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55『ウミサチ・ヤマサチ』

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誤訳怪訳日本の神話

55『ウミサチ・ヤマサチ』  




 ニニギとサクヤの間には三人の子どもが生まれました。


 ウミサチ  ホスセリ  ヤマサチ


 結論から言って、これから活躍するのはウミサチ・ヤマサチの二人で、次男のホスセリは出てきません。

 以前にも、こういうことがありましたね。

 イザナギが黄泉比良坂を千曳の大岩で蓋をして、からくもイザナミに勝利して帰りました。

「ああ、汚ったねえ、あちこち穢れてしまった!」

 そう言って、顔を洗った時に生まれた神も三人でした。


 アマテラス  ツクヨミ  スサノオ


 アマテラスとスサノオは、その後古事記前半の主役になっていきます。

 ところが、ツクヨミに関しては、その後の記述がありません。

 
 人間というのは3という数字に安定や落ち着きを感じるもののようです。

 オリンピックのメダルは金・銀・銅の三つです。

 ギリシアやローマの古典世界で描かれた美の女神は三人でワンセットの三美神。

 なんちゃら御三家や三人娘

 サザエさんは三人姉弟

 三番叟  三代実録  背番号3  三つ巴  三菱  三々五々  単三電池  3ストライク三振  三審制

 ボキャ貧のわたしでも、ゾロゾロ出てきます。


 カメラの三脚がありますね。

 三脚は三本足だから、たいていのデコボコでも安定しています。二脚では立ちませんし、四脚ではおさまりが悪いですね。

 鼎(かなえ)という漢字があります。

 足が三本ある器(うつわ)のことですね。古代においては、神にささげる酒や供物の入れ物でありました。

 単に座りがいいというだけではなく、三という数字に神聖さを感じたのでしょう。

 ですから、イザナギから生まれた神や、サクヤの産んだ子が三人というのは、その神聖さを現すための数字でありましょう。


 で、やっと主題のウミサチ・ヤマサチであります(^_^;)


 成長したウミサチは毎日海に魚を釣りに行きます。ヤマサチは弓矢を携えて山に獲物を求めます。

 個人的な嗜好ですが、わたしは、山の上から下界を眺めるよりは、砂浜に座って海を眺めている方が好きです。

 吉田茂が政界を引退して、袴姿で湘南の海岸を散歩している景色のいい写真があります。坂本龍馬のブロンズも桂浜の海岸がよく似合います。

 好きなアニメに『ラブライブサンシャイン!!』がありますが、沼津を舞台にしていて、海のシーンが多く出てきます。山や丘の上では、あの前向きな少女たちの希望は出てきません。

 ウミサチ・ヤマサチというのは、弥生時代、ひょっとしたら血の中の記憶として残っていた縄文時代の日本人の有りようが反映されているのかもしれません。

 縄文・弥生の昔は、人々の多くは海沿いに住み、海沿いほど多くはない人たちが山に住んでいたと思います。

 海の民と山の民は時々交易していたでしょう。

 人の生活に絶対必要な塩は海でしか取れません。

 寒さをしのぐ毛皮や石器の原料は山の方が多くとれたかもしれませんが、塩ほどの必需品でもありません。

 収獲量も山よりも海の方が多かったでしょう。

 縄文の末ごろに起こった農耕も、水利の問題から海沿いの平地や扇状地で起こりました。


 海沿いの方が山よりも、いろいろな点で優位に立っていたのではないかと想像できます。


 その優位さが、古事記では、こう現れました。

「よう、ウミサチ」

「なんだ、ヤマサチ?」

「毎日山で狩りやったり木の実を拾ったりってのも退屈でさあ……いっかい、持ち物交換して、オレにも釣りさせてくれねーかなあ」

「え、あ、まあ弟の頼みだ。聞いてやらないこともないが、釣り針失くさないでくれよな」

「ああ、大丈夫。いっかいやったら納得するってもんだ!」

「そうか、じゃあ、まあ、がんばれ」

「お、おう! でっかい魚釣って来るぜ!」

 
 こうやって、得物を取り換えてウミサチは山に、ヤマサチは海に向かいました……。

 
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