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59『二つの珠とヤマサチのあれこれ』
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誤訳怪訳日本の神話
59『二つの珠とヤマサチのあれこれ』
「婿どの」
「は?」
「は~~やっぱりお帰りになるのだろうのう……」
ワダツミの神が名残惜しそうにため息をつきます。
もともと海の底に来たのは、兄のウミサチから借りて失くしてしまった釣り針を探すためです。
その釣り針が見つかったのですから、もう、海の底の宮殿に居る理由はありません。
「はい、大変お世話になりましたが、兄のウミサチに一刻も早く返しに行きたいと思いますので、これにて失礼いたします」
「さようか、ならば、トヨタマヒメ、あれをお渡しなさい」
「はい、お父さま……」
父に促されて、トヨタマヒメは二つの珠を渡します。
えと、玉ではありません、『珠』と書いてあります。
玉は水晶や翡翠ややらの陸上で採れる貴石ですが、珠は、真珠の珠の字を書きます。つまり巨大な真珠の一種だと思えばいいでしょう。
「いざという時には、これをお使いください」
「二つとも頂けるんですか?」
「はい、これは二つでワンセットなんです」
「というと?」
「こちらが塩盈珠(しおみつたま)です。この珠には海の水を呼ぶ力があります。そして、もう一つが塩乾珠(しおふるたま)です。この珠には溢れた海の水を引かせる力があります」
「これをどのように?」
「どのように使うかは、ヤマサチさま、あなた次第です」
「婿……いや、ヤマサチどの、地上にお戻りになれば、おのずと分かるでしょう。使うべき時、そして使うべき場所が。ここぞと思う時に、きっとお役に立つであろう」
「そうですか、それでは、ありがたく頂戴します」
「それから……」
「はい?」
「兄上に釣り針を返す時は、後ろ向きにわたして、こう呟くのです……ゴニョゴニョゴニョ」
「は、はい、分かりました。ゴニョゴニョ……」
「いけません、ここでおっしゃっては!」
トヨタマヒメは、慌ててヤマサチの口を可愛い手で塞ぎます。
間近にトヨタマヒメの朝シャンの香もかぐわしい顔が迫って、いっそこのまま残ろうかという気持ちも湧きますが、グッと堪えて地上に帰ることにしました。
ちょっと余談です。
ヤマサチの物語に限りませんが、旅の青年が泊まった先で、泊まった家の娘が夜伽に出るということは、地方によっては近世まであったようです。
青年は、できれば都などから流れてきた貴種であることが望ましいのですが、それほどこだわりません。
泊めた青年が、なかなかの人物と思った時は、家の主、あるいは本人の意思で一夜を共にします。
現代に感覚では、ちょっとビックリなのですが、近世以前は、場所によっては日常的な人の出入りがほとんどありません。記紀神話が成立した八世紀初頭なら、もっと切実であったのかもしれません。
閉鎖的な集落の中では、外部との人の行き来がほとんどありません。
司馬遼太郎さんのエッセイに、こんなのがありました。
奈良の村から大阪の学校に行った福田定一少年(司馬さんの本名)が夏休みで村に帰ると、村の少年たちが福田少年のところにやってきます。
「おい、福田、大阪には海があるて聞いたけど、海て、どんなもんや?」
「海は……でらい水たまりじゃ」
でらいとは大きいという意味です。
「でらい水たまりか?」
「どのくらい、でらい?」
「上の池よりもでらいけ?」
上の池というのは、村でいちばん大きな池です。
「ほら、でらいわ。でらすぎて、向こう岸が見えん」
ここまで言うと、村の少年たちはケラケラと笑い出します。
「福田ぁ、ウソ言うたらあかんぞ」
「ウソとちゃうわい」
「そんな、向こう岸が見えんような水たまりがあってたまるか。なあ」
「ほうや、ほうや!」
福田少年は、嘘つきにされてしまいました(^_^;)。
ほんの八十年前、生駒山が隔てていたとはいえ、大阪湾からニ十キロちょっとの奈良県の話です。
近世以前は、福田少年のエピソード以上の深刻な問題があったでしょう。
人の行き来が乏しいために、集落の中が、近親婚に近い状態になって遺伝学的な問題が起こるのです。
昔の人は、経験的に、新しい血を入れなければならないことを知っていたのでしょう。
外から来た若者には、外部の血液を得るという意味合い、役割があったと思います。
乏しい知識からの想像ですが、継体天皇は応神天皇の五世孫として越前の国から招かれました。
徳川家康の祖先は、まだ一族が松平と称していたころ、松平郷に流れ着いた僧侶の血が入っていると言われています。
まあ、そういう半ば日常、半ば夢物語のような要素が入って生まれたエピソードではないかと思います。
次回からは、大詰めのヤマサチ・ウミサチの勝負の話に進んで行きたいと思います。
59『二つの珠とヤマサチのあれこれ』
「婿どの」
「は?」
「は~~やっぱりお帰りになるのだろうのう……」
ワダツミの神が名残惜しそうにため息をつきます。
もともと海の底に来たのは、兄のウミサチから借りて失くしてしまった釣り針を探すためです。
その釣り針が見つかったのですから、もう、海の底の宮殿に居る理由はありません。
「はい、大変お世話になりましたが、兄のウミサチに一刻も早く返しに行きたいと思いますので、これにて失礼いたします」
「さようか、ならば、トヨタマヒメ、あれをお渡しなさい」
「はい、お父さま……」
父に促されて、トヨタマヒメは二つの珠を渡します。
えと、玉ではありません、『珠』と書いてあります。
玉は水晶や翡翠ややらの陸上で採れる貴石ですが、珠は、真珠の珠の字を書きます。つまり巨大な真珠の一種だと思えばいいでしょう。
「いざという時には、これをお使いください」
「二つとも頂けるんですか?」
「はい、これは二つでワンセットなんです」
「というと?」
「こちらが塩盈珠(しおみつたま)です。この珠には海の水を呼ぶ力があります。そして、もう一つが塩乾珠(しおふるたま)です。この珠には溢れた海の水を引かせる力があります」
「これをどのように?」
「どのように使うかは、ヤマサチさま、あなた次第です」
「婿……いや、ヤマサチどの、地上にお戻りになれば、おのずと分かるでしょう。使うべき時、そして使うべき場所が。ここぞと思う時に、きっとお役に立つであろう」
「そうですか、それでは、ありがたく頂戴します」
「それから……」
「はい?」
「兄上に釣り針を返す時は、後ろ向きにわたして、こう呟くのです……ゴニョゴニョゴニョ」
「は、はい、分かりました。ゴニョゴニョ……」
「いけません、ここでおっしゃっては!」
トヨタマヒメは、慌ててヤマサチの口を可愛い手で塞ぎます。
間近にトヨタマヒメの朝シャンの香もかぐわしい顔が迫って、いっそこのまま残ろうかという気持ちも湧きますが、グッと堪えて地上に帰ることにしました。
ちょっと余談です。
ヤマサチの物語に限りませんが、旅の青年が泊まった先で、泊まった家の娘が夜伽に出るということは、地方によっては近世まであったようです。
青年は、できれば都などから流れてきた貴種であることが望ましいのですが、それほどこだわりません。
泊めた青年が、なかなかの人物と思った時は、家の主、あるいは本人の意思で一夜を共にします。
現代に感覚では、ちょっとビックリなのですが、近世以前は、場所によっては日常的な人の出入りがほとんどありません。記紀神話が成立した八世紀初頭なら、もっと切実であったのかもしれません。
閉鎖的な集落の中では、外部との人の行き来がほとんどありません。
司馬遼太郎さんのエッセイに、こんなのがありました。
奈良の村から大阪の学校に行った福田定一少年(司馬さんの本名)が夏休みで村に帰ると、村の少年たちが福田少年のところにやってきます。
「おい、福田、大阪には海があるて聞いたけど、海て、どんなもんや?」
「海は……でらい水たまりじゃ」
でらいとは大きいという意味です。
「でらい水たまりか?」
「どのくらい、でらい?」
「上の池よりもでらいけ?」
上の池というのは、村でいちばん大きな池です。
「ほら、でらいわ。でらすぎて、向こう岸が見えん」
ここまで言うと、村の少年たちはケラケラと笑い出します。
「福田ぁ、ウソ言うたらあかんぞ」
「ウソとちゃうわい」
「そんな、向こう岸が見えんような水たまりがあってたまるか。なあ」
「ほうや、ほうや!」
福田少年は、嘘つきにされてしまいました(^_^;)。
ほんの八十年前、生駒山が隔てていたとはいえ、大阪湾からニ十キロちょっとの奈良県の話です。
近世以前は、福田少年のエピソード以上の深刻な問題があったでしょう。
人の行き来が乏しいために、集落の中が、近親婚に近い状態になって遺伝学的な問題が起こるのです。
昔の人は、経験的に、新しい血を入れなければならないことを知っていたのでしょう。
外から来た若者には、外部の血液を得るという意味合い、役割があったと思います。
乏しい知識からの想像ですが、継体天皇は応神天皇の五世孫として越前の国から招かれました。
徳川家康の祖先は、まだ一族が松平と称していたころ、松平郷に流れ着いた僧侶の血が入っていると言われています。
まあ、そういう半ば日常、半ば夢物語のような要素が入って生まれたエピソードではないかと思います。
次回からは、大詰めのヤマサチ・ウミサチの勝負の話に進んで行きたいと思います。
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