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1『友子と一郎』

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RE・友子パラドクス

1『友子と一郎』




「お父さん、切符……」
 
 二枚の切符を指に挟んでユラユラさせながら、父の後ろで友子が注意する。

「お、おう……」

 通せんぼした自動改札から戻りながら、父は不機嫌そうに頭を掻く。

「いけませんね」

「通勤はスイカなんでな」

「520円貸しね」

「もう電車来るぞ」

「まだ二つ前を出たとこォ」

 頭上の電光掲示を指さす友子。

「ああ?」

 数歩下がって確認する父。

 亀が首を伸ばしたみたいでみっともない、亀にはひげの剃り残しなんてないだろうし。

「こういうことは、すぐに精算しとかなきゃ、お父さん、すぐ忘れるんだもん」

「あいよ、20円……ないや。500円で辛抱しろ」

「50円玉あるじゃん。はい、おつり30円」

 こういうことには細かい奴である、友子という奴は。

「もう少し離れて立ってろよ」

「いいじゃん、親子なんだから」

 どうもしっくりいかない。制服姿の女子高生と並んで電車を待つなんて、ほとんど三十年ぶりの一郎である。



「落ちたらどうする?」



 電車が加速し終わると、手持ち無沙汰のように一郎が呟く。

「落ちないわ。賢いの、わたし」

「しかし、乃木坂って偏差値67もあるんだぞ」

「68よ。それから、乃木坂は都立、略称都乃木。わたしが受ける乃木坂は乃木坂学院よ。間違わないで」

 ギュィーン

「おっとっと……」

 車両がカーブを曲がったので、一郎は反対側のドアまでよろけてしまう。幸い土曜日で人が少なく、ぶつかって恥をかくようなことはなかった。

「運動不足だしぃ」

 友子は揺らぎもせずに、横を向いたままの姿勢でニクソげに言う。

「いつもの電車じゃないからな……」

「じゃ、歳のせいだ。わたしだって初めてよ」

「あのな……」

「さっき、カーブを曲がりますってアナウンスあったよ」

「うそ?」

「あった」

 傍らの席に座っているオバサンたちがクスクス笑っている。もう一言言おうと思ったが、友子がアサッテの方を向いてしまったので、やむなく一郎は口をつぐんだ。



「こっちこっち」



 改札を出ようとしたら、端っこの駅員が居る改札で友子が手を挙げている。

「あ、すんません(^_^;)」

 うしろで閊えた乗客に詫びて有人改札へ。ちょっと恥ずかしい。

「記念に取っときたいので、無効のハンコください」

 友子の申し出に「はい、どうぞ」と女性駅員がスタンプを押してくれる。

「預かるわ」

「いいよ、持ってるよ」

「だめ、お財布の中でクシャクシャにしてしまうんだから。パウチしてから返してあげるからね」

 一郎から切符を取り上げると、友子は京アニ作品の主人公のような足どりで階段を駆け上がっていく。ハルヒか平沢唯か……例えが古いな……苦笑しながら一郎は娘の後を追う。



「この成績なら問題ありません。転入合格です」

「ふぁい……どうもありがとうございました」

 転入試験のあと、控え室で居眠ってしまった一郎は、結果を知らせにきた教頭に、しまらない返事をしてしまった。友子に口元を指され慌ててハンカチで拭く一郎。

「どうもありがとうございました。これからは乃木坂学院の生徒として恥じない高校生になりたいと思います。未熟者ですが、よろしくお願い致します」

 年相応に頬を染め、でもハキハキとした返事をする友子。

「しっかりしたお嬢さんですね、期待していますよ。今日書いて頂く書類は、こちらになります。あとは初登校するときに、娘さんに持たせてください」



 コンコン



 その時、ドアがノックされ、ヒッツメの女性が入ってきた。

「あ、こちらが担任の柚木です。あとの細かいところや、校内の案内をしてもらってください」

 そう言って教頭は部屋を出て行った。

「制服は9号の方がよくないかしら。まだまだ背は伸びるかもしれないから」

「いいんです。わたしは、これ以上は伸びません……ってか、このくらいが気に入ってるんです」

「そう、まあ、わたしも高一から身長は止まってしまいましたけどね」

「へえ、柚木先生もそうだったんですか!?」

 友子は、担任というより仲間を見つけたような気持ちで、明るく言ってしまった。

「でも、横にはね……大人って大変ですよね、お父さん」

「いえいえ、先生みたいな方なら、うちの会社のモデルでも勤まりますよ」

 そう言いながら、一郎は頓挫しているプロジェクトのことが頭をかすめた。

「美生堂(みしょうどう)の化粧品なんて縁がないですよ」

「いやいや、ご謙遜を」

「よかったら、このタブレットでご確認ください。タッチしていただければ、この連休中にも、必要なものは揃いますわ」

「……はい、友子、これでいいな?」

「はい、もう確認したよ」

「じゃ、次は校内施設の確認を……」



「おかえり、どうだった、トモちゃん?」



 春奈が母親がましくエプロンで手を拭きながら玄関で出迎えてくれた。

 春奈は最後まで友子を引き取ることに反対した。

 いくら自分たちの子供を断念したとはいえ、いきなり15歳の女子高生の母親になることには抵抗があった。

 それが、コロっと気持ちが変わって引き取ることにしたのは、友子を引き取る条件が破格であったからである。

 養育費が月に20万円。それも一年分前払い。さらに一千万円ほど残っていた家のロ-ンを払ってくれるという好条件だった。

 三日前に現物の友子が現れてからは、さらに気持ちが変わった。

 裕福な両親を亡くしたとは言え、これだけの好条件で来るのだから、写真や経歴だけでは分からないむつかしさのある子だと覚悟していた。

 ところが、直に会ってみると春奈は一目で気に入った。

 会社でも営業部を代表して新入社員の面接をやってきている春奈には、とびきりの女の子に見えた。きちんと躾られた物腰。こちらの気分に合わせて呼吸するように距離を取れるセンス。また、家事もいっぺんで要領を覚え、明くる日には冷蔵庫と食器棚の整理を任せた。

「あの……呼んでもいいですか?」

「え、なに?」

「その……お母さん、て」

 夕べ、頬染め、おずおずと言われたときは、思わず涙が浮かび、春奈は友子と泣きながら不器用に抱き合っていた。ドライに振る舞おうとしたが、自分も情にもろいんだと思ってしまう春奈だった。

「お母さん、乃木坂って、とってもいい学校よ!」

「よかったあ!」

 帰宅後、開口一番に友子が頬を染めて報告した時は、まるで自分も女子高生に戻ったようにハグし合う。夕べの不器用さが嘘のようなスキンシップ。

 食後

「お母さん、お風呂いっしょに入ろっか?」と言われ、ガラにも無く「は、恥ずかしいわよ」「アハハ、じゃ、またいずれね」とじゃれ合って友子が一番風呂。

 浴室でくぐもる鼻歌に、もう友子とは生まれてからの親子のように胸が暖かくなる。

「あ~、いいお湯だった、お母さんどうぞ」
 
 春奈が風呂に入ると、リビングでくつろいでいた一郎の横に髪を乾かしながらドカッと友子が腰を落とす。

「一郎、今日のあんたの態度ね……」

 思いのほかのジト目。

 それは、もう可憐な女子高生のそれでは無かった……。
 
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