと躱し素知らぬふりして入り口横の管理人に声をかける。

「あれ、お友達ですか?」

「違います……連絡なしにやってくるような友達いませんから」

 笑顔でイヤミを言う。自分の恋人を悪し様に言う奴らだ、ここで馴れ馴れしく距離を縮められたくない。

 自動ドアが閉まるのを確認してから部屋へと戻る。その一部始終を鋭い目で見られていると感じながら、あえて放置した。

 部屋に入る頃には彼らのことを意識の外に追いやり、勉強を始めれば完全に忘れ去っていた。

 それから数日後、登校した中西にクラスメイトが駆け寄ってきた。

「あいつらがまた変な噂流してるぞ」

「えっまた? 飽きないなぁ」

 けれどクラスメイトから渡されたのは水族館で悠人と身体を寄せ合っている姿や一緒に昼食を摂っている写真、そして極めつけと病室でキスしている写真が大きく載っている。

「お前がホモだって……どうせ合成だろこれ」

「あいつらすっげー根性だな」

 ただこんなことをして何がしたいのかが分からない。そんな中西の様子を廊下らからニヤニヤしながらあいつらが見ていた。今日も随分と卑下た顔をしている。そして楽しそうにこちらへとやってきた。

(本当に馬鹿だなぁ)

 とにかく中西をなんとしても貶めなければ腹の虫が治まらないらしい。どれだけ中西に絡もうともう陸上部には戻れないのにと思いながら、しっかりと顔を上げた

「よう、ホモの中西くん」

 陸上部を強制退部させられてから性格が歪んだようだ。前はあんなに露骨なイヤミをする奴らじゃなかっただけに、人が墜ちるのはあっという間なんだと実感させられる。あんなに頑張った競技の成績よりも悪いなにかに染まってしまった。皆から遠巻きにされているのですら、彼らのプライドに反することなのだろう。

 そんな彼らを冷めた目で見つめた。

「それがなんだ?」

 否定して動揺する姿を楽しもうとしたのだろう。そして周囲が中西と距離を取るのを見たかったのだろう。

 自分達がされているのと同じように。

「やっぱお前ホモだったんかよ」

 思い切り笑おうとわざと大声を出す彼らをじっと見つめる。

「それがどうしたんだ? 確かに俺、井ノ上と付き合ってるけど、それでお前達にどんな迷惑をかけてるんだ?」

「え?」

 まさかこれ程素直に認めると思っていなかっただろう。

(ばーか、こっちは覚悟済みなんだよ)

 彼らがマンションのエントランスに来たときから、もう何回もこんなシーンをシミュレーションした。どんな行動を取ろうとも、自分の中の正解はただ悠人が好きだと堂々とすることだった。それ以上もそれ以下もない。

「ちなみにホモじゃないから。井ノ上が好きなだけだから」

 周囲がシンとなるのが分かって、あえて声を大きくした。

 まさか中西がこんな堂々とするとは考えていなかっただろう。自分達を無視したのだから恥を掻けばいいくらいにしか考えていなかったのか、次の口撃はない。それどころかどうしようかと互いに視線を泳がせてばかりだ。

「井ノ上くんと中西の組み合わせだったら、ありよりのありじゃん?」

 意外にもクラスの女子からそんな声が上がった。

「わかる! 井ノ上くん実は凄い美人だもんね」

「めっちゃ目の保養だよ。中西すげー羨ましくない?」

「だよな、だよな! 悠人めっちゃ美人だよな!」

 嬉しくて思わず同意すれば、クラスから爆笑が上がった。

「ノロケんじゃねーよ」

「だって自分の恋人褒められたらすっげー嬉しいじゃん!」

 和気藹々となった雰囲気に彼らが入ってきたときの緊張感が払拭された。それどころか、女子が先陣を切って認めたことで男子が否を口にできなくなり、不快感を抱いていただろう面々も一気に湧き上がる祝福の波に口を噤むしかない。

 当然、仕掛け人である元チームメイト達もそうだ。思い切り否定して気持ち悪がろうとしようと思っていたのに、それが口にできなくなってふてくされている。

 そんな彼らにあえて向き合った。

「もうすぐ期末だけど、勉強大丈夫か? まぁ俺は悠人に教えて貰ったから退学免れたけどな」

 それで急に成績が上がってきた謎が解けたのか、羨ましそうな声が溢れる。悠人の成績が飛び抜けていいのは周知の事実だ。

「入院してるときにずっと教えて貰ってたよな。それがきっかけで付き合ったのか?」

 友達が言葉を足してくれた。

「うん、俺が好きになっちゃったからさ」

 それを皮切りに質問が飛び交う。一つ一つ答えていけばすぐに担任がやってきてホームルームの時間になっていた。いつの間にか元チームメイトはいなくなっていた。

 一日中廊下はざわめいていたが、それでもクラスメイト達が積極的にいい方に情報を発信してくれたおかげで不快に取る人間は少なく、女子をメインに祝福モードなのが助かる。放課後になればすぐに教室を出ても、「頑張れー」と声援が飛んでくる。

 昇降口で靴を履き替えているとまた彼らが来た。

「おまえら本当に暇だな。その時間があったら勉強しようって気にはならないわけ? このままじゃ退学になるぞ」

 次の期末である程度の点を取らないと退学となるのは、自分達だって分かっているだろうになぜここまで絡んでくるのかが分からない。

「なんでお前だけのうのうとしてんだよ」

「…………」

 のうのうとなんてしていない。悠人が退院するまでにやらなければならないことがたくさんあるのだ。勉強だってそうだが、秀人に言われて自分の人生設計だってやっている最中だ。高校を出た後のビジョンをまとめて、それに見合う自分になるために大学に行ってさらに勉強して、得た知識で悠人に何があっても守れる人間にならなければいけないんだ。こんな些末ごとに割く時間なんかない。

 もう走れなくなったなら、飛べなくなったなら、早めに切り替えて自分がやるべき道を考えた方が堅実的なのに。

「俺が暇そうに見えるんだったら、お前ら本当に視野が狭くなってるな」

 今すべきことすら見失っているのは、一層哀れだ。

 冷静な感情で相手を直視すれば動揺して目を背けてくる。

 同じように自分の状況にも目を背けているのか。

「選択肢はあるんだろ。他の学校に編入してそこで部活を続ければいいし、陸上を忘れて勉強に打ち込むのでも。でもお前ら何もしないで相手の粗探しして溜飲下げてるだけだろ。一番つまんねーことしてるってなんでわかんねーの?」

 悠人や友人たちの前では一度も見せたことのない冷酷な部分が顔を出す。部活を取り上げられクラスでも浮いた存在になり居場所がなくて藻掻いている彼らの苦しみは分かるが、元凶は自分達だ。憂さ晴らしに中西を揶揄おう貶めようと考えたところから道を踏み外してしまった。必死に元の道に戻ろうと努力すればまだ周囲が手を差し伸べてくれただろうが、外れたまま滑走してもゴールはどこにもない。それが見えないのなら、後は転がり落ちるだけだ。もう誰も助けてはくれない。

「で? 何がしたいわけ?」

 冷徹な一言を放つ。普段とのギャップに声を上げられずにいるのか、その顔は蒼褪めていき悔しそうに歪む。

「悔しかったらさ、見返せよ。こんなくっだんないことしてないでさ……一年の時、誰かの足を引っ張ることしなかったじゃん」

 頭が垂れていくのを見つめる。

「言うのは簡単だよっ」

「止めるのはもっと簡単だろ。俺と違ってお前らは走ることも跳ぶこともできるんだからさ、やり直しきくじゃん」

 それだけ言って昇降口を出た。

 後は本人達が決めることだ、中西には関係ない。

 空を見上げれば冬の澄んだ空が広がっているばかりだ。目に見える空に近づくことはできなくなったが、代わりに大切なものを手に入れることができた。中西にはそれで充分だ。今手の中にある宝物を大切に大切に守るための精一杯をするだけ。

(秀人様の課題、不安しかない)

 この空を悠人も見ているだろうか。

 同じように見て想いを馳せてくれるのならこんなに嬉しいことはない。

「よーし、あと四ヶ月頑張るぞ!」
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