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第三章 魔力返還と罪 1
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ヒルドブランド領と名付けられた領地は、皮肉なことに魔王城のすぐそばだった。
禍々しい暗雲は去り、魔王城が崩れた後に残ったのはどこまでも広大な土地。未だ燻る魔王の権力の名残りが、草一つ生えない枯れた土地として残っていた。
しかし僅か一年でそれも終わり、いつの頃か草が芽吹き始めた。
エドゼルは三十になっていた。
魔王が討たれてから二年、生き残った魔族や魔獣の討伐が何度が行われたが、世界は平和になり始めていた。もう襲い来る魔獣に怯えて森に入ることもなくなった人々は、農地を広げていった。ヒルドブランド領でも農地開発が進み、新たな品種と宮廷魔道士が生み出した作物の種が出回り始めた。
日々は穏やかに過ぎ去ろうとした。
その中でエドゼルだけが取り残されたように魔王城のあった場所が見える窓にぼんやりと腰掛けていた。
あの日から髪は白いままだ。
その身に一抹も魔力が備わっていない証である。
風がそよげば切らずにいる長い髪がなびき、止めば細い身体に纏わり付く。
「エドゼル、何か食べよう」
かかる声に、しかしエドゼルは窓の向こうを見たまま動かない。全ての窓に格子がなければそのまま身体を投げ出していただろう。
まるで牢獄のような部屋。
討伐が終わった後、査問会が開かれた。
多くの兵を死に至らしめたワルドーとエドゼルは厳罰に処せられた。
聖騎士でありながら白魔法を自分にしか使わず、なおかつ恋人であるのをいいことに宮廷魔道士長の魔法を自分の援護だけに使わせていたとして、ワルドーは聖騎士の称号を剥奪され、騎士団からも除名され密かに幽閉された。
エドゼルは配下の黒魔道士に指示し魔力を使わなかったこと、特定の人物の救済のみに使い、仲間の騎士に危害を加えたとして幽閉された。
それが、ここだ。
従弟であり英雄でもある、今では魔剣士の称号にふさわしくなったヒルドブランドがその身を引き受けると言えば、反対の声が上がることはなかった。
充分な食事も、領城から出ることは出来ないがある程度の自由も与えたが、エドゼルはこの格子で塞がれた部屋から出ることはなかった。
「エドゼル、スープだけでも飲もう」
トレイから料理人が丹精込めて作ったとろみのあるスープを掬ってその口に運ぶ。
「うるさいっ!」
すぐに骨が浮き出た細い腕で払った。木製のスプーンが宙を舞い、液体と共に絨毯の上に転がる。ヒルドブランドはすぐさま立ち上がってトレイにある新しいスプーンを手に取ると、またエドゼルの横に腰掛けた。
「このままでは死んでしまう。一口でいい、食べてくれ」
インクで塗ったような漆黒の長い髪を後ろに一つで結わいた彼をぎっと睨めつけた。
ヒルドブランドは嘆息して骨ばかりになった身体を抱きしめた。長く力強い腕が、エドゼルの両腕を動けないよう拘束した。
「いつものように与えて欲しいんですね」
「ちがっ!」
熱いスープを口に含むと、エドゼルの乾いた唇に己のを押し当てた。舌で唇を割り、僅かに温くなったスープを流し込む。嚥下するのを確認し唇を離すとまた同じ事を繰り返す。何度も、椀の中の液体がなくなるまで。
抵抗しようと暴れるが、両腕ごと抱きしめられてしまえば、未だ遠征に赴き剣を振るうヒルドブランドに敵うはずもなく、僅かに腕をバタつかせるだけだった。
吹き込む風が二人の間に入る隙もないほど強く押しつけられた身体から、血潮の逞しさをも表す熱が流れ込んで、エドゼルの冷え切った痩身を温めた。けれど、心はあれから二年も経つのに温まることはない。
すべてを注ぎ込まれやっと痛いくらいに抱きしめてきた腕も離れていった。椀をトレイに戻し、パンを手に取る。焼きたてのまだ熱が残るそれを鼻先に押しつけられ、けれど顔を背けてまた組んだ腕に顔を埋め、窓辺にて蹲る。
「もう私に構うな」
誰も構わないでくれ、自分はあの日死んでしまったのだからと続け、心を閉じた。目の前にいるヒルドブランドすら目に入らない。この二年繰り返された会話だ。食事は一日一食のスープのみ。日ごとに細くなり、今では骨が浮き上がるほどになってしまったエドゼルは、心までもが痩せきっていた。
あの日、査問会の結果が伝えられた日からエドゼルは心を毀した。
全ての称号を剥奪されたワルドーはエドゼルに向かってこう言い放ったのだ。
「すべては宮廷魔道士長の指示だ、私は彼の思惑に取り込まれてしまっただけだ! この男が私を惑わしたのだ!!」
禍々しい暗雲は去り、魔王城が崩れた後に残ったのはどこまでも広大な土地。未だ燻る魔王の権力の名残りが、草一つ生えない枯れた土地として残っていた。
しかし僅か一年でそれも終わり、いつの頃か草が芽吹き始めた。
エドゼルは三十になっていた。
魔王が討たれてから二年、生き残った魔族や魔獣の討伐が何度が行われたが、世界は平和になり始めていた。もう襲い来る魔獣に怯えて森に入ることもなくなった人々は、農地を広げていった。ヒルドブランド領でも農地開発が進み、新たな品種と宮廷魔道士が生み出した作物の種が出回り始めた。
日々は穏やかに過ぎ去ろうとした。
その中でエドゼルだけが取り残されたように魔王城のあった場所が見える窓にぼんやりと腰掛けていた。
あの日から髪は白いままだ。
その身に一抹も魔力が備わっていない証である。
風がそよげば切らずにいる長い髪がなびき、止めば細い身体に纏わり付く。
「エドゼル、何か食べよう」
かかる声に、しかしエドゼルは窓の向こうを見たまま動かない。全ての窓に格子がなければそのまま身体を投げ出していただろう。
まるで牢獄のような部屋。
討伐が終わった後、査問会が開かれた。
多くの兵を死に至らしめたワルドーとエドゼルは厳罰に処せられた。
聖騎士でありながら白魔法を自分にしか使わず、なおかつ恋人であるのをいいことに宮廷魔道士長の魔法を自分の援護だけに使わせていたとして、ワルドーは聖騎士の称号を剥奪され、騎士団からも除名され密かに幽閉された。
エドゼルは配下の黒魔道士に指示し魔力を使わなかったこと、特定の人物の救済のみに使い、仲間の騎士に危害を加えたとして幽閉された。
それが、ここだ。
従弟であり英雄でもある、今では魔剣士の称号にふさわしくなったヒルドブランドがその身を引き受けると言えば、反対の声が上がることはなかった。
充分な食事も、領城から出ることは出来ないがある程度の自由も与えたが、エドゼルはこの格子で塞がれた部屋から出ることはなかった。
「エドゼル、スープだけでも飲もう」
トレイから料理人が丹精込めて作ったとろみのあるスープを掬ってその口に運ぶ。
「うるさいっ!」
すぐに骨が浮き出た細い腕で払った。木製のスプーンが宙を舞い、液体と共に絨毯の上に転がる。ヒルドブランドはすぐさま立ち上がってトレイにある新しいスプーンを手に取ると、またエドゼルの横に腰掛けた。
「このままでは死んでしまう。一口でいい、食べてくれ」
インクで塗ったような漆黒の長い髪を後ろに一つで結わいた彼をぎっと睨めつけた。
ヒルドブランドは嘆息して骨ばかりになった身体を抱きしめた。長く力強い腕が、エドゼルの両腕を動けないよう拘束した。
「いつものように与えて欲しいんですね」
「ちがっ!」
熱いスープを口に含むと、エドゼルの乾いた唇に己のを押し当てた。舌で唇を割り、僅かに温くなったスープを流し込む。嚥下するのを確認し唇を離すとまた同じ事を繰り返す。何度も、椀の中の液体がなくなるまで。
抵抗しようと暴れるが、両腕ごと抱きしめられてしまえば、未だ遠征に赴き剣を振るうヒルドブランドに敵うはずもなく、僅かに腕をバタつかせるだけだった。
吹き込む風が二人の間に入る隙もないほど強く押しつけられた身体から、血潮の逞しさをも表す熱が流れ込んで、エドゼルの冷え切った痩身を温めた。けれど、心はあれから二年も経つのに温まることはない。
すべてを注ぎ込まれやっと痛いくらいに抱きしめてきた腕も離れていった。椀をトレイに戻し、パンを手に取る。焼きたてのまだ熱が残るそれを鼻先に押しつけられ、けれど顔を背けてまた組んだ腕に顔を埋め、窓辺にて蹲る。
「もう私に構うな」
誰も構わないでくれ、自分はあの日死んでしまったのだからと続け、心を閉じた。目の前にいるヒルドブランドすら目に入らない。この二年繰り返された会話だ。食事は一日一食のスープのみ。日ごとに細くなり、今では骨が浮き上がるほどになってしまったエドゼルは、心までもが痩せきっていた。
あの日、査問会の結果が伝えられた日からエドゼルは心を毀した。
全ての称号を剥奪されたワルドーはエドゼルに向かってこう言い放ったのだ。
「すべては宮廷魔道士長の指示だ、私は彼の思惑に取り込まれてしまっただけだ! この男が私を惑わしたのだ!!」
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