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第一章 魔力を持たなかった少年 3
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まだ声変わり前の高さを残した柔らかい声音で告げ、エドゼルはヒルドブランドの側へとやってきた。
「大丈夫かい?」
白く優雅な手が差し伸べられ、思わず手を伸ばしかけ慌てて引っ込めた。
「うん……大丈夫」
そう……と言葉を残し、エドゼルの青い瞳が揺らいだ。
(あ……ここは手を取るべきなんだ)
けれど、今まで自分を嫌悪するだけの空間にいたヒルドブランドにはその手がとても神々しく映り、土と叱責の鞭の跡で醜い自分が手を付けては穢してしまいそうだ。魔力のないヒルドブランドが触れていいものか不安になる。ギュッと指先を丸め、慌てて起き上がった。
「す……凄いね。氷魔法って上級者しか使えないって聞いたことあるけど、エドゼルはもう使えるようになったの?」
「うん? あぁ、初めて使ったんだ。ちょうど読んでいたからね」
なんてことないように微笑んで告げたエドゼルに羨望と、ほんの少し隠し味のような嫉妬が混ざる。
「本当にエドゼルは凄いね……ボクも読める本があればいいのに……」
後半はほんの独り言。太陽を掴むために空を目指すのに似ているそれを言葉にして、無理だと心でやんわりと否定する。夢想するだけで現実のヒルドブランドは黒魔導士に必要なものはなにも持っていない。
逆にエドゼルは生まれた時からすべてを掌に握りしめていた。父の兄の子であり、今アインホルン領で最も強大な魔力を有するエドゼルは、一度本に目を通せばその内容を覚え、昔から使っていたかのようにいとも簡単にその魔法を操る。苦労して学んでいる姿を誰も目にしたことはない。本を読みながら掌を広げ魔力を集中させるだけで呪文を唱えなくても意のままに飛ばしてくる。ヒルドブランドが憧れて、でも手に入らないことを難なくやってしまっていた。
それで皆と同じようにヒルドブランドを蔑んできたならまだ救いがあった。この領地そのものを怨めるのに、エドゼルは持っている魔力と同量の慈悲を持ち合わせていた。ヒルドブランドがこんな風になにかをされるのを見つければ、相手が年上であっても当たり前のように助けてくれるのだ。だからこそ憧憬が天を突き破るほど募っても、どこかに暗い感情がほんの一匙だけ混じってしまう。
「おいで、ヒルドブランド」
エドゼルに従って後を着いて領城の裏へと向かう。滅多に人が来ない木々の陰まで辿り着くとエドゼルが振り向いた。そこにはヒルドブランドにだけ見せる優しい笑みが浮かべられていた。
「……服が汚れている。さすがにこのままでは帰れないだろう」
エドゼルが服を撫でるように上下させるだけで、醜いまでにあちこちについていた土埃が消え去った。
「え?」
「土魔法だよ。ここにほら」
見せてくれた手のひらには細かい砂が彼の掌で小さな山を作っていた。それだけではない、キラキラした目で見つめるヒルドブランドを楽しませるように土人形へと姿を変え、ヒルドブランドに向かって手を振ったり踊ったりしている。
「すご……土魔法ってこんなこともできるんだ……」
容易に使いこなすから魔法がとても簡単なように思われるが、土を造形するのだって動かすのだって相当な魔力とコントロールが必要だ。いくら小さくても細かい動きをさせるには集中力が欠かせないはずなのに、エドゼルは微笑んだ顔を変えない。それどころか土人形に目すら向けていないのだ。周囲に大人たちがいたらどれだけ彼に称賛の美辞麗句を並べ立てていただろう。
同時にヒルドブランドを喜ばせようとして繰り出される魔法に、気持ちが落ち込む。
エドゼルは抜きんでているから仕方ないとは、割り切れない。むしろ同族なのになぜと神を呪いそうになる。一番悪いのは、魔力をもって生まれなかった自分だと分かっていても。
それなのに、心の底からエドゼルを嫌えはしない。母以外に自分に優しくしてくれるのは彼だけだから。どんなに魔法を見せつけられても寄せてしまう憧憬を止めることができない。
エドゼルはヒルドブランドの理想とする姿そのものだ。
「もう書庫の本、たくさん読んだんでしょ?」
「まだ全部じゃないよ……まだ奥の棚が残っているんだ」
奥の棚と言えば特種魔法が格納されている場所だ。入口から徐々に難しくなると父が言っていたのを思い出す。そして最後の棚は一冊でも読むことができれば大魔導士だとも言えると。今いる黒魔導士で最も強いとされるその父ですら一冊を習得するのがやっとで、未だに新たな魔導書を読めずにいると酒を飲んでは嘆いていた。
「まだ十歳なのに凄いよ! エドなら全部読んじゃいそうだね」
頬を紅潮さて瞳を輝かせるヒルドブランドに、少しだけ眉間に皺を寄せた困ったような苦笑で返される。
「……それはどうかな? 全ての魔導書を習得した人間は未だにいないというからね」
「エドがその最初の一人になったらお祝いをしないと」
二人きりの時だけ口にすることを許される愛称で呼べば、ヒルドブランドよりも大きな手が頭を撫でてくれた。
「ありがとう。死ぬまでには全部読んでみたいな」
「大丈夫かい?」
白く優雅な手が差し伸べられ、思わず手を伸ばしかけ慌てて引っ込めた。
「うん……大丈夫」
そう……と言葉を残し、エドゼルの青い瞳が揺らいだ。
(あ……ここは手を取るべきなんだ)
けれど、今まで自分を嫌悪するだけの空間にいたヒルドブランドにはその手がとても神々しく映り、土と叱責の鞭の跡で醜い自分が手を付けては穢してしまいそうだ。魔力のないヒルドブランドが触れていいものか不安になる。ギュッと指先を丸め、慌てて起き上がった。
「す……凄いね。氷魔法って上級者しか使えないって聞いたことあるけど、エドゼルはもう使えるようになったの?」
「うん? あぁ、初めて使ったんだ。ちょうど読んでいたからね」
なんてことないように微笑んで告げたエドゼルに羨望と、ほんの少し隠し味のような嫉妬が混ざる。
「本当にエドゼルは凄いね……ボクも読める本があればいいのに……」
後半はほんの独り言。太陽を掴むために空を目指すのに似ているそれを言葉にして、無理だと心でやんわりと否定する。夢想するだけで現実のヒルドブランドは黒魔導士に必要なものはなにも持っていない。
逆にエドゼルは生まれた時からすべてを掌に握りしめていた。父の兄の子であり、今アインホルン領で最も強大な魔力を有するエドゼルは、一度本に目を通せばその内容を覚え、昔から使っていたかのようにいとも簡単にその魔法を操る。苦労して学んでいる姿を誰も目にしたことはない。本を読みながら掌を広げ魔力を集中させるだけで呪文を唱えなくても意のままに飛ばしてくる。ヒルドブランドが憧れて、でも手に入らないことを難なくやってしまっていた。
それで皆と同じようにヒルドブランドを蔑んできたならまだ救いがあった。この領地そのものを怨めるのに、エドゼルは持っている魔力と同量の慈悲を持ち合わせていた。ヒルドブランドがこんな風になにかをされるのを見つければ、相手が年上であっても当たり前のように助けてくれるのだ。だからこそ憧憬が天を突き破るほど募っても、どこかに暗い感情がほんの一匙だけ混じってしまう。
「おいで、ヒルドブランド」
エドゼルに従って後を着いて領城の裏へと向かう。滅多に人が来ない木々の陰まで辿り着くとエドゼルが振り向いた。そこにはヒルドブランドにだけ見せる優しい笑みが浮かべられていた。
「……服が汚れている。さすがにこのままでは帰れないだろう」
エドゼルが服を撫でるように上下させるだけで、醜いまでにあちこちについていた土埃が消え去った。
「え?」
「土魔法だよ。ここにほら」
見せてくれた手のひらには細かい砂が彼の掌で小さな山を作っていた。それだけではない、キラキラした目で見つめるヒルドブランドを楽しませるように土人形へと姿を変え、ヒルドブランドに向かって手を振ったり踊ったりしている。
「すご……土魔法ってこんなこともできるんだ……」
容易に使いこなすから魔法がとても簡単なように思われるが、土を造形するのだって動かすのだって相当な魔力とコントロールが必要だ。いくら小さくても細かい動きをさせるには集中力が欠かせないはずなのに、エドゼルは微笑んだ顔を変えない。それどころか土人形に目すら向けていないのだ。周囲に大人たちがいたらどれだけ彼に称賛の美辞麗句を並べ立てていただろう。
同時にヒルドブランドを喜ばせようとして繰り出される魔法に、気持ちが落ち込む。
エドゼルは抜きんでているから仕方ないとは、割り切れない。むしろ同族なのになぜと神を呪いそうになる。一番悪いのは、魔力をもって生まれなかった自分だと分かっていても。
それなのに、心の底からエドゼルを嫌えはしない。母以外に自分に優しくしてくれるのは彼だけだから。どんなに魔法を見せつけられても寄せてしまう憧憬を止めることができない。
エドゼルはヒルドブランドの理想とする姿そのものだ。
「もう書庫の本、たくさん読んだんでしょ?」
「まだ全部じゃないよ……まだ奥の棚が残っているんだ」
奥の棚と言えば特種魔法が格納されている場所だ。入口から徐々に難しくなると父が言っていたのを思い出す。そして最後の棚は一冊でも読むことができれば大魔導士だとも言えると。今いる黒魔導士で最も強いとされるその父ですら一冊を習得するのがやっとで、未だに新たな魔導書を読めずにいると酒を飲んでは嘆いていた。
「まだ十歳なのに凄いよ! エドなら全部読んじゃいそうだね」
頬を紅潮さて瞳を輝かせるヒルドブランドに、少しだけ眉間に皺を寄せた困ったような苦笑で返される。
「……それはどうかな? 全ての魔導書を習得した人間は未だにいないというからね」
「エドがその最初の一人になったらお祝いをしないと」
二人きりの時だけ口にすることを許される愛称で呼べば、ヒルドブランドよりも大きな手が頭を撫でてくれた。
「ありがとう。死ぬまでには全部読んでみたいな」
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