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023『堪忍してほしいなあ』

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せやさかい

023『堪忍してほしいなあ』  

 

 
 文章力が無い!

 国語の吉良先生が言う。

 中間テストの国語の成績が悪かった。あたしだけと違て、学年みんなが悪いらしい。

「だから、ときどき文章を書く練習をします」

 先生は、まず原稿用紙二枚を印刷したB4のプリントを配る。ざら紙とインクの匂いが初々しい。

 後ろに回したら「刷りたてやねえ」と留美ちゃんは嬉しそう。留美ちゃんは本の虫やから、紙とかインクとかも好きやねんなあ。留美ちゃんの声が大きかったんか、吉良先生は、ちょっと怒ったような顔。

 なんでやろと思たら、次のプリントが配られてきた。

 同じB4に天声人語と産経抄が印刷したある。テンコエジンゴ? サンケイシャ? スカタン読んどるのは男子のアホら。

「『テンセイジンゴ』『サンケイショウ』と読みます。どっちかを読んで、きれいに原稿用紙に写しなさい。ええか、句読点、改行に注意。漢字には数詞以外は、読み仮名を振ってきれいに書く! 書けたら、先生に見せに来なさい。ええなあ、ほんなら、かかれ!」

 しばらく沈黙が続いて、サラサラと音がする。みんな従順に作業にいそしんでる。

『天声人語』を読む。全編安倍総理の悪口。悪口は好きくない。

『産経抄』を読む。父親と子どもの関係について書いてある。最近いろいろ事件があったからなあ……父親の有り方、子どもへの接触の仕方……


 お父さんは商社勤めで忙しい人やったなあ。

 家族三人で出かけた記憶がほとんどない。保育所やら学校やらはお母さんが来てくれてた。

 顔は思い出せるんやけど、声が思い出されへん。

 もし、お父さんが蘇って「さくら、元気か?」とか声をかけてくれたら、たぶん思い出せる。

 六年も前に失踪したからか、もともと会話が少なかったからか、お父さんの声が思い出されへん。なんや、切ななってきた。

 仕方ないんで『天声人語』を写す。宿題をやる要領で、意味なんか考えんと、コピー機になったつもりで書き写す。

 期せずして一番に書き終えて、先生に見せに行く。

 
「え?」

 
 ちょっと驚いたような顔して、手元の書類を裏がえしてから「どれどれ……」と読んでくれる。

「うん、正確に書けてる。まだ時間あるから『産経抄』も書いてみる?」

「あ……産経は堪忍してください」

「あ、うん、いいよ、じゃ、静かに自習」

「はい」

 静かに自習して一時間が終わる。

 

「吉良先生、内職してたんだよ」

 教室移動の途中で留美ちゃんが言う。

「内職?」

「うん、なんかレポートみたいの書いてたでしょ。きっと急ぎの仕事。だったら、正直に自習にしちゃえばいいのにね」

 ちょっと怒ってる。

 あたしは、先生にも事情があるんやろと、納得してんねんけどね。

 

 昼休み、廊下で吉良先生と出会う。

「酒井さん、あんたとこ朝日新聞やねんなあ」

 同志見る目で言われる。

「え、あ……はい」

 家で新聞なんか読んだことないから、じっさい何新聞とってるのかは分からへん。せやさかい、あいまいな肯定の返事。

 それ以上言われることはなかったけど、お仲間見っけみたいな目ぇで見られるのんは堪忍してほしいなあ。

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