きっと明日も君の隣で

椎名サクラ

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9 悪魔のスケジュール1

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 暴言を浴びるのなどいつものことだ。慣れている。長期入院しているのに成績が良かったせいで、病気と偽って家で勉強しているのだろうと噂され続けていたし、体育の授業に一度も参加しない悠人のことをサボっていると堂々と罵ってきた者もいた。

 そんなことは些末だ。

 誰に何を言われても気にしてこなかったし、運動を強要してくる教師など、去年教科担任になった一人ぐらいだ。診断書を出せば、見慣れない長い病名だけで大抵の教師は怯んでしまう。生徒たちの憶測での噂も気にはならなかった。

 でも今日は違った。

 ずっと一緒に競技に取り組んできたはずの仲間たちの心ない言葉に傷つくよりも何よりも、中西は必死で悠人の名誉を守ろうとした。面白おかしくネタにしようという気が満ちあふれたゲスな奴らを前にしても泰然と立ち向かっていた。同じ時間を長く共有していたにも関わらず、自分を優先されたのが少しこそばゆかった。

 中西がうっかりカフェスペースのテーブルに忘れたノートを届ける途中で会った杉山が、車椅子を押してくれたのは助かった。が、中西の病室での騒ぎは廊下にまで轟き、悠人は思わず不快になった。

(なんだ、あいつらは)

 面白おかしく言っているつもりなのだろうが、内容が卑しくて自然と眉間にしわが寄ってしまう。後ろに立っている杉山からも不穏な空気が漂ってくるのを感じながら、あまりの内容に元来の好戦的な性格が表に出てくる。

「だから、井ノ上はそうじゃないって。学校に来たのもここのお医者さんだし、変なこと言うなよ!」

 そんな彼らに必死な声で訴えかける中西の声がどんどんと荒々しくなっていく。その反応を面白がられているとも知らないのだろう。必死になればなるほど、相手は面白がる。

 きっと中西は今まで中傷されたことなどないのだろう、あしらい方も反論の仕方も稚拙だ。どんどんと相手を煽ってしまうような燃料ばかりを投下する。

 なにの。

 まっすぐに悠人の名誉を守ろうとするその姿に、今まで感じたことのない温かみが胸を占める。学校などまともに通ったことがない悠人をここまで庇う人間はいなかった。しかも、中西との関係は勉強を教えるようになってからの二ヶ月しかない。友人達と一緒に嗤ったところで何も感じはしないだろう。

(あんなにムキになって馬鹿だな)

 馬鹿なのに、放ってはおけない気持ちにさせられる。

 とうとうターゲットが中西へと集中していく。

 しきりに退学を口にする彼らこそ、退学を恐れているようにしか思えない。

 悠人は慣れた操作で車椅子を動かし、彼らに近づいた。チラリと見れば周囲の見舞客も中西達を注目し、その内容を苦々しく思っている。

 当然だ。スポーツ医学を得意とする整形外科医がいるので、県内外問わずスポーツ関係者でいつも埋め尽くされているのだ。当然彼らの見舞客も関係者だろう。その中で高校生とはいえ、もう競技ができなくなった相手を馬鹿にする姿はスポーツマンシップに反するのだろう。厳つい体つきの大学生がきつく拳を握っている。

(助けるつもりじゃない。ただ自分の名誉を守るだけだ)

 言い訳を心の中に並べてつい口を開いてしまった。わざと杉山を巻き込んで口撃した。見下している中西ではなく、面識のない方が出てくるなんて想像もしていなかったのだろう、一言二言発しただけですぐに黙ってしまった相手に、手を緩められなかった。

(僕の悪いところだ……)

 分かっていても相手をとことんまで叩きのめしてしまうのは、あの人達の血だ。容赦なくどこまでも逃げ道を塞ぎ、とことんまで追い込む。自分でも嫌いな部分なのに、その方法をつい用いてしまう。

(早く謝れよ……)

 だが相手も意固地になって謝罪はとうとう出なかった。仲間割れをし、互いを罵倒しているのがどれほどみっともないのかも知らず、周囲の目も気にせず大声で騒ぎ立て一層注目を浴びる結果となっているのに気づかない。

 杉山の一言がなければ、開け放たれたままの扉をくぐることもできなかっただろう面々を睨み付ける。

(あいつらの選手生命も終わりにしてやる)

 どうせたいした成績ではないのだろう。だからこそこうして墜ちた人間を嗤うことができるのだ。

 アスリートらしからぬ振る舞いを続ければ、すぐにでもしっぺ返しはやってくるはずだ。訴えられやしないか、学校に知られやしないか、数日怯えれば良いと逃げ去るその背中を見送った。また中西に何かを言ってくるようなら本気で弁護士に相談しなければとさえ考えてしまう。

(あいつ馬鹿正直だな、本当に……世話がかかる)

 きっと今まで人間関係に苦労などなかっただろう中西を、平気で中傷したのがチームメイトだというのが腹立たしい。

 病院に長くいれば相手がどんな人間なのかすぐ分かる。

 賑やかな整形外科への見舞客で体格が良ければ、何かしらの競技をしているものだ。その見舞客はスポーツマンシップに溢れている者が多い。車椅子の相手が乗ると分かれば彼らが率先してエレベータから降りる光景は珍しくない。

 OBである杉山などは『選手の質が下がっている、文句言わないと』と珍しく鼻息を荒くしていたくらいだ。それほど、目に余る光景だったのに、悠人が気にしているのは中西のことだ。自分が侮辱されていることよりも、怪我をしてもう競技を続けられなくなったチームメイトを馬鹿にする彼らが許せなかった。

 誰かに対してこれ程までに関心を持ったのは、家族や病院関係者以外には初めてだ。

 悠人の中では、中西は病院で知り合ったと言うよりも、手のかかるクラスメイトの側面が強い。けれど、平気で誰かを誹謗中傷する彼らに比べたらずっと真摯な人間だ。勉強だってどれだけ無理難題をふっかけてやる気を削ごうとしても、必死で食らいついてくるし、泣き言を吐きながらも次には課題をクリアしている。そうやって前を向こうと頑張っている姿に、いつの間にか絆されていたところに今回の出来事が合わさって、少しだけ心の距離が近づいたような気がする。

 なによりも自分に対する暴言への反論より悠人を一番に庇おうとした姿勢が、少し嬉しかった。中西らしい一面だ。

 それで一層馬鹿にされているのに、どこまでも毅然とした態度で対峙するまっすぐな心は眩しかった。

「あいつすごいな……」

 悠人にはない、そんな気持ちは。

 超然としていても、本当は不安ばかりだ。

 自分が抱えている病気は何度手術を繰り返しても治りはしない。

 いつからか、治すことを諦めてしまった。

(あれは……あの時だ)

 父の親戚と会ったときだ。

『お前みたいなハズレが出てきたから、あいつは逃げ出したんだよなぁ』

 どうして会ったのかはよく覚えていないが、まだ小学校にも上がらない子供に向かって、彼らは嗤いながら酒を飲みそれを口にした。

 悠人が健康に生まれなかったから、父は出て行ったのだと。普通の子供だったら逃げ出さずにちゃんと育ててやっただろうと、まるで悠人の存在さえなければ良かったという口ぶりに母も兄の秀人も激怒し、あれ以来彼らに会ってはいない。

 そして父は悠人が生まれた瞬間に、離婚届だけを置いて浮気していた女の元に走り一度も生まれたばかりの子供の顔を見ることもなく家族の前から消え去った。

 それが未だに悠人の心に、切ってもまた蔓延る蜘蛛の巣のように影を落としている。

 自分さえ生まれてこなければ、義母も秀人もあんなにも苦労しなかっただろう。それが心の枷になって生気を奪っていくようだ。

 もう手術を受けたくない。

 ミミズが這ったような手術跡はずいぶんと薄くなってきた。

 あの言葉を思い出し意味を理解してから、悠人は手術を拒むようになってしまったのだ。生にしがみついて一秒でも長く生きようとする気持ちが失せてしまった悠人に、家族も杉山も気を揉んでることだろう。時折、快癒を望む言葉をリップサービスのように口にするだけで、積極的な治療をしようとしない患者に、手を焼いているのが見て取れる。

 次に発作が起これば命の保証はない。

 少しでも体調を崩せばすぐに入院となり、なんとか悠人を生きさせようとする周囲の大人達とは違い、半ば諦めていた。

 高校に行って普通の学生のように過ごして、それで終われば良いと思ってた。

 勉強も続ければいつか自分が生まれた意味が見つけられるんじゃないかとやってきた。けれど、何も見つけることができないままだ。

 中西のように目標を持って生きて、その目標が挫かれても次の目標に向かって進むだけの気力がもう存在しなかった。

『生まれてこなければなぁ』

 あの言葉は茨の冠だ。不要な子供の生誕を呪うように鋭い棘が今でも心を突き刺してくる。

 何を思って口にしたのかは分からない。父の行動に正当性を持たせようとしたのかもしれない。普通の子供が生まれても同じ行動を取っていたと母は言うが、素直に信じることなどできない。

(僕がこんな病気じゃなかったら、兄さんだって普通に大学に行ってたはずだ)

 高校卒業してすぐに働きに出た秀人は、苦労や後悔を一度も口にはしない。むしろ苦しむ悠人に寄り添い、昼間動けるようにと夜の仕事をしている。

 病気が治って大学に行けるよう、高額な治療費の他に貯金もしてくれている。

(自分のために使えば良いのに……)

 優しさですら悠人を縛り付けているように思える。

「はぁ……みんなを早く解放しないと」

 早く死んでしまいたい。

 そうすれば母も秀人もきっと安堵するだろう。

 そんな気がする。

 自分さえいなければ。その気持ちがずっしりと心の重石になる。

 チラリと太陽のような笑顔を貼り付けた中西の顔が浮かんだ。

 悠人の目がすっと細まった。

(そうだ、あいつのことがあった)

 まだ死ねない。中西が彼らを見返すだけの学力をつけさせてからじゃないと、この鬱憤は晴れない。相手を呪えばそれだけしっぺ返しが来るのだと、名前も知らない彼らへの怒りが胸に満ちあふれる。

「とりあえず、次の期末までには平均点が取れるくらいにしないと」

 五ヶ月でどれくらいできるかは中西次第だが、スポーツで培った集中力は目を見張るものがある。それが続きさえすれば平均点を取るくらいはなんてことないだろう。

 そのための強化カリキュラムを頭の中で組み立てる。

 一ヶ月で中学一年生の数字が終わったのは、正直早いほうだ。勉強慣れしていない人間ならもっと時間がかかると思っていた。基礎が身につけば後は応用だ。
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