20 / 53
第三章 魔力返還と罪 1
しおりを挟む
ヒルドブランド領と名付けられた領地は、皮肉なことに魔王城のすぐそばだった。
禍々しい暗雲は去り、魔王城が崩れた後に残ったのはどこまでも広大な土地。未だ燻る魔王の権力の名残りが、草一つ生えない枯れた土地として残っていた。
しかし僅か一年でそれも終わり、いつの頃か草が芽吹き始めた。
エドゼルは三十になっていた。
魔王が討たれてから二年、生き残った魔族や魔獣の討伐が何度が行われたが、世界は平和になり始めていた。もう襲い来る魔獣に怯えて森に入ることもなくなった人々は、農地を広げていった。ヒルドブランド領でも農地開発が進み、新たな品種と宮廷魔道士が生み出した作物の種が出回り始めた。
日々は穏やかに過ぎ去ろうとした。
その中でエドゼルだけが取り残されたように魔王城のあった場所が見える窓にぼんやりと腰掛けていた。
あの日から髪は白いままだ。
その身に一抹も魔力が備わっていない証である。
風がそよげば切らずにいる長い髪がなびき、止めば細い身体に纏わり付く。
「エドゼル、何か食べよう」
かかる声に、しかしエドゼルは窓の向こうを見たまま動かない。全ての窓に格子がなければそのまま身体を投げ出していただろう。
まるで牢獄のような部屋。
討伐が終わった後、査問会が開かれた。
多くの兵を死に至らしめたワルドーとエドゼルは厳罰に処せられた。
聖騎士でありながら白魔法を自分にしか使わず、なおかつ恋人であるのをいいことに宮廷魔道士長の魔法を自分の援護だけに使わせていたとして、ワルドーは聖騎士の称号を剥奪され、騎士団からも除名され密かに幽閉された。
エドゼルは配下の黒魔道士に指示し魔力を使わなかったこと、特定の人物の救済のみに使い、仲間の騎士に危害を加えたとして幽閉された。
それが、ここだ。
従弟であり英雄でもある、今では魔剣士の称号にふさわしくなったヒルドブランドがその身を引き受けると言えば、反対の声が上がることはなかった。
充分な食事も、領城から出ることは出来ないがある程度の自由も与えたが、エドゼルはこの格子で塞がれた部屋から出ることはなかった。
「エドゼル、スープだけでも飲もう」
トレイから料理人が丹精込めて作ったとろみのあるスープを掬ってその口に運ぶ。
「うるさいっ!」
すぐに骨が浮き出た細い腕で払った。木製のスプーンが宙を舞い、液体と共に絨毯の上に転がる。ヒルドブランドはすぐさま立ち上がってトレイにある新しいスプーンを手に取ると、またエドゼルの横に腰掛けた。
「このままでは死んでしまう。一口でいい、食べてくれ」
インクで塗ったような漆黒の長い髪を後ろに一つで結わいた彼をぎっと睨めつけた。
ヒルドブランドは嘆息して骨ばかりになった身体を抱きしめた。長く力強い腕が、エドゼルの両腕を動けないよう拘束した。
「いつものように与えて欲しいんですね」
「ちがっ!」
熱いスープを口に含むと、エドゼルの乾いた唇に己のを押し当てた。舌で唇を割り、僅かに温くなったスープを流し込む。嚥下するのを確認し唇を離すとまた同じ事を繰り返す。何度も、椀の中の液体がなくなるまで。
抵抗しようと暴れるが、両腕ごと抱きしめられてしまえば、未だ遠征に赴き剣を振るうヒルドブランドに敵うはずもなく、僅かに腕をバタつかせるだけだった。
吹き込む風が二人の間に入る隙もないほど強く押しつけられた身体から、血潮の逞しさをも表す熱が流れ込んで、エドゼルの冷え切った痩身を温めた。けれど、心はあれから二年も経つのに温まることはない。
すべてを注ぎ込まれやっと痛いくらいに抱きしめてきた腕も離れていった。椀をトレイに戻し、パンを手に取る。焼きたてのまだ熱が残るそれを鼻先に押しつけられ、けれど顔を背けてまた組んだ腕に顔を埋め、窓辺にて蹲る。
「もう私に構うな」
誰も構わないでくれ、自分はあの日死んでしまったのだからと続け、心を閉じた。目の前にいるヒルドブランドすら目に入らない。この二年繰り返された会話だ。食事は一日一食のスープのみ。日ごとに細くなり、今では骨が浮き上がるほどになってしまったエドゼルは、心までもが痩せきっていた。
あの日、査問会の結果が伝えられた日からエドゼルは心を毀した。
全ての称号を剥奪されたワルドーはエドゼルに向かってこう言い放ったのだ。
「すべては宮廷魔道士長の指示だ、私は彼の思惑に取り込まれてしまっただけだ! この男が私を惑わしたのだ!!」
禍々しい暗雲は去り、魔王城が崩れた後に残ったのはどこまでも広大な土地。未だ燻る魔王の権力の名残りが、草一つ生えない枯れた土地として残っていた。
しかし僅か一年でそれも終わり、いつの頃か草が芽吹き始めた。
エドゼルは三十になっていた。
魔王が討たれてから二年、生き残った魔族や魔獣の討伐が何度が行われたが、世界は平和になり始めていた。もう襲い来る魔獣に怯えて森に入ることもなくなった人々は、農地を広げていった。ヒルドブランド領でも農地開発が進み、新たな品種と宮廷魔道士が生み出した作物の種が出回り始めた。
日々は穏やかに過ぎ去ろうとした。
その中でエドゼルだけが取り残されたように魔王城のあった場所が見える窓にぼんやりと腰掛けていた。
あの日から髪は白いままだ。
その身に一抹も魔力が備わっていない証である。
風がそよげば切らずにいる長い髪がなびき、止めば細い身体に纏わり付く。
「エドゼル、何か食べよう」
かかる声に、しかしエドゼルは窓の向こうを見たまま動かない。全ての窓に格子がなければそのまま身体を投げ出していただろう。
まるで牢獄のような部屋。
討伐が終わった後、査問会が開かれた。
多くの兵を死に至らしめたワルドーとエドゼルは厳罰に処せられた。
聖騎士でありながら白魔法を自分にしか使わず、なおかつ恋人であるのをいいことに宮廷魔道士長の魔法を自分の援護だけに使わせていたとして、ワルドーは聖騎士の称号を剥奪され、騎士団からも除名され密かに幽閉された。
エドゼルは配下の黒魔道士に指示し魔力を使わなかったこと、特定の人物の救済のみに使い、仲間の騎士に危害を加えたとして幽閉された。
それが、ここだ。
従弟であり英雄でもある、今では魔剣士の称号にふさわしくなったヒルドブランドがその身を引き受けると言えば、反対の声が上がることはなかった。
充分な食事も、領城から出ることは出来ないがある程度の自由も与えたが、エドゼルはこの格子で塞がれた部屋から出ることはなかった。
「エドゼル、スープだけでも飲もう」
トレイから料理人が丹精込めて作ったとろみのあるスープを掬ってその口に運ぶ。
「うるさいっ!」
すぐに骨が浮き出た細い腕で払った。木製のスプーンが宙を舞い、液体と共に絨毯の上に転がる。ヒルドブランドはすぐさま立ち上がってトレイにある新しいスプーンを手に取ると、またエドゼルの横に腰掛けた。
「このままでは死んでしまう。一口でいい、食べてくれ」
インクで塗ったような漆黒の長い髪を後ろに一つで結わいた彼をぎっと睨めつけた。
ヒルドブランドは嘆息して骨ばかりになった身体を抱きしめた。長く力強い腕が、エドゼルの両腕を動けないよう拘束した。
「いつものように与えて欲しいんですね」
「ちがっ!」
熱いスープを口に含むと、エドゼルの乾いた唇に己のを押し当てた。舌で唇を割り、僅かに温くなったスープを流し込む。嚥下するのを確認し唇を離すとまた同じ事を繰り返す。何度も、椀の中の液体がなくなるまで。
抵抗しようと暴れるが、両腕ごと抱きしめられてしまえば、未だ遠征に赴き剣を振るうヒルドブランドに敵うはずもなく、僅かに腕をバタつかせるだけだった。
吹き込む風が二人の間に入る隙もないほど強く押しつけられた身体から、血潮の逞しさをも表す熱が流れ込んで、エドゼルの冷え切った痩身を温めた。けれど、心はあれから二年も経つのに温まることはない。
すべてを注ぎ込まれやっと痛いくらいに抱きしめてきた腕も離れていった。椀をトレイに戻し、パンを手に取る。焼きたてのまだ熱が残るそれを鼻先に押しつけられ、けれど顔を背けてまた組んだ腕に顔を埋め、窓辺にて蹲る。
「もう私に構うな」
誰も構わないでくれ、自分はあの日死んでしまったのだからと続け、心を閉じた。目の前にいるヒルドブランドすら目に入らない。この二年繰り返された会話だ。食事は一日一食のスープのみ。日ごとに細くなり、今では骨が浮き上がるほどになってしまったエドゼルは、心までもが痩せきっていた。
あの日、査問会の結果が伝えられた日からエドゼルは心を毀した。
全ての称号を剥奪されたワルドーはエドゼルに向かってこう言い放ったのだ。
「すべては宮廷魔道士長の指示だ、私は彼の思惑に取り込まれてしまっただけだ! この男が私を惑わしたのだ!!」
0
お気に入りに追加
155
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
前世が俺の友人で、いまだに俺のことが好きだって本当ですか
Bee
BL
半年前に別れた元恋人だった男の結婚式で、ユウジはそこではじめて二股をかけられていたことを知る。8年も一緒にいた相手に裏切られていたことを知り、ショックを受けたユウジは式場を飛び出してしまう。
無我夢中で車を走らせて、気がつくとユウジは見知らぬ場所にいることに気がつく。そこはまるで天国のようで、そばには7年前に死んだ友人の黒木が。黒木はユウジのことが好きだったと言い出して――
最初は主人公が別れた男の結婚式に参加しているところから始まります。
死んだ友人との再会と、その友人の生まれ変わりと思われる青年との出会いへと話が続きます。
生まれ変わり(?)21歳大学生×きれいめな48歳おっさんの話です。
※軽い性的表現あり
短編から長編に変更しています
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
彼の理想に
いちみやりょう
BL
あの人が見つめる先はいつも、優しそうに、幸せそうに笑う人だった。
人は違ってもそれだけは変わらなかった。
だから俺は、幸せそうに笑う努力をした。
優しくする努力をした。
本当はそんな人間なんかじゃないのに。
俺はあの人の恋人になりたい。
だけど、そんなことノンケのあの人に頼めないから。
心は冗談の中に隠して、少しでもあの人に近づけるようにって笑った。ずっとずっと。そうしてきた。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
末っ子王子は婚約者の愛を信じられない。
めちゅう
BL
末っ子王子のフランは兄であるカイゼンとその伴侶であるトーマの結婚式で涙を流すトーマ付きの騎士アズランを目にする。密かに慕っていたアズランがトーマに失恋したと思いー。
お読みくださりありがとうございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる