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第一章 魔力を持たなかった少年 5
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「ぁ……っ」
小さな体は大きな魔法の力に肺が押しつぶされたように息ができず口を開いたまま震えた。
「まだ初級魔法一つ覚えられないというのかっ」
ごめんなさい……そう言わなければならないのに、押しつぶされた肺に空気を送り込めず言葉が発せられない。
唇を戦慄かせひたすら痛みに耐えるしかないヒルドブランドに父の罵倒が魔法と同じように、幼い心を殴り続けてくる。
「五つにもなって魔法一つ繰り出せないろくでなしなど私の子ではないっ! いったいいつになったらお前はまともになるんだ」
ごめんなさい、ごめんなさい。
心の中で何度も謝罪を繰り返すが、未だに息を吸うことすらままならない身体は壁を伝って落ち、ただただ震えるばかりだ。今日が初めてではない。もう魔法を覚え始める年になったころから毎週呼び出されてはこうして罵られて魔法で痛めつけられている。
(ごめんなさい、ボクに魔力がないからお父様は悲しんでるんだね)
自責の念が心を弱らせていく。今にも溢れ出しそうになる涙を堪える力はもうない。ぽろぽろと痛みと悲しみと苦しみで泣き声も出ないまま涙だけが零れ続けていく。その間も父からの罵倒は続き、怒りが増長されていくのがわかる。
「言葉も喋れないのか、この役立たずがっ!」
ようやく浅く息ができ始めたヒルドブランドを見ても、その怒りは収まらずむしろ大きくなっているようだ。黒魔導士の頂点に君臨している父は、息子が初級の明かりを灯す、アインホルン領なら誰にもできる当たり前の魔法すらまともに出せないのを許せずにいる。ヒルドブランドも父の期待に添えたいと願い、どんなに馬鹿にされようと、どんなに痛めつけられようと書庫に通い続けているが、入口付近にあるどの魔導書もただの真白い紙で文字など一つも書かれてはいなかった。一番初期中の初期、言葉を覚えたばかりの子供ですら読めるはずの光の魔法ですらそれは変わらなかった。
「幼子でも使える魔法すら身に着けられないとはっ、お前など生まれるべきではなかった。それに比べてエドゼルはまだ十だというのにもう最後の棚に手を伸ばしているではないか! 私が……私があやつに勝つためにどれだけ努力してこの地位を手に入れたと思っているんだ。せっかくあいつに勝ったというのに息子で負けてしまっては意味がないだろ」
何度も出てくる「あいつ」がエドゼルの父だ。前領主には二人の優秀な息子がおり、切磋琢磨し強い魔力でもってアインホルン領を守った……といえば聞こえはいいだろうが、その実は慈悲深く優秀な兄を憎んだ弟ががむしゃらに己の力を見せつけてきただけのこと。最奥の棚でたった一冊読める本があったから領主の座を得たというのは父にとってこの上ない喜びであり、矜持でもあった。次期領主と目された兄ではなく自分が領主になったことを誇りにしているからこそ、己の胤であるヒルドブランドに魔力がなく、反して憎い兄の子であるエドゼルが齢十にしてすでに自分を追い越そうとしているのが許さない。
「ぉ……と……さぁ、ごぇ……」
必死で吐き出した言葉も途切れ途切れになってしまうほど今日の魔法は強力だ。このまま肺が戻らなければエドゼルとの約束を守れない。せっかく魔法を教えてくれると言ってくれているのに、ただの一回も果たすことができないのだろうか。
きちんとした謝罪を述べられないヒルドブランドに父は怒りが増長するのかまた魔法を出すために掌をかざしてきた。
シャン!
空気を切る音の後、父が座っている椅子の背もたれに短剣が突き刺さり、骨張った頬に細く赤い筋ができていた。次第に赤味は増しそこから血がゆっくりと伝い落ちていく。
「まぁこんな攻撃も躱せませんの」
執務室の扉から入ってきたのはいつも冷静沈着な母だった。だがその手には柄の細い短剣が数本ある。剣術に秀でているバルヒェット辺境伯領では男のみならず女も武器を持ち共に戦うため、武術に精通している。
「高尚なる黒魔導士にも関わらず、このような攻撃すら避けられずどうなさるおつもりですか、アインホルン伯」
決して名を呼ばない母に、父の顔が歪む。
「しかも魔法を幼い子供に使って怒鳴りつけるのがアインホルン領のやり方ですか、野蛮ですこと」
次々と繰り出される口撃に今まで怒声を紡ぎ続けていた口が塞がる。
物心がついた頃から両親の関係が冷え切り、ヒルドブランドに関わること以外の会話を交わしているのを見たことはない。同じ食卓を囲んでいるはずなのに運ばれた冷菓よりも冷え切ったテーブルが常となっている。どれほど父が話しかけても、母は冷たい眼差し一つ向けようとしない。
二人の間に何があったのか、明確な理由をヒルドブランドは知らないが、ただ心の奥で原因は自分だと理解していた。
王命で結婚した二人。
魔剣士を生み出すことだけに共にいる二人。
出てきた失敗作をどちらの責任にするかでもめたのだろうと推測してはヒルドブランドの幼い心は苦しいほどに締め付けられる。
「このやりようを国王がお知りになったらどのように思われるでしょう」
バルヒェット辺境伯領は騎士や傭兵を多く輩出し王都や宮廷との交流が盛んであるため、王族や貴族とやりとりは頻繁だ。反してアインホルン領では宮廷に黒魔導士を数名置く以外は他の領地に領民を配することはなく、他領で魔族や魔獣が現れても手を貸すことはない。その閉鎖的なところを遠回しに指摘され、父は奥歯をきつく噛み締めた表情になる。
小さな体は大きな魔法の力に肺が押しつぶされたように息ができず口を開いたまま震えた。
「まだ初級魔法一つ覚えられないというのかっ」
ごめんなさい……そう言わなければならないのに、押しつぶされた肺に空気を送り込めず言葉が発せられない。
唇を戦慄かせひたすら痛みに耐えるしかないヒルドブランドに父の罵倒が魔法と同じように、幼い心を殴り続けてくる。
「五つにもなって魔法一つ繰り出せないろくでなしなど私の子ではないっ! いったいいつになったらお前はまともになるんだ」
ごめんなさい、ごめんなさい。
心の中で何度も謝罪を繰り返すが、未だに息を吸うことすらままならない身体は壁を伝って落ち、ただただ震えるばかりだ。今日が初めてではない。もう魔法を覚え始める年になったころから毎週呼び出されてはこうして罵られて魔法で痛めつけられている。
(ごめんなさい、ボクに魔力がないからお父様は悲しんでるんだね)
自責の念が心を弱らせていく。今にも溢れ出しそうになる涙を堪える力はもうない。ぽろぽろと痛みと悲しみと苦しみで泣き声も出ないまま涙だけが零れ続けていく。その間も父からの罵倒は続き、怒りが増長されていくのがわかる。
「言葉も喋れないのか、この役立たずがっ!」
ようやく浅く息ができ始めたヒルドブランドを見ても、その怒りは収まらずむしろ大きくなっているようだ。黒魔導士の頂点に君臨している父は、息子が初級の明かりを灯す、アインホルン領なら誰にもできる当たり前の魔法すらまともに出せないのを許せずにいる。ヒルドブランドも父の期待に添えたいと願い、どんなに馬鹿にされようと、どんなに痛めつけられようと書庫に通い続けているが、入口付近にあるどの魔導書もただの真白い紙で文字など一つも書かれてはいなかった。一番初期中の初期、言葉を覚えたばかりの子供ですら読めるはずの光の魔法ですらそれは変わらなかった。
「幼子でも使える魔法すら身に着けられないとはっ、お前など生まれるべきではなかった。それに比べてエドゼルはまだ十だというのにもう最後の棚に手を伸ばしているではないか! 私が……私があやつに勝つためにどれだけ努力してこの地位を手に入れたと思っているんだ。せっかくあいつに勝ったというのに息子で負けてしまっては意味がないだろ」
何度も出てくる「あいつ」がエドゼルの父だ。前領主には二人の優秀な息子がおり、切磋琢磨し強い魔力でもってアインホルン領を守った……といえば聞こえはいいだろうが、その実は慈悲深く優秀な兄を憎んだ弟ががむしゃらに己の力を見せつけてきただけのこと。最奥の棚でたった一冊読める本があったから領主の座を得たというのは父にとってこの上ない喜びであり、矜持でもあった。次期領主と目された兄ではなく自分が領主になったことを誇りにしているからこそ、己の胤であるヒルドブランドに魔力がなく、反して憎い兄の子であるエドゼルが齢十にしてすでに自分を追い越そうとしているのが許さない。
「ぉ……と……さぁ、ごぇ……」
必死で吐き出した言葉も途切れ途切れになってしまうほど今日の魔法は強力だ。このまま肺が戻らなければエドゼルとの約束を守れない。せっかく魔法を教えてくれると言ってくれているのに、ただの一回も果たすことができないのだろうか。
きちんとした謝罪を述べられないヒルドブランドに父は怒りが増長するのかまた魔法を出すために掌をかざしてきた。
シャン!
空気を切る音の後、父が座っている椅子の背もたれに短剣が突き刺さり、骨張った頬に細く赤い筋ができていた。次第に赤味は増しそこから血がゆっくりと伝い落ちていく。
「まぁこんな攻撃も躱せませんの」
執務室の扉から入ってきたのはいつも冷静沈着な母だった。だがその手には柄の細い短剣が数本ある。剣術に秀でているバルヒェット辺境伯領では男のみならず女も武器を持ち共に戦うため、武術に精通している。
「高尚なる黒魔導士にも関わらず、このような攻撃すら避けられずどうなさるおつもりですか、アインホルン伯」
決して名を呼ばない母に、父の顔が歪む。
「しかも魔法を幼い子供に使って怒鳴りつけるのがアインホルン領のやり方ですか、野蛮ですこと」
次々と繰り出される口撃に今まで怒声を紡ぎ続けていた口が塞がる。
物心がついた頃から両親の関係が冷え切り、ヒルドブランドに関わること以外の会話を交わしているのを見たことはない。同じ食卓を囲んでいるはずなのに運ばれた冷菓よりも冷え切ったテーブルが常となっている。どれほど父が話しかけても、母は冷たい眼差し一つ向けようとしない。
二人の間に何があったのか、明確な理由をヒルドブランドは知らないが、ただ心の奥で原因は自分だと理解していた。
王命で結婚した二人。
魔剣士を生み出すことだけに共にいる二人。
出てきた失敗作をどちらの責任にするかでもめたのだろうと推測してはヒルドブランドの幼い心は苦しいほどに締め付けられる。
「このやりようを国王がお知りになったらどのように思われるでしょう」
バルヒェット辺境伯領は騎士や傭兵を多く輩出し王都や宮廷との交流が盛んであるため、王族や貴族とやりとりは頻繁だ。反してアインホルン領では宮廷に黒魔導士を数名置く以外は他の領地に領民を配することはなく、他領で魔族や魔獣が現れても手を貸すことはない。その閉鎖的なところを遠回しに指摘され、父は奥歯をきつく噛み締めた表情になる。
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