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第二章 王子の恋人となった宮廷魔道士長 1
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「どういうことなのよっ!」
パァァン! と高い音が部屋いっぱいに鳴った。アインホルン領城のすぐ傍にある建物の応接室で美しいドレスに身を包んだ自分に似た赤毛の女性が、その顔までも赤くして睨めつけてきた。かつては美しかっただろう面も、経年と怒りで魔獣のようだ。
エドゼルは赤くなった頬を押さえ、嘆息した。
「何を怒っているのですか、母上」
「貴方、またあのクズを庇ったそうじゃない、何を考えているのっ!」
もう一度強烈な平手が飛んでこようとするのを、風魔法で防ぐ。締め切った室内に吹いた突風に、飾られた花が花弁を散らし部屋中にばら撒かれる。
「別に良いではないですか。何をそんなに目くじらを立てていらっしゃるのです、子供一人のことで」
小さく笑って窘める。まるで大人のような仕草で取るに足らないことで怒るものではないと言わんばかりに。
「ただの子供じゃないわ、あの女の子よっ」
「ただの子供です、ヒルドブランドは。魔力を持たないただの子供。それを寄ってたかって苛める必要はないでしょう」
母の恨みのせいでヒルドブランドがどれほど傷ついているのか気付かないのか。本来であれば伯爵夫人になれた女は、王命により結婚できなかったことを恨み、原因となった子を領民を使っていじめ抜いている。元々、魔力を持たない子に厳しかったがここまでではなかった。
命を奪ってもいいと思うようになるほど煽ったのは、間違いなくエドゼルの母だ。
そして今、ヒルドブランドを庇ったのが自分の息子であるのが気に入らず、叱責してきた。彼がいなくなったところで、母が伯爵夫人になる日は来ないというのに。
「何がご不満なのですか。伯爵の妻ではないけれど、貴女は宮廷魔術師長の妻ではありませんか。シーズンになれば王都に行けるし社交もできますよ」
「だから嫌なのよっ! あんな……あんなっ!」
社交界がどのような場所なのか知らないが、母にとっては屈辱の場なのだろう、いつも王都から帰ってきては不機嫌となり周囲に当たり散らしている。
もしここに父がいたなら……アインホルン領で最も見識のある父なら母をどう見て諫めただろう。
『ここは視野が狭すぎる、お前だけはそれに染まるな』
宮廷から戻ってくる僅かな間、いつもエドゼルにそう言い聞かせた父は、決してアインホルン領から出ない伯爵よりも分別があり知識も豊富で思慮深く、エドゼルの憧れだった。父の言葉が正しく、母を含めた領民は酷く狭い価値観に囚われた小さな存在に思えた。
魔力を持たずに生まれたのは誰のせいでもない、神がそう決めたんだ。
現に、エドゼルがこれほどまでに早い速度で魔法を覚えられたのも、神が決めたことだ。
そう訴えても、母は聞く耳を持たなかった。
「決して近づくんじゃありません、あんなのが伯爵の子など、我々が笑われてしまいます」
誰も笑いはしないだろう。
軽くいなして、だが従う気はなかった。
そして失望が心に広がっていく。なぜ自分を見てくれないんだと。あれほど魔法を頑張っているのに、領民の誰よりも早く習得しているのに、母は一度として褒めてはくれない。
その目は常にヒルドブランドに向けられ、すぐ隣にいるエドゼルに向いてくれることはない。今に始まったことではないが、それでも割り切るにはエドゼルは幼かった。
(やはり母上は私が嫌いなんだ)
目を向けて貰おうと必死に頑張って得たこの魔力すら虚しい物のように思え、自分を否定しそうになる。そして自分を肯定しようとすると母を否定してしまう。それの繰り返しに疲れたエドゼルは、母の言葉に耳を傾けず自分のしたいことだけをすると心に決めた。
彼女からの愛はもう望めないのだから。
エドゼルは応接室を出て自室に入った。大きな寝台だけがあるその空間に手を翳せばふわりと紅蓮になった髪が宙を浮いた。掌に小さな太陽が生まれ、天上へと昇っていく。
光の魔法だ。
エドゼルは今日読んだ本を頭の中で思い返した。氷魔法はマスターした途端に読めるようになった、奥の棚の本はミミズが這ったような字で書かれているその言葉を一字一句覚えるのではない。ただ指で辿るだけで情報が自然と身体の中へと入り込んでいく。
「これで土魔法もマスターかな。後はどんな魔法書があそこにあるんだろう」
全てを覚え、そしてこの小さくて母の権力が隅々にまで行き渡った領を出るんだ。
エドゼルはもっと広い世界を見たかった。魔王を倒せるようになりたかった。そのためにはもっと力をつけなければならない。
「あの子を置いていくしかないのか」
パァァン! と高い音が部屋いっぱいに鳴った。アインホルン領城のすぐ傍にある建物の応接室で美しいドレスに身を包んだ自分に似た赤毛の女性が、その顔までも赤くして睨めつけてきた。かつては美しかっただろう面も、経年と怒りで魔獣のようだ。
エドゼルは赤くなった頬を押さえ、嘆息した。
「何を怒っているのですか、母上」
「貴方、またあのクズを庇ったそうじゃない、何を考えているのっ!」
もう一度強烈な平手が飛んでこようとするのを、風魔法で防ぐ。締め切った室内に吹いた突風に、飾られた花が花弁を散らし部屋中にばら撒かれる。
「別に良いではないですか。何をそんなに目くじらを立てていらっしゃるのです、子供一人のことで」
小さく笑って窘める。まるで大人のような仕草で取るに足らないことで怒るものではないと言わんばかりに。
「ただの子供じゃないわ、あの女の子よっ」
「ただの子供です、ヒルドブランドは。魔力を持たないただの子供。それを寄ってたかって苛める必要はないでしょう」
母の恨みのせいでヒルドブランドがどれほど傷ついているのか気付かないのか。本来であれば伯爵夫人になれた女は、王命により結婚できなかったことを恨み、原因となった子を領民を使っていじめ抜いている。元々、魔力を持たない子に厳しかったがここまでではなかった。
命を奪ってもいいと思うようになるほど煽ったのは、間違いなくエドゼルの母だ。
そして今、ヒルドブランドを庇ったのが自分の息子であるのが気に入らず、叱責してきた。彼がいなくなったところで、母が伯爵夫人になる日は来ないというのに。
「何がご不満なのですか。伯爵の妻ではないけれど、貴女は宮廷魔術師長の妻ではありませんか。シーズンになれば王都に行けるし社交もできますよ」
「だから嫌なのよっ! あんな……あんなっ!」
社交界がどのような場所なのか知らないが、母にとっては屈辱の場なのだろう、いつも王都から帰ってきては不機嫌となり周囲に当たり散らしている。
もしここに父がいたなら……アインホルン領で最も見識のある父なら母をどう見て諫めただろう。
『ここは視野が狭すぎる、お前だけはそれに染まるな』
宮廷から戻ってくる僅かな間、いつもエドゼルにそう言い聞かせた父は、決してアインホルン領から出ない伯爵よりも分別があり知識も豊富で思慮深く、エドゼルの憧れだった。父の言葉が正しく、母を含めた領民は酷く狭い価値観に囚われた小さな存在に思えた。
魔力を持たずに生まれたのは誰のせいでもない、神がそう決めたんだ。
現に、エドゼルがこれほどまでに早い速度で魔法を覚えられたのも、神が決めたことだ。
そう訴えても、母は聞く耳を持たなかった。
「決して近づくんじゃありません、あんなのが伯爵の子など、我々が笑われてしまいます」
誰も笑いはしないだろう。
軽くいなして、だが従う気はなかった。
そして失望が心に広がっていく。なぜ自分を見てくれないんだと。あれほど魔法を頑張っているのに、領民の誰よりも早く習得しているのに、母は一度として褒めてはくれない。
その目は常にヒルドブランドに向けられ、すぐ隣にいるエドゼルに向いてくれることはない。今に始まったことではないが、それでも割り切るにはエドゼルは幼かった。
(やはり母上は私が嫌いなんだ)
目を向けて貰おうと必死に頑張って得たこの魔力すら虚しい物のように思え、自分を否定しそうになる。そして自分を肯定しようとすると母を否定してしまう。それの繰り返しに疲れたエドゼルは、母の言葉に耳を傾けず自分のしたいことだけをすると心に決めた。
彼女からの愛はもう望めないのだから。
エドゼルは応接室を出て自室に入った。大きな寝台だけがあるその空間に手を翳せばふわりと紅蓮になった髪が宙を浮いた。掌に小さな太陽が生まれ、天上へと昇っていく。
光の魔法だ。
エドゼルは今日読んだ本を頭の中で思い返した。氷魔法はマスターした途端に読めるようになった、奥の棚の本はミミズが這ったような字で書かれているその言葉を一字一句覚えるのではない。ただ指で辿るだけで情報が自然と身体の中へと入り込んでいく。
「これで土魔法もマスターかな。後はどんな魔法書があそこにあるんだろう」
全てを覚え、そしてこの小さくて母の権力が隅々にまで行き渡った領を出るんだ。
エドゼルはもっと広い世界を見たかった。魔王を倒せるようになりたかった。そのためにはもっと力をつけなければならない。
「あの子を置いていくしかないのか」
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