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042『宇都宮の八幡山』

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漆黒のブリュンヒルデ

042『宇都宮の八幡山』 

 

 
 ガラガラガラガラガラガラガラガラガラガラガラ!

  心地よい振動をお尻に感じて滑り降りる! 頬を嬲る春風も爽やかに、クニっと曲がったと思ったら水平に戻って終わりが近い。スカートが乱れないように裾を押えて着地!

 ヤッターー!

 体操選手のフィニッシュみたいな決めポーズ!

 ここは…………宇都宮の八幡山公園だ。振り返ると、いま滑り降りてきた全長58メートルのロングローラー滑り台。

 横に、同じ長さの普通の滑り台があるけど、断然こっちが面白い。

 ポンポンとお尻をはたくと感触が違う。

 そうか……煙の柱を通って『八幡』を頼りに移動すると姿形が変わるようだ。意識を飛ばして三人称視点で自分の姿を確認する。

 目鼻立ちは武笠ひるでだけど、ちょっと幼い。セミロングの前髪を七三に分けて、七の方に赤いヘアピンを着けている。ジャンパースカートの下のブラウスは袖をまくり上げて、清楚七部にお転婆三部という感じ。

 生徒手帳を出すと『戸田忠子』とある……ポケットを探るとスマホはおろか携帯も持っていない。財布を開けると、入っている千円札は伊藤博文だ。

 お札を見たところで、戸田忠子に関することが全て分かった、放課後に鞄も持たずに八幡山公園に来た理由も。

 忠子というのは面白みのない名前。発音してもタダコで、ほんとにタダの子だ。

 女子の名前には必ず『子』を付けなければならないのが我が家の決まり。『忠』の字もご先祖から伝わっている由緒ある字で、親類は、たいてい『忠』とか『政』の字が付いている。

 いつもは『ターコ』と呼ばれる。これもタコじみてやなんだけど、忠子と呼ばれるよりはね。

 
 ターコ!

 
 陽気な学生服が階段を駆け上がってきた。

「おっそーーい!」

「ごめんごめん、終礼が延びちまって。さ、いこうか」

 日活映画のアベックのようになってしまって、照れたのか周囲の目を気にしたのか、さっさと宇都宮タワーの方に歩き出す。

 こいつは森穣一(もりじょういち)、去年同じクラスだった『進め青春!』を地で行ってるような男子。ちょっと相談にのって欲しいというので、放課後の八幡山で待ち合わせていた。

 携帯が無い時代なので、滑り台とかで遊んで待っているほか無かった。

「お、鞄持ってきてないのか?」

「用事が済んだら学校戻るもん」

「そか……遅くなるようなら送っていくよ」

「遅くならないようにして。図書室に寄りたかったんだから」

「ああ、ごめんごめん」

 
 ヤクタイもないことを言いながら、目的地に着く。

 
「なんだか、東京タワーのミニチュアだなあ」

「ああ、宇都宮をバカにしてるぞ」

 宇都宮タワーは、高さが80メートルほどで、規模的には東京タワーの1/4ほどでしかない。でも、宇都宮の街の規模や、八幡山のロケーションから見ると、程よい大きさだ。

「オレも好きだぞ。チッコイけど山の上で明るく胸張ってるとこなんかターコと同じだ」

「どーせ、わたしは148センチだよ!」

「怒るな怒るな、言ったろ、オレは好きだって」

「え、え?」

 ちょっと混乱。

 でも、エレベーターに乗ってしまったので展望台に着くまで、お互い無言になった。

 狭いエレベーター、他に三人も乗ってきたので、穣一と胸がくっ付きそうな近さで立っている。日向くさい男の匂いなんかさせるなよな。

「俺、一学期いっぱいで転校するんだ」

 展望台の窓に張り付きそうにして切り出した。

「あ、そうなんだ」

「びっくりしないのか?」

「まあ、元気にやりなさいよ」

「お、おお」

「で、どこに引っ越すの。いちおう、礼儀で聞いておく」

「東京、世田谷で豪徳寺ってとこ」

「え、お寺に越すの?」

「ばか、地名だよ」

「アハハ、そうなんだ。穣一が坊主頭になってるとこ想像しちゃった」

「す、すんな」

「もうちょっと前来いよ。眺めいいぞ」

「やだ」

「高所恐怖症?」

「じゃないけど、ドキドキするじゃん」

「そっか、オレもドキドキしてる」

「こういうの、卑怯だと思う」

「そっか……」

「………………」

「お……おれな」

「ここから見える地平線は、日本一なんだよ」

「え、あ、そうなのか?」

「240度のパノラマ地平線は、ここでしか見られない」

「う、うん」

「穣一もさ、もっと高いとこから地平線見なきゃ。地平線の向こうには、もっと違う景色もあるよ。三組の酒井さんとかさ」

「え、酒井?」

「うん、ああ、あと三十分で図書室閉まる! わたし、帰るね!」

「お、おい」 

 
 穣一を残して、ちょうど上がってきたエレベーターに飛び乗る。

 
 これでいいんだ。酒井さんと穣一は八年後に結婚して女の子が生まれるんだ。沙織という名前になって『魔法少女○○』という国民的アニメのヒロインの声をやることになるんだ。このヒロインの声は『ひるで』のわたしも好きだしね。

 教室に戻って、鞄を持ち上げると猫のマスコットが付いていた。

 指で弾くとテヘっと舌を出した。

 姿を見ないと思ったら、こいつがねね子だった。

 
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