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第四章 贖罪 7
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幽閉されている間も変わらず自分を気にかけてくれた従弟は、幼い頃の面差しが僅かしか残っていない男の顔へと変貌していた。それでも変わらずエドゼルを真っ直ぐに見つめてくれた、昔と同じ目で。
どこにいてもヒルドブランドの話は耳に入る。
世界を救った英雄は人々の憧れで、平和の象徴だ。
命をかけた最終決戦を間近で見た自分は、けれどその戦い方を覚えてはいなかった。最後まで自分のことしか考えていなかったから。扱いの差が生じて当たり前だ。
それでも思い出す、エドゼルをまっすぐに見つめたあの、痛みを堪えた目を。抱くたびに苦しそうにしていた表情を。英雄で領主で世界でただ一人の魔剣士だというのに、決して傲慢にならずエドゼルを慮ってくれた。魔法の返還ではなく、エドゼルの意に反して欲望のまま抱いたところで誰にも責められない立場だというのに、抱かれたエドゼルよりもずっと苦しくて泣きそうになっていた。
(変わらず優しい子だ)
自分の知っているあの頃を思い出させる心の痛みを堪えた顔が脳裏に焼き付いている。
「そういやエディは知っとるか。一年前に魔剣士様が謹慎を食らったそうだ」
「えっ、なぜ?」
品行方正なヒルドブランドが謹慎などあり得ないと思った。常に周囲に目を配り部下を守ってきたと伝え聞いていた。従弟がこれ程までに頑張っているのにお前は、という遠回しの諫言だったのだと今ではわかるが。
騎士としての道を誤らず、しかも世界の英雄であるヒルドブランドに謹慎を言い渡せるほどあの国王が剛気だとは思えない。
「どうやら聖騎士様と決闘したらしい。従兄を侮辱したと言ってな……しかもあっという間に勝っちまったそうだ」
村長が豪快に笑った。それから優しい目でエドゼルを見上げる。
「随分と男気のある方だ、そういう人だからこそ英雄なのかもしれんなぁ」
一個人の感想だと呟いて、それから日が暮れたと家に帰っていった。
エドゼルはその場から離れることが出来なかった。
王子に剣を向ける、不敬罪に処されるかもしれない大事だ。自分こそが剣豪だと謳っていたワルドーだが、エドゼルの目からも他の騎士たちよりも剣技が劣っているのはわかっていた。だからこそ、彼を助けその矜持を守りたいと献身したのに、今心を占めるのはヒルドブランドの事ばかりだ。
英雄の名に傷は付いていやしないか、それによって彼の立場が悪くなっていやしないか。
ヒルドブランドのことを考えただけで不思議と心が温かくなっていた。
(あぁそうだ、昔の私はいつもヒルドのことを心配していたな)
アインホルン領を離れるその瞬間まで、彼の事に気を揉んでいた。自分がいなくて果たしてこの従弟はどうなってしまうのだろう。魔力を持たないままアインホルン領にいて大丈夫か。いっそのこと宮廷に連れて行こうか。
一晩中考えて結論が出せないまま瞬間移動した、真っ直ぐに自分を見つめる彼に顔を向けながら。
すぐにバルヒェット辺境伯領に移ったと聞いてどれほど安堵したことか。
あの頃の気持ちにエドゼルは還っていた。
心にはもう、ワルドーが現れることがない。今二人の話を聞いていたというのに、微塵も彼に対する恋情は沸き起こらなかった。その事実に気づき、むしろ驚いた。
たった三年前まであれほどワルドーに会いたくて、彼に抱きしめられたくて仕方なかったというのに。その名を耳にしても心は動かない。
むしろヒルドブランドに対してざわめいてしまう。
なぜかなんて考えるまでもない。
「今どうしているんだ……」
頼りなかった従弟の顔がいつからか頼もしい男の顔に変わっている。あれほど色に狂った中で、泣きそうな苦しい表情が記憶されていた。
地平線に沈み込もうとする太陽は夜の帳で世界を覆うとしているように思える。放たれる名残の茜色は、ヒルドブランド領城の窓から見たのと同じ色だ。
「行ったら……どんな顔をするんだろうか」
いや、まだ行けない。自分は贖罪を済ませていないから。全てを終えてからでなければヒルドブランドに会えない。会う勇気がない。
けれど一目見るだけなら許されるだろうか。
「まぁ今の私では誰だかわからないか」
荒んだ手、骨張った手足。かつての姿は微塵も残っていない。髪も随分と短く切ってしまった。光に透ける白い髪を隠せば誰かも認識できないだろう。
「ほんの少しなら」
魔力をもう持たないこの身なら気付かれることもない。
「ほんの少しなら……」
どこにいてもヒルドブランドの話は耳に入る。
世界を救った英雄は人々の憧れで、平和の象徴だ。
命をかけた最終決戦を間近で見た自分は、けれどその戦い方を覚えてはいなかった。最後まで自分のことしか考えていなかったから。扱いの差が生じて当たり前だ。
それでも思い出す、エドゼルをまっすぐに見つめたあの、痛みを堪えた目を。抱くたびに苦しそうにしていた表情を。英雄で領主で世界でただ一人の魔剣士だというのに、決して傲慢にならずエドゼルを慮ってくれた。魔法の返還ではなく、エドゼルの意に反して欲望のまま抱いたところで誰にも責められない立場だというのに、抱かれたエドゼルよりもずっと苦しくて泣きそうになっていた。
(変わらず優しい子だ)
自分の知っているあの頃を思い出させる心の痛みを堪えた顔が脳裏に焼き付いている。
「そういやエディは知っとるか。一年前に魔剣士様が謹慎を食らったそうだ」
「えっ、なぜ?」
品行方正なヒルドブランドが謹慎などあり得ないと思った。常に周囲に目を配り部下を守ってきたと伝え聞いていた。従弟がこれ程までに頑張っているのにお前は、という遠回しの諫言だったのだと今ではわかるが。
騎士としての道を誤らず、しかも世界の英雄であるヒルドブランドに謹慎を言い渡せるほどあの国王が剛気だとは思えない。
「どうやら聖騎士様と決闘したらしい。従兄を侮辱したと言ってな……しかもあっという間に勝っちまったそうだ」
村長が豪快に笑った。それから優しい目でエドゼルを見上げる。
「随分と男気のある方だ、そういう人だからこそ英雄なのかもしれんなぁ」
一個人の感想だと呟いて、それから日が暮れたと家に帰っていった。
エドゼルはその場から離れることが出来なかった。
王子に剣を向ける、不敬罪に処されるかもしれない大事だ。自分こそが剣豪だと謳っていたワルドーだが、エドゼルの目からも他の騎士たちよりも剣技が劣っているのはわかっていた。だからこそ、彼を助けその矜持を守りたいと献身したのに、今心を占めるのはヒルドブランドの事ばかりだ。
英雄の名に傷は付いていやしないか、それによって彼の立場が悪くなっていやしないか。
ヒルドブランドのことを考えただけで不思議と心が温かくなっていた。
(あぁそうだ、昔の私はいつもヒルドのことを心配していたな)
アインホルン領を離れるその瞬間まで、彼の事に気を揉んでいた。自分がいなくて果たしてこの従弟はどうなってしまうのだろう。魔力を持たないままアインホルン領にいて大丈夫か。いっそのこと宮廷に連れて行こうか。
一晩中考えて結論が出せないまま瞬間移動した、真っ直ぐに自分を見つめる彼に顔を向けながら。
すぐにバルヒェット辺境伯領に移ったと聞いてどれほど安堵したことか。
あの頃の気持ちにエドゼルは還っていた。
心にはもう、ワルドーが現れることがない。今二人の話を聞いていたというのに、微塵も彼に対する恋情は沸き起こらなかった。その事実に気づき、むしろ驚いた。
たった三年前まであれほどワルドーに会いたくて、彼に抱きしめられたくて仕方なかったというのに。その名を耳にしても心は動かない。
むしろヒルドブランドに対してざわめいてしまう。
なぜかなんて考えるまでもない。
「今どうしているんだ……」
頼りなかった従弟の顔がいつからか頼もしい男の顔に変わっている。あれほど色に狂った中で、泣きそうな苦しい表情が記憶されていた。
地平線に沈み込もうとする太陽は夜の帳で世界を覆うとしているように思える。放たれる名残の茜色は、ヒルドブランド領城の窓から見たのと同じ色だ。
「行ったら……どんな顔をするんだろうか」
いや、まだ行けない。自分は贖罪を済ませていないから。全てを終えてからでなければヒルドブランドに会えない。会う勇気がない。
けれど一目見るだけなら許されるだろうか。
「まぁ今の私では誰だかわからないか」
荒んだ手、骨張った手足。かつての姿は微塵も残っていない。髪も随分と短く切ってしまった。光に透ける白い髪を隠せば誰かも認識できないだろう。
「ほんの少しなら」
魔力をもう持たないこの身なら気付かれることもない。
「ほんの少しなら……」
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