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「グルゴーファっと」

 一時間半ほどの見合いを終えて家に帰ってきた一輝は、早々とパソコンを立ち上げて碧が口にしていた薬を検索した。

 一輝は近年稀にみる上機嫌ぶりだ。

 菅原製薬のホームページに書かれてある薬の詳細をさっと目で追う。

「なんだ、発情抑制剤か」

 どんな病気かと構えていただけに気が抜けた。と同時に菅原家では碧にどんな思い込みをさせているのかに興味があった。

 製薬会社と飲料会社、まったく接点がない二つの企業の息子が今回の見合いに至ったのは、双方の親の思惑があるからだ。

 営業部長をしている一輝には父親の考えが手に取るようにわかっているが、肝心の相手は本当にただのお見合いだと思っているようだ。

「三男だし、高校生だからな。当たり前か」

 パソコンの横に置いたままにした碧の釣り書きをもう一度じっくりと眺めた。

 碧に言ったことは嘘ではない。

 釣り書きについていた写真を一目見た時から彼に興味があった。上品そうに椅子に座った幼さの残る少年に目が離せなかった。大きな瞳に淡いピンク色の唇、アルファの征服欲を煽る容姿をした子だと随分印象的で、絶対に断れない見合いなのにも関わらず一輝は喜んで待ち合わせの場に向かった。

 釣り書きには一切書かれていないが、一目でわかった。

 この子はオメガだと。

 今ではアルファよりもずっと出生率が低くなり、アルファでも巡り合うことが稀となった存在だ。一輝も今まで数人しか会ったことがないが、碧は特異な存在だ。オメガなのにオメガらしさがなにもない。むしろベータと言われたら信じてしまうだろう。

 性的なバースなのにその印象が全くないのだ。

 もう17歳だというのに反応のすべてが初心だった。

 身体だけを成長させた幼子といった印象だ。征服欲と同時に庇護欲までもを芽生えさせる。そのアンバランスさが一輝の関心を奪いつくしていた。

 恥ずかしそうに顔を真っ赤にして俯く姿も、緊張してうまくお茶が飲めない不器用さも、薔薇の花に微笑む可愛らしさも、すべて目が離せなかった。なによりも大きな瞳で見つめられた時の興奮は、今思い出しても下半身が暴れ出しそうだ。

 釣り書きの写真からずっと気になった存在は、実物を前にしてより一層一輝の興味を持たせる存在だった。

 どうせ家同士の繋がりだけのための結婚だと、アルファ同士の偽装夫婦を想定していたから、出会いの場だけ整えて、交際期間ゼロで両家のためだけの結婚式を開き、新婚旅行が終われば家庭内別居に突入という青写真を描いていた。

 どうせ政略結婚に愛など存在しないのだ。互いに外に愛人を作り、子供は試験管ベイビー。公式の場だけ仲の良い夫婦のフリをするだけだと。

 だがそれもすべてリセットだ。

 世間一般的なお見合いのように、交際期間を設け彼が自分を好きになってくれるのを間近で見たいという欲求に駆られた。あの幼さを残した可愛らしい存在がどんな風に変わっていくのか興味があるが、それ以上に自分の手で変えてみたくなった。

 政略結婚という割り切った関係ではいたくないと本能が訴えかける。

 好奇心が一輝を突き動かす。

 儀礼で置かれた仲人に、一輝は別れる直前、この話を進めて欲しいと伝えた。それと同時に、先方に来週のデートの了承が欲しいとも。

 どんな返事が来るかは分かりきっていたが、それでも楽しみでしょうがない。

「絵画が好きって言ってたな……初めてのデートは無難に美術館にするか」

 今、都内の美術館がどんな展示をしているのかを検索してめぼしい物を頭に入れていく。それと同時に目玉となっている絵の蘊蓄も頭に叩き込んでいった。

 数日後、菅原家からの返事が仲人経由で一輝の仕事メールに入ってきた。

 返事は予想通りだったが、それに付随する項目の多さに愕然とした。

 移動方法から門限まで20を越す注意事項がぎっちりと書かれたメールには、「清い交際」の文字が幾度となく出てくる。

 そして決してバースの話をしないことまで書かれていた。

 しかもこれらが守れないもしくは1度でも違反したなら、見合いをなかったことにする旨まで記載されている。

「結婚まで絶対味見禁止……キスもダメってことだよな。手くらいは繋いでもいいのか?」

 あまりの内容に頭がついていかない。

 一輝はパソコンの前で頭を抱えた。

 いやいや、相手は高校生だ。

 性的なことをしてはならないなんて当たり前だ。まだ成人前、都の条例に反してしまう。

 当たり前、当たり前……。

「耐えるしかないのか」

 性に奔放だった自分が果たしてそれを全うできるかが不安になってきた。

 だが、従わざるを得ない。でなければあの子が他の人間と見合いすることになる。

 それだけは絶対に避けたい!

 なにがなんでも避けなければならない!

「私は紳士だ、紳士だ……清い交際だ……できる、絶対できる」

 あまりの内容に一輝は頭を抱えたまま自分に呪文をかけ始めた。

「部長、どうしたんだ?」

「ばかっ近づくな!」

 普段は鬼部長と恐れられている一輝の恐ろしいマインドコントロールに部下一同が戦いているのも気づかず、ただひたすら週末の初デートに向けて呟き続けていた。

 そしてようやくこぎつけた初デート、一輝は車で菅原家の門前にやってきた。

 書かれていた注意事項に、公共交通機関の使用禁止が書かれていた。碧は自分の身体が弱いと言っていたが、別の理由がありそうだ。

 事前に知らせた車両番号で一輝の来訪に気づいたのだろう、車を横付けただけでゲートが開いた。

 さすが老舗製薬会社の創業者一族の邸宅だ、都内だというのに広い敷地を有しており、車で玄関まで乗り入れる形になっている。

 一輝の実家とどちらが大きいか。

 玄関まで車で向かい、出迎えた執事に鍵を渡した。

「天羽様、ようこそおいでくださいました。碧様の準備が整うまでこちらでお待ちください」

 案内され、リビングに通される。

 だが、そこには一番会いたくない人物がいた。

 菅原家の長子、げんだ。

「よく来たな、天羽」

 喋り方が刺々しい。それもそうだ。中学からずっと一緒のアルファ学校に通い、しかも大学までずっと一緒だった玄は、一輝の交際関係すべてを把握している。当然その性格も。

 ずっと優等生で学級委員だけでなく生徒会長まで務めた玄に反して、一輝はあまり品行方正とは言い難い学生生活を送っていた。

(そうだ、こいつは確かに菅原製薬の御曹司だった……)

 若気の至りを一部始終知っている相手が気になる子の兄である事実に、ようやく気付いた一輝は、内心冷や汗をかきながら営業で培った笑顔をその面に貼り付ける。

「久しぶりだね、菅原くん」

 真面目一辺倒の玄は一輝の笑顔に表情を変えず、むしろ鼻で笑った。

「お前に話がある」

 もしやこの見合いを断れとでも言うのだろうか。

 確かに学生時代はちょっと……いや、かなり派手に遊び歩いていたし、言い寄ってくる者は性別もバースも関係なく美味しくいただいていた。それは認めよう。恋人がいてもちょっとつまみ食いなどしていたのも確かだ。しかもそれを男子校だったのをいいことに面白おかしく喋ってしまったりもしていた。それほどアルファが多くないせいか、アルファ校にいる間ずっと同じクラスだった玄が聞きかじっていたとしてもおかしくはない。

 だが社会人になってからの数年はかなり品行方正な性生活を送っている、はずだ。

 一体どんな話だろう。

 穏やかに微笑む表情を全く変えず、だがかなり緊張しながら玄の前に座る。

 心の情景としては蛇に睨まれた蛙である。

「見合いの作法通りに交際を申し込んできたということは随分と碧を気に入ったようだが、あの子は我が家の宝だ。お前が今までしていたような適当な付き合いをされては困る」

「酷いな、菅原くん。僕はそんなつもりで碧くんとお見合いをしたわけじゃないよ」

「ほう。では心を入れ替えて真剣に交際したいと考えているわけだな」

「当たり前だろう。そうでなければ正式に交際を申し込みはしないよ」

 本心だ。

 彼とはちょっとの好奇心を含んだ真剣な関係を望んでいる。

 あの僅かな時間だけで彼の人となりがよくわかったし、どこまでも純真で穢れがなく可愛らしい。今まで自分の周りにいなかったタイプだからか、もっと彼を知りたいと思ったし、自分のことを知って欲しい、好きになって欲しいと感じた。正直、こんな気持ちになったのは初めてだ。

 自分なりに誠実に彼と向き合いたいと願っている。

「なるほど。お前の人生をかけてあの子を幸せにできると誓えるか?」

「そうしたいと思っているよ」

「ほう。我が家が示した注意要項にも従うということだな」

「碧くんはまだ高校生だ。学生相手の当然な内容だと私は思っているよ」

 ごめんなさい、嘘です。

 菅原家から提示されなければ、あんなことやこんなことをしようと思っていました。

 だが無駄に年を取っている一輝はその気持ちを上手に笑顔の下に隠す。まるであんなことやこんなことなど考えたこともないというように。

「では、あの子を傷つけないことを誓え。あまりにも無垢に育てすぎたから世間知らずになってしまった」

「いやだな、菅原くん。私を甘く見てもらっては困るよ。大切な人が相手なら私だって当然のことをするよ」

「結婚前に変なことをしたらうちの総力を挙げて君を殺しに行くからそのつもりでいてくれ」

「冗談でも物騒なことを言わないでくれよ、菅原くんが言うと冗談に聞こえないからね」

 いや、本気だ。本当に手を出したら殺すつもりでいる、この男は。

 それほどまでの殺気を感じながらも一輝は軽くかわす。

 本当に碧に何かしたいと思ったら結婚を急ぐしかないということか。

「私は碧くんのペースで行こうと思っているよ。彼の気持ちを尊重したい」

 少し見栄を張ってみる。だがそれも玄に鼻で笑われるだけだった。

「なるほど。果たして君にうちの碧を包み込むことはできるか、見させてもらおう」

 足を組んで身体を仰け反らせた姿勢が厭味ったらしいなと思いながらも、「試されているみたいで嫌だなぁ」などと軽口を零していく。

 同級生なのになんでそんなに上からモノ言ってんだよと心の中で毒吐きながら、挑発的な玄の言動にそのケンカ倍額で買ってやると対抗心を燃やした。

(自分が考えている以上に甘やかして、菅原家の誰かが反対しても碧自身が一輝を選ぶようにしてやる。吠え面かくなよ)

 変わらぬ笑みを浮かべたまま、心の中で一輝は玄に挑戦状をたたきつけた。

 このまま結婚に進んだら、この嫌味な男が自分の義兄になるのだという現実に気づかないまま。
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