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61『問わず語り』
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はるか ワケあり転校生の7カ月
61『問わず語り』
川風が涙を乾かしたころ、わたしは問わず語りをし始めた。
「荒川区には荒川は無いんです。もう一つ西の隅田川が荒川だったんです。千住大橋から川下が隅田川、川上が荒川。いま目の前にあるのはただの放水路。昭和の初めに付け替えて、何年だったかにここを荒川ってことにして、荒川区の荒川は、全部隅田川ってことになったんです。でも、それを知ったのは、小学校の高学年になってから。だから、ただの知識です。おじいちゃんなんかはそのこと知ってるから、千住大橋から北の隅田川(元荒川)には思い入れがあるみたい……」
目の前をなにかがよぎった。
「あ、トンボ……もう秋が始まりかけてるんだ」
「そうなんやな、川にも人にも物語があるんやな……」
先生がトンボを目で追いながらつぶやいた。
「物語はいつか忘れられるってか、漂白されてただの知識になってしまうんですね」
「はるか、『隅田川』いう能の物語知ってるか?」
「いいえ」
「昔、京の都で梅若丸いう子ぉがおってな、それが人さらいにさらわれて行方不明になりよる。ほんで、梅若丸のお母ちゃんが捜しに捜して、隅田川のほとりまで来て渡し船に乗りよるんや。ほんなら船頭のオッチャンが向こう岸で、去年行き倒れになって死んだ子ぉの供養があるて言いよる。ほんで、なんかの縁やと思て、その供養に出よる……ほんなら、供養の途中でその子の霊が現れてなあ。『ぼくがその梅若丸や』言いよる。そやけど、それは一瞬の幻みたいなことで、気ぃついたら、草ぼうぼうの中にお墓があるだけ……そんな話や」
「悲しいお話……」
「オレは、この話は『おわかれだけど、さよならじゃない』やと思てる」
「それって『すみれ』の……」
「そや、おわかれが人の想いを昇華しよる。『隅田川』は、芥川龍之介が小説にしとるし、なんちゃらいうイギリスのオッチャンがオペラにもしとる……おわかれにはカタルシスがあるものもあるんやなあ……ハハ、あかんあかん。どうもオッサンになるといらん知識をひけらかしてしまうなあ。かんにんやで。はるかの事情もよう分かってへんのに」
先生には、さっきのことはなにも話していない……でも、核心はついている。
「おわかれが人の想いを昇華する……」
ふっと、絡んだ糸がほぐれる兆しのようなものを感じた。
昼からは、先生のお供をして、練馬の出版社に行った。
この出版社はS書房といって、わたしも何冊かここの本は読んだことがある。お芝居の本ばかりだけど。
少人数の出版社だとは思っていたが、おじいさんの社長さんが一人でやっているので驚いた。
「いや、わざわざすみませんなあ」社長さんは恐縮していた。
「いや、こちらこそ、長年お世話になった作品を事後承諾みたいなかたちで、M出版で出すことになってしもて」
「いえいえ、作品は人に読んでもらってこその作品です。それに、ハードこそ休業ですが、ストックもあるし、オンラインでは、我が社はまだまだこれからですよ。ま、冷めないうちにどうぞ」
社長さんは熱いお茶と、先生がお土産に持ってきたヨウカンを切って勧めてくれた。
「羊羹には、熱い番茶が一番です」
ほんとうだ、朝のシフォンケーキよりよっぽどホッコリする。
それに、オフィスというよりは事務所。パソコンと、その周辺機器を取り除けば、そのまま昭和のセットに使えそう。エアコンも年代物のようだけど、手入れがいいんだろう、番茶を飲んでも頃合いの冷気を穏やかに吐き出している。
「お嬢さんは、演劇部?」
「あ、申し遅れました。わたし、坂東はるかと申します。大阪の真田山学院高校で、大橋先生のお世話になっています。あ、演劇部です。いちおう」
「……きれいな東京弁だ」
「はい、この五月まで荒川に住んでいました」
「ハハ、道理で……で、イチオウの演劇部?」
「まだ、入部届を出さないんですわ。な、はるか」
「大阪に帰ったら出します!」
「ハハ、早まったらあかん。入部届出さんとこが、はるかの値打ちやねんから」
「出しますったら! だいいち、真剣な顔で演劇部勧めたのは先生ですよ」
「そうや」
「だったら……」
「はるかは、もっと泣き笑いしてからのほうがおもしろい」
「なんですか、それって!?」
「ハハハ、なかなかおもしろい師弟関係ですなあ」
それから先生と社長さんはオンラインで残す作品についての意見交換に入った。
わたしには難しい言葉が交わされたが、少人数で、道具や照明、音響などに手のかからない本に絞り込んでいるように思われた。
ときどきわたしにも話題がふられたが、東京での生活にあまり触れられたくないことに気づくと、いままで読んだ戯曲の中味などに自然に話題が切り替えられた。
「ギャビギャビな面白さや、特殊な状況を設定して、さもこれが高校生の問題ですよってのは引いちゃいますね。さりげない自然な日常の生活や、ちょっとファンタジーな展開の中に人生を、それもできたら青春に夢や希望をもたせてくれるものがいいですね」
なんて生意気を口走った。
61『問わず語り』
川風が涙を乾かしたころ、わたしは問わず語りをし始めた。
「荒川区には荒川は無いんです。もう一つ西の隅田川が荒川だったんです。千住大橋から川下が隅田川、川上が荒川。いま目の前にあるのはただの放水路。昭和の初めに付け替えて、何年だったかにここを荒川ってことにして、荒川区の荒川は、全部隅田川ってことになったんです。でも、それを知ったのは、小学校の高学年になってから。だから、ただの知識です。おじいちゃんなんかはそのこと知ってるから、千住大橋から北の隅田川(元荒川)には思い入れがあるみたい……」
目の前をなにかがよぎった。
「あ、トンボ……もう秋が始まりかけてるんだ」
「そうなんやな、川にも人にも物語があるんやな……」
先生がトンボを目で追いながらつぶやいた。
「物語はいつか忘れられるってか、漂白されてただの知識になってしまうんですね」
「はるか、『隅田川』いう能の物語知ってるか?」
「いいえ」
「昔、京の都で梅若丸いう子ぉがおってな、それが人さらいにさらわれて行方不明になりよる。ほんで、梅若丸のお母ちゃんが捜しに捜して、隅田川のほとりまで来て渡し船に乗りよるんや。ほんなら船頭のオッチャンが向こう岸で、去年行き倒れになって死んだ子ぉの供養があるて言いよる。ほんで、なんかの縁やと思て、その供養に出よる……ほんなら、供養の途中でその子の霊が現れてなあ。『ぼくがその梅若丸や』言いよる。そやけど、それは一瞬の幻みたいなことで、気ぃついたら、草ぼうぼうの中にお墓があるだけ……そんな話や」
「悲しいお話……」
「オレは、この話は『おわかれだけど、さよならじゃない』やと思てる」
「それって『すみれ』の……」
「そや、おわかれが人の想いを昇華しよる。『隅田川』は、芥川龍之介が小説にしとるし、なんちゃらいうイギリスのオッチャンがオペラにもしとる……おわかれにはカタルシスがあるものもあるんやなあ……ハハ、あかんあかん。どうもオッサンになるといらん知識をひけらかしてしまうなあ。かんにんやで。はるかの事情もよう分かってへんのに」
先生には、さっきのことはなにも話していない……でも、核心はついている。
「おわかれが人の想いを昇華する……」
ふっと、絡んだ糸がほぐれる兆しのようなものを感じた。
昼からは、先生のお供をして、練馬の出版社に行った。
この出版社はS書房といって、わたしも何冊かここの本は読んだことがある。お芝居の本ばかりだけど。
少人数の出版社だとは思っていたが、おじいさんの社長さんが一人でやっているので驚いた。
「いや、わざわざすみませんなあ」社長さんは恐縮していた。
「いや、こちらこそ、長年お世話になった作品を事後承諾みたいなかたちで、M出版で出すことになってしもて」
「いえいえ、作品は人に読んでもらってこその作品です。それに、ハードこそ休業ですが、ストックもあるし、オンラインでは、我が社はまだまだこれからですよ。ま、冷めないうちにどうぞ」
社長さんは熱いお茶と、先生がお土産に持ってきたヨウカンを切って勧めてくれた。
「羊羹には、熱い番茶が一番です」
ほんとうだ、朝のシフォンケーキよりよっぽどホッコリする。
それに、オフィスというよりは事務所。パソコンと、その周辺機器を取り除けば、そのまま昭和のセットに使えそう。エアコンも年代物のようだけど、手入れがいいんだろう、番茶を飲んでも頃合いの冷気を穏やかに吐き出している。
「お嬢さんは、演劇部?」
「あ、申し遅れました。わたし、坂東はるかと申します。大阪の真田山学院高校で、大橋先生のお世話になっています。あ、演劇部です。いちおう」
「……きれいな東京弁だ」
「はい、この五月まで荒川に住んでいました」
「ハハ、道理で……で、イチオウの演劇部?」
「まだ、入部届を出さないんですわ。な、はるか」
「大阪に帰ったら出します!」
「ハハ、早まったらあかん。入部届出さんとこが、はるかの値打ちやねんから」
「出しますったら! だいいち、真剣な顔で演劇部勧めたのは先生ですよ」
「そうや」
「だったら……」
「はるかは、もっと泣き笑いしてからのほうがおもしろい」
「なんですか、それって!?」
「ハハハ、なかなかおもしろい師弟関係ですなあ」
それから先生と社長さんはオンラインで残す作品についての意見交換に入った。
わたしには難しい言葉が交わされたが、少人数で、道具や照明、音響などに手のかからない本に絞り込んでいるように思われた。
ときどきわたしにも話題がふられたが、東京での生活にあまり触れられたくないことに気づくと、いままで読んだ戯曲の中味などに自然に話題が切り替えられた。
「ギャビギャビな面白さや、特殊な状況を設定して、さもこれが高校生の問題ですよってのは引いちゃいますね。さりげない自然な日常の生活や、ちょっとファンタジーな展開の中に人生を、それもできたら青春に夢や希望をもたせてくれるものがいいですね」
なんて生意気を口走った。
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