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15 水族館とクラゲと告白と3
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「次に行こうか」
手を放しがたいというように一度だけ強く握ってきた。振りほどくのではなく、悠人もその手を強く掴む。それだけで悲しい記憶が溢れていた心が温かくなる。
(生きて、いいのかな)
心地良い熱が離れるのを名残惜しいと指先で追いかけてしまい、それを慌てて膝掛けの下に隠した。久しぶりに得た体温がとても心を和ませ、元来の寂しがりが顔を出したのがちょっと恥ずかしくて、こそばゆい。
中西がこっそりと耳の横で呟いてきた。
「今日のこれ、デートだと思ってるから」
すっと離れてまた車椅子が押される。
(車椅子で良かった)
もし隣で歩いていたら、絶対に顔が赤くなっているのを知られていただろう。
心臓が鼓膜を振るわすほど高鳴り、じっとしていたさっきが嘘のようだ。
ざわめいたり浮き足だったりと忙しい気持ちとはよそに、二人はゆっくりと水族館の展示を見ていく。小さな水槽が集まったゾーンでは二人で顔をつきあわせて説明を読み、ものすごいスピードで泳いでいくペンギンに驚いたりカワウソと触れ合ってはその手の冷たさに驚いてと、子供のようにはしゃいだ。昼飯も取らずに回り続けた。
「これ、お前に似てるな」
クラゲに似ていると言われた仕返しのようにカワウソを指せば、中西がガラスギリギリまで顔を寄せた。両方とも犬っぽい仕草で互いを睨み合っている。その顔が面白くて堪らずに笑い出せば、カワウソと一緒に情けない顔でこちらを見る。それがまた悠人を笑わせた。
ただ純粋に笑ったのなんて久しぶりで、収まる頃には肩が激しく上下してしまった。
「なんだよ、そんなに笑わなくたって良いだろ……」
もっと格好いいものに例えられたかったのだろうが、一番似ているのはどう見てもカワウソだ。愛嬌はあるのに、平気で魚を頭からかじれる獰猛性を兼ね備えているのが似ているなんて言ったら、どんな顔をするのだろうか。
想像するだけで笑えてくる。誰かの行動を想像するのがこんにも楽しいなんて考えたこともなかった。
けれど、肩の力を抜いたら中西の側は本当に心地良くて温かくて、ずっとこのままいたいとさえ思えてしまう。
不思議だ。
馬鹿みたいに明るいヤツで鬱陶しいと思っていたはずなのに、知れば知るほど中西の存在が嫌じゃなくなる。
けれど。
あれを知ってもまだ『綺麗』と言ってくれるだろうか。
もしかしたらこの時間があっという間に終わってしまうかも知れない。
涙が出るくらい笑って、ふと現実に戻る。今は有頂天になっている中西が、この身体を見てもまだ好きだと言うだろうか。
真顔になった悠人に、あの屈託のない笑みが向けられる。
「そろそろ腹減ったな。飯、食いに行こう」
水族館のカフェでは中西の胃袋が満たされないらしい。出口へと向かいながらその直前にある土産屋へと連れて行かれた。
可愛いとしか言いようのないぬいぐるみがたくさん並べられている中を、ぐるぐると何周もする中西は、目的のものを見つけて手に取った。
「……カワウソを買うのか?」
カワウソのぬいぐるみがぶら下がったストラップを見れば、中西がとても楽しそうに笑った。
「こいつ俺に似てるんだろ。だからね」
だから何だというのか。また数周して今度はクラゲのストラップを見つけると、その二つを持って会計に行った。足取りは軽やかで、とても手術してもう走れなくなったとは思えない。
「じゃあ飯食いに行こう」
「どこに行くつもりだ?」
「さっき駅の近くに定食屋があったからそこにしようかと思って。いいかな?」
「それくらい食べないと腹一杯にならないんだろ。付き合うよ」
「ありがとう、井ノ上」
とろけるような甘い顔をして、鼻歌を歌いながら水族館から出た。涼しかった海底の世界から飛び出れば、また湿った空気が二人の身体を包み込む。昼も随分と過ぎた海は、来たときとは違い日差しが穏やかだ。もう山の方へと傾いたからだろうか。湿り気を帯びながらも秋口特有の少し冷たい風が走り抜けていく。
こんな季節の変化すら気持ちよくて、悠人は潮風に長くなった前髪を靡かせた。
中西が目を付けた定食屋は本当にボリューム重視というように、大きなどんぶりにたっぷりのご飯と魚介が乗った丼物を売りにした店だった。想像はしていたが、食が元から細い悠人は見ただけで胃もたれしてしまいそうだ。
悠人はお子様ランチを頼んだが、中西はその店で一番大きいだろう海鮮丼を注文した。それほど逞しいとは思えないし、陸上を辞めてから半年近く経ち筋肉も随分と落ちただろうに、悠人がゆっくりと食べている間に、他愛ない話をしているにもかかわらずあっという間に中西のどんぶりは空になった。
「えっ、もう終わったのか」
悠人の小さな丼には名物のしらすが半分も残ったままだ。
「井ノ上が遅すぎるんだよ。そうだ、井ノ上って携帯持ってる?」
「……あるけど」
兄が持たせた携帯電話を差し出すと、中西は嬉しそうに手に取り、さっき買ったショップの袋を取り出した。迷うことなくカワウソの方をそこに付ける。
「ちょっ!」
「えへへ、これ俺に似てるんだろ。だったら俺がいつも井ノ上の側にいるって感じでここに付けてよ」
そして自分の携帯電話には当たり前のようにクラゲのを付け始めた。
「……こんなのが付いてたんじゃ邪魔でしょうがないんだけど」
またいつもの憎まれ口が零れ出る。
「え、いいじゃん。お互いがいつも側にいる感じがさ。これ見てたら家でも学校でも頑張れそう」
「……なんだそれ……」
「そうだ、ついでにさ番号も交換しよう!」
嬉しそうに悠人の端末のメモリーに自分の電話番号を登録していく。
勝手に頬が熱くなる。馬鹿みたいにはしゃぐその笑顔が、やっぱり眩しくて、その眩しさが陰るかも知れないのが怖くなる。でも知って欲しい。
「これからどうする? 病院に戻るまで時間があるんだけど」
病院に言われた時間まであと三時間しかない。
どこかに行くにも中途半端な時間だ。
悠人はチラリと中西を見た。
そしてテーブルの下でぐっと拳を握る。
陰るなら早いほうが良い。
「中西の部屋に行ってみたい」
お子様ランチを半分残したままテーブルの隅に置いた。
「え、俺の部屋? 別に良いけど掃除してないから汚いよ」
頭の中にいっぱいクエッションが浮かんでいるだろう。 相手を疑うなんて考えたこともなさそうに、また笑顔になった。こんな風に笑いかけて貰えるのは、あとちょっとかも知れない。だから目に焼き付けておこう。
当たり前のように支払いを済ませた中西は、駅へと向かうと当然というように来た道を戻った。三十分もせずに病院の最寄り駅に着けば、病院へと向かって歩き始めた。
「中西の家って……」
「言ってなかったっけ。あそこ」
中西が指さしたのは、病院からそう遠くはないマンションだ。いつも病室の風景の一部になってそこにあるという認識しかしていなかった。
「病院の側に住んでいたのか」
「実は、な。窓から病院が見えるんだ、俺の部屋」
多くの窓が南向きになっているから、低層階でなければ病院が見える設計になっているだろう。それを照れながら言われても、別にときめかないぞと言おうとするが、きっとこれから窓の向こうに中西がいるんだと思うとじっとしてられなくなるのは悠人だ。
たとえこの後嫌われようとも。
低い家が並ぶ中にできた中層マンションに入っていく。エレベータに乗り込み、目的階に着けば、中西は一番角にある扉へと向かった。鍵を取り出し、鉄の扉を開ける。
「あっ、車椅子入れられないや」
マンションの扉をくぐるには、病院から借りた車椅子は幅がありすぎる。悠人はゆっくりと車椅子を降りた。あまりない足の筋肉はバランスを掴めずすぐによろけてしまう。中西の手が慌てて悠人の腰を抱えた。
「大丈夫か井ノ上……ちゃんと掴まって……そう。車椅子は隅に置いておこう」
角部屋で誰の邪魔にもならないだろう。支えられながら部屋の中へと入っていけば、家人の気配はなく、しんと静まりかえっていた。
初めて入った自宅以外の部屋は、掃除をしていないという割には綺麗に整っていた。机の上には昨日まで行われた中間試験の問題が置かれてある。遅くまで復習していたのだろう。回答をチラリと見て、悠人はベッドに運ばれた。
「机の椅子の方が楽?」
「ここで大丈夫だ……なぁ中西、さっきの返事、だけど」
「あ……うん!」
合点がいったのか中西の顔がパッと輝いた。だが悠人は着ていたシャツのボタンを外す。
ゴクリと唾を飲み込む音がした。
手を放しがたいというように一度だけ強く握ってきた。振りほどくのではなく、悠人もその手を強く掴む。それだけで悲しい記憶が溢れていた心が温かくなる。
(生きて、いいのかな)
心地良い熱が離れるのを名残惜しいと指先で追いかけてしまい、それを慌てて膝掛けの下に隠した。久しぶりに得た体温がとても心を和ませ、元来の寂しがりが顔を出したのがちょっと恥ずかしくて、こそばゆい。
中西がこっそりと耳の横で呟いてきた。
「今日のこれ、デートだと思ってるから」
すっと離れてまた車椅子が押される。
(車椅子で良かった)
もし隣で歩いていたら、絶対に顔が赤くなっているのを知られていただろう。
心臓が鼓膜を振るわすほど高鳴り、じっとしていたさっきが嘘のようだ。
ざわめいたり浮き足だったりと忙しい気持ちとはよそに、二人はゆっくりと水族館の展示を見ていく。小さな水槽が集まったゾーンでは二人で顔をつきあわせて説明を読み、ものすごいスピードで泳いでいくペンギンに驚いたりカワウソと触れ合ってはその手の冷たさに驚いてと、子供のようにはしゃいだ。昼飯も取らずに回り続けた。
「これ、お前に似てるな」
クラゲに似ていると言われた仕返しのようにカワウソを指せば、中西がガラスギリギリまで顔を寄せた。両方とも犬っぽい仕草で互いを睨み合っている。その顔が面白くて堪らずに笑い出せば、カワウソと一緒に情けない顔でこちらを見る。それがまた悠人を笑わせた。
ただ純粋に笑ったのなんて久しぶりで、収まる頃には肩が激しく上下してしまった。
「なんだよ、そんなに笑わなくたって良いだろ……」
もっと格好いいものに例えられたかったのだろうが、一番似ているのはどう見てもカワウソだ。愛嬌はあるのに、平気で魚を頭からかじれる獰猛性を兼ね備えているのが似ているなんて言ったら、どんな顔をするのだろうか。
想像するだけで笑えてくる。誰かの行動を想像するのがこんにも楽しいなんて考えたこともなかった。
けれど、肩の力を抜いたら中西の側は本当に心地良くて温かくて、ずっとこのままいたいとさえ思えてしまう。
不思議だ。
馬鹿みたいに明るいヤツで鬱陶しいと思っていたはずなのに、知れば知るほど中西の存在が嫌じゃなくなる。
けれど。
あれを知ってもまだ『綺麗』と言ってくれるだろうか。
もしかしたらこの時間があっという間に終わってしまうかも知れない。
涙が出るくらい笑って、ふと現実に戻る。今は有頂天になっている中西が、この身体を見てもまだ好きだと言うだろうか。
真顔になった悠人に、あの屈託のない笑みが向けられる。
「そろそろ腹減ったな。飯、食いに行こう」
水族館のカフェでは中西の胃袋が満たされないらしい。出口へと向かいながらその直前にある土産屋へと連れて行かれた。
可愛いとしか言いようのないぬいぐるみがたくさん並べられている中を、ぐるぐると何周もする中西は、目的のものを見つけて手に取った。
「……カワウソを買うのか?」
カワウソのぬいぐるみがぶら下がったストラップを見れば、中西がとても楽しそうに笑った。
「こいつ俺に似てるんだろ。だからね」
だから何だというのか。また数周して今度はクラゲのストラップを見つけると、その二つを持って会計に行った。足取りは軽やかで、とても手術してもう走れなくなったとは思えない。
「じゃあ飯食いに行こう」
「どこに行くつもりだ?」
「さっき駅の近くに定食屋があったからそこにしようかと思って。いいかな?」
「それくらい食べないと腹一杯にならないんだろ。付き合うよ」
「ありがとう、井ノ上」
とろけるような甘い顔をして、鼻歌を歌いながら水族館から出た。涼しかった海底の世界から飛び出れば、また湿った空気が二人の身体を包み込む。昼も随分と過ぎた海は、来たときとは違い日差しが穏やかだ。もう山の方へと傾いたからだろうか。湿り気を帯びながらも秋口特有の少し冷たい風が走り抜けていく。
こんな季節の変化すら気持ちよくて、悠人は潮風に長くなった前髪を靡かせた。
中西が目を付けた定食屋は本当にボリューム重視というように、大きなどんぶりにたっぷりのご飯と魚介が乗った丼物を売りにした店だった。想像はしていたが、食が元から細い悠人は見ただけで胃もたれしてしまいそうだ。
悠人はお子様ランチを頼んだが、中西はその店で一番大きいだろう海鮮丼を注文した。それほど逞しいとは思えないし、陸上を辞めてから半年近く経ち筋肉も随分と落ちただろうに、悠人がゆっくりと食べている間に、他愛ない話をしているにもかかわらずあっという間に中西のどんぶりは空になった。
「えっ、もう終わったのか」
悠人の小さな丼には名物のしらすが半分も残ったままだ。
「井ノ上が遅すぎるんだよ。そうだ、井ノ上って携帯持ってる?」
「……あるけど」
兄が持たせた携帯電話を差し出すと、中西は嬉しそうに手に取り、さっき買ったショップの袋を取り出した。迷うことなくカワウソの方をそこに付ける。
「ちょっ!」
「えへへ、これ俺に似てるんだろ。だったら俺がいつも井ノ上の側にいるって感じでここに付けてよ」
そして自分の携帯電話には当たり前のようにクラゲのを付け始めた。
「……こんなのが付いてたんじゃ邪魔でしょうがないんだけど」
またいつもの憎まれ口が零れ出る。
「え、いいじゃん。お互いがいつも側にいる感じがさ。これ見てたら家でも学校でも頑張れそう」
「……なんだそれ……」
「そうだ、ついでにさ番号も交換しよう!」
嬉しそうに悠人の端末のメモリーに自分の電話番号を登録していく。
勝手に頬が熱くなる。馬鹿みたいにはしゃぐその笑顔が、やっぱり眩しくて、その眩しさが陰るかも知れないのが怖くなる。でも知って欲しい。
「これからどうする? 病院に戻るまで時間があるんだけど」
病院に言われた時間まであと三時間しかない。
どこかに行くにも中途半端な時間だ。
悠人はチラリと中西を見た。
そしてテーブルの下でぐっと拳を握る。
陰るなら早いほうが良い。
「中西の部屋に行ってみたい」
お子様ランチを半分残したままテーブルの隅に置いた。
「え、俺の部屋? 別に良いけど掃除してないから汚いよ」
頭の中にいっぱいクエッションが浮かんでいるだろう。 相手を疑うなんて考えたこともなさそうに、また笑顔になった。こんな風に笑いかけて貰えるのは、あとちょっとかも知れない。だから目に焼き付けておこう。
当たり前のように支払いを済ませた中西は、駅へと向かうと当然というように来た道を戻った。三十分もせずに病院の最寄り駅に着けば、病院へと向かって歩き始めた。
「中西の家って……」
「言ってなかったっけ。あそこ」
中西が指さしたのは、病院からそう遠くはないマンションだ。いつも病室の風景の一部になってそこにあるという認識しかしていなかった。
「病院の側に住んでいたのか」
「実は、な。窓から病院が見えるんだ、俺の部屋」
多くの窓が南向きになっているから、低層階でなければ病院が見える設計になっているだろう。それを照れながら言われても、別にときめかないぞと言おうとするが、きっとこれから窓の向こうに中西がいるんだと思うとじっとしてられなくなるのは悠人だ。
たとえこの後嫌われようとも。
低い家が並ぶ中にできた中層マンションに入っていく。エレベータに乗り込み、目的階に着けば、中西は一番角にある扉へと向かった。鍵を取り出し、鉄の扉を開ける。
「あっ、車椅子入れられないや」
マンションの扉をくぐるには、病院から借りた車椅子は幅がありすぎる。悠人はゆっくりと車椅子を降りた。あまりない足の筋肉はバランスを掴めずすぐによろけてしまう。中西の手が慌てて悠人の腰を抱えた。
「大丈夫か井ノ上……ちゃんと掴まって……そう。車椅子は隅に置いておこう」
角部屋で誰の邪魔にもならないだろう。支えられながら部屋の中へと入っていけば、家人の気配はなく、しんと静まりかえっていた。
初めて入った自宅以外の部屋は、掃除をしていないという割には綺麗に整っていた。机の上には昨日まで行われた中間試験の問題が置かれてある。遅くまで復習していたのだろう。回答をチラリと見て、悠人はベッドに運ばれた。
「机の椅子の方が楽?」
「ここで大丈夫だ……なぁ中西、さっきの返事、だけど」
「あ……うん!」
合点がいったのか中西の顔がパッと輝いた。だが悠人は着ていたシャツのボタンを外す。
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