きっと明日も君の隣で

椎名サクラ

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8 嘲笑に鉄拳5

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 不穏な空気を彼らも感じているのだろう。白衣を身につけて病院にいれば職業が何かなど一目瞭然だ。インテリヤクザとか悪徳弁護士だとか好き勝手言った相手を前にして萎縮して急に大人しくなっている。

「学校に僕の病状を説明に行ってくださったのは杉山医師ですよね……医師と僕がヤクザの関係者と言うことらしいですが、事実無根であることを広めるのは名誉毀損で合ってますか?」

「そうだね……なんだったら病院が抱えている顧問弁護士に尋ねてみようか。えっと君たち、名前は? ああ中西君から聞けば良いか。とりあえず学校には連絡しておくよ」

「え、そんな……俺達ちょっとふざけてただけじゃないですか……学校になんて大げさな……」

「おや、学校に知られたら困ることを話しているのかい? こんな人の多いところで。見てご覧、君たちが言う『おふざけ』で他の人たちがどれだけ不快になっているかをね」

 病室には中西と同じように怪我で選手生命が脅かされている人も多い。この病院の整形外科には多くのスポーツ選手を診てきた腕の良い医師がおり、遠方から手術を受けに来る人間も少なくない。アスリート精神が根付いている昨今、彼らの物言いに眉をひそめたり怒りを露わにして睨み付けている同室者もいる。そして彼らの見舞客もまた不快そうな表情を浮かべていた。

 自分達が周囲にどう見られているのかをようやく理解したのか、急にそわそわしだした。

「僕が勉強を教えてるとヤクザから金を取られるとも言ってましたね……面白いから噂を流すと。杉山医師、弁護士を紹介してください。退院した後の不利益が多すぎます」

「そうだね。未成年だからといって許される範囲は超えているね。このままじゃ悠人君の健全な学生生活が脅かされる。とてもじゃないけど、競技に打ち込める時間はないかもしれないね、君達」

 青ざめる彼らに悠人と杉山が容赦ない言葉を放っていく。

(こっえー……)

 もしも自分がこんな、戦国時代の小田原城陥落にも似た包囲網を敷かれたら、すぐに白旗を揚げるに決まっている。なのに元チームメイトは互いに視線をやっては、この窮地から切り抜いて今までと変わらない日々を過ごそうと画策している。

(そんなの無理に決まってんだろ……あの二人、容赦なさそうだし)

 医師と高校生なのに、法律を持ち出しながら冷静に穏やかに相手の恐怖を煽る方法を用いては、どんどん追い込んでいく姿を目の当たりにしても、中西はなぜか胸が高鳴ってしまう。感情など一片も出さずに相手を追い込む姿が、いかにも悠人らしくてむしろ格好良くすら思えてしまう。

 こんな状況なのに、少女漫画の主人公のように胸が高鳴り、悠人の後ろにキラキラと後光にも似た輝きが見える。自分よりも細い身体なのに毅然として、マドンナに似ていると憧れていたはずなのに、本当の悠人に触れ、徹底的に敵を叩きのめそうとするその姿に、同性なのにドギマギしてしまう。

(井ノ上めちゃくちゃ正義の味方っぽい……)

 もし自分が女子だったら迷わずキャーキャー言ってしまうだろう。それくらいに悠人の知的な戦い方は見惚れてしまう。元より腹黒そうな杉山とのタッグで一層、理知的で清廉な印象が際立つ。

(やっべー、マジでときめく)

 こんなにも毅然としている彼を見たことがないだけにギャップにやられる。頭が良い人間は戦い方もスマートなのかと、反論一辺倒だった自分が恥ずかしくなる。

「あ、俺は何も言ってませんから」

 形勢が不利だとみた一人が逃げに入ろうとする。

「人の悪口を言うだけじゃなく、自分が言ったことの責任も取らないんだ。一番みっともないね。内蔵切り売りとか言ってたの、ちゃんと聞いてるんだけど」

「そんなこと……言ったかなぁ」

「たった数分前の言葉すら覚えていないんだ。ちょうど良いからここで検査したら? ここMRIも充実してるから」

 ずっとこの病院にいるからか、妙に病院の機器にも精通している。言い逃れなどできないだろう。

 しかし、彼らの中には自分の言動を詫びるといった選択肢はなく、仲間の反旗に揉め始めた。あまりの騒がしさに他の病室の患者や看護師が顔を覗かせる。

「騒がしいし内容が下品すぎて他の患者の迷惑だからね、君達帰りなさい。今度来るときはもう少し社会常識を身につけてからにしてくれると嬉しいな」

 元チームメイト達がいがみ合っている中でも、ようやく得られた逃げ道を逃さないとばかりに鞄を掴むと、そそくさと人波をかき分けるようにして病室から出て行った。すれ違うときに杉山がぼそりと「覚悟しててね」と呟いたのは果たして彼らの耳に届いたのだろうか。

 やっと煩い面々がいなくなって、中西はふぅと長く息を吐くと、松葉杖をついたまま深く頭を下げた。

「騒がせてしまってすんませんでしたっ!」

 廊下にまで響き渡るほどの大声なのに、誰もがねぎらいの言葉が贈られる。

「あれはねーよ。お前が謝ることじゃないって」

「そうだ、なってないガキどもが悪いだろ」

「でも、俺の見舞い客なんで……」

「勝手に来て勝手に騒いでただけだろ。怪我してるやつを座らせもしないで……あいつらも陸上部か?」

「あ、はい。ほんと、迷惑かけてすみませんでした」

 同室の人たちの優しい言葉に、けれど申し訳なさは大きくなる。

「気にするな。遅かれ早かれ、ああいうやつは弾かれる。スポーツする資格ないからな。お前、友達守るためによく頑張ってたな」

 大学ラクビー部の厳つい見舞客が大きな手で中西の頭を撫でた。高校生になって子供みたいに褒められるのは少しこそばゆい。

「……井ノ上も嫌な思いさせてごめんな」

 ぺこりと頭を下げると、悠人は車椅子を動かし中西の前へやってきて「ほら」と膝の上に乗せたノートを差し出した。

「忘れ物。全問正解しているけど、字が汚すぎる。もう少し人が読める字を書け」

「あ……ごめんなさい」

「……あと、庇ってくれてありがとう……僕は誹謗中傷には慣れている」

「え、そこ慣れちゃダメだろ。嫌なこと言われたらちゃんと言い返さないと!」

「言い返すとさっきみたいになる。僕はどうも徹底的に相手を潰してしまうらしいから」

 確かに、杉山が頃合いを見て彼らを帰さなければ、本当にこの場に弁護士を呼んでなにがいけなかったのか知らしめた後に、法的手続きはどうするかまで言いかねない。

「でも、井ノ上めちゃくちゃ格好良かった……俺すげー役立たずだ」

「悔しかったら勉強で見返せ。どうせあいつらだって最下位を行ったり来たりの成績だろ。僕が教えてるんだから退学になんかなるな」

「……はい」

 どこまでも強気で上からのセリフに、なぜか勇気が沸く。嫌だと思っていた分野の勉強もやろうという気持ちになるのはなぜだろうか。普段よりも勢いがよくなったその顔を見て、いつもの澄ました顔をしたまま悠人は車椅子の向きを変え、部屋から出て行った。

「中西君、良い仕事をしてくれたよ。うんうん。この調子でよろしくね」

 杉山が意味深な言葉をこそりと耳元に送って悠人の後を追った。またただの賑やかさが戻った病室の自分のベッドに腰掛けノートを広げれば、科学の問題の丸付けの横に、あの少し癖のある字で『よくやった』と書かれてある。

(うっわー、井ノ上の字が俺のノートに……)

 字と同じく少し癖のある悠人が、素直に『よくできました』とは書かないのが彼らしくて、思わずノートを抱きしめる。初めてラブレターをもらったような、胸が躍ってしまうくらいの興奮が身体中を駆け巡る。ドキドキと早く脈打つ心音が耳まで届き、字を見ただけなのに耳までが真っ赤になる。

(めっちゃ嬉しい……やばっ、まじでおかしくなるくらい興奮してる)

 小説のマドンナに似た雰囲気の彼に興味を覚え、勝手に憧れを抱いていただけのはずなのに、本人に触れてどんどんと違う気持ちが大きくなるのがわかった。

(もしかして俺……でもそれって変だよな?)

 同性なのに、異性に向けるような感情があるのに気づく。

 いつもの物怠そうにしている怠惰な猫のような仕草も、さっきの勇ましさも、彼にとっては自然な行動だろうが、その一つ一つに中西は胸を撃ち抜かれるような気持ちになる。その人となりを知ればそれだけ、清廉で気高い悠人のことがどんどんと好きになっていく。

 憧れの人が友人のように思えてきて、そして今、中西の中にあるのは紛れもない『恋情』だ。

(男同士って……え、でも……嘘だろ……)

 中西は慌てて布団をかぶった。自分でもわかる、首まで真っ赤になっているのが。たった一言、ノートに書き込まれているだけで、頭がおかしくなるくらいにときめいてしまっている。

 男が好きな男もいる。

 そんなのは頭で理解しても、自分ではない誰かの話でしかなかった。けれど、悠人に抱いている感情は紛れもない恋心である。

「おれ……やべぇって」

 今日の午後も夜も悠人に勉強を見てもらうことになっている。こんな自分の気持ちに気づいた今、どうやって目の前に座ったら良いかわからない。

(勘違い……とかじゃないんだよな)

 何度も自分に問いかけてみる。けれど、頭に悠人の顔が浮かぶだけで血潮が湧き上がり、それが一カ所に集まってしまう。

(やべぇ……)

 鎮まれ、鎮まれとそこに言い聞かせても、悠人の顔がチラリと浮かぶだけでまた熱が集中してしまう。これでは真剣に自分と向き合うことなんかできない。

「俺……これからちゃんと井ノ上と向き合えるんかなぁ……」

 弱音を吐いても時間が来れば悠人に会えるのを嬉しがって、後のことなど考えずにきっと行ってしまう。

(と……とりあえず逢うまでにこれ、どうにかしないと……)

 元気になってしまった箇所をどうにか納めるために、じっと縮こまり続けた。
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