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70『御籠りの五日間・4・ヒヤシンス』
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泣いてもω(オメガ) 笑ってもΣ(シグマ)
70『御籠りの五日間・4・ヒヤシンス』オメガ
夜中に目が覚めた。
御神渡りとかのために、豊楽殿の座敷は半分しか使えない。
その半分も、この二日で狭くなり、几帳を隔てて眠っているシグマと増田さんは手を伸ばせば届きそうなところで寝ている。
几帳というのは、ただ布がぶら下がっているだけなので、風が吹けば簡単に翻って、向こうが見えてしまう。
フワリ
寝返りを打つタイミングで座敷の空気がそよいで几帳が翻る。そこにシグマの寝顔がある。
こいつのΣ口は、本人が気にしているようなマイナスイメージじゃないと思っている、眠って薄く開いた口はΣなんかじゃないし。
小さく開いたO口だ。
あのΣ口は、起きている時のいろんな緊張感からくるものなんだと思う。
…………………………。
なんだか眠れそうにないので、そっと起きる。
作務衣の上だけを羽織って座敷を出る。
廊下に出ると、硝子戸の外がほんのりと明るい……夜明けが近いんだ。
草履をひっかけて外に出てみる。
夜明け前の空気に化かされたのか、このまま戻っては、みんなを起こしてしまうかもしれないと思ったのか、その両方か。
臆病だからよ
ハッと振り返ると、豊楽殿の北、たぶん樟、その下に卑弥呼さんが立っている。いや、立っていた。さっきからずっと立っていて、寝起きのあれこれ見られたような気がする。
耳元で聞こえる声と距離が合わないんだけど、卑弥呼さん以外に人は居ない。
そうよ
口の形で意味が知れると、卑弥呼さんは樟の向こうの薮に吸い込まれるように消えた。
「あ、あの」
追いかけると、薮の向こうは下りの坂になっていて、卑弥呼さんは、その坂を下って行ったのだ。
ためらわれたけど、誘われたような気がして、探りながら薮の向こうに足をすすめる。
あ………………。
そこは豊楽殿の座敷程の窪地で、窪地は一面薄紫色の百合を小さくしたような花で埋め尽くされていた。
初めて見る景色、だのに、なぜか懐かしい。
「ミサイルは落ちてこないようね」
花畑の向こうから卑弥呼さん。
「あの……ここは」
「夜明け前に、ひっそりと話をするにはいい場所でしょ」
「えと……話ですか」
「なにか起こるような気がして、あなたたちに来てもらったの」
「なにか起こる?」
「東京が壊滅するほどのなにかとかね、ひょっとしたら、あのミサイルかとも思ったんだけど、違ったみたい」
「ああ、大騒ぎしましたからね……でも、なんで僕たちなんですか?」
「風信子が声を掛けやすくて、一番条件が合っていたからよ」
「条件ですか」
「あなたたちは美斗能麻具波比(みとのまぐわい)にこだわりがない」
「みとの……」
「ああいうゲームがこだわりを持たずにできるのだから……たとえ東京が滅んでも、あなたたち二組から新しく始められると考えた……でも、心の垣根はまだまだ高かったようね」
「あ、僕たち、そういうのは……」
「いつでもいいというわけでもないの、この数か月、数年の内では、この五日間が一番いい。ああいうゲームに打ち込めるのは、けがれなきあかき心を持っているからこそだと思いますよ」
「あ、はあ……」
「古の歌に、こんなものがあります――小林(おばやし)に我を引き入れてせし人の於謀提(オモテ)も知らず家も知らずも――あかあかしているでしょ」
「えと、それって……」
古典は苦手だが、なんかとんでもないことをうたっているような気がする。
「太古の昔、歌垣(うたがき)というものがありました」
「うたがき?」
「盆踊り……フォークダンスが似てるかしら……秋祭りの時などに男女が集まって輪になって歌を謡いながら踊るのね……そして興がのってくると、一組二組とカップルができて藪や林の中に消えていく……」
「それって(^_^;)」
「そうよ……美斗能麻具波比……そして、夜が開けたら、相手の名前も顔も覚えていなかったわ……そういうあかあかとした心を詠んでいるのよ」
「は、はあ……」
なんか、すごいことを言ってるようで、まともにリアクションがとれねえ。
「ね、これからも、そのあかき心を育んでくださいな……」
そう言いながら、卑弥呼さんは手に持っていた球根を足許の清げなせせらぎ近くに活けた。
俺は、この時まで卑弥呼さんが球根を持っていたことには気づかなかった。
「ここの花は、ぜんぶヒヤシンス。この球根は弱っているので早めに戻してあげるのよ、物事は目に見えて悪くなったり弱ってからでは間に合わないからね……」
「えと、なんだか懐かしい感じのする場所っすね」
「夜明けには、まだ間があるわ、もう少し休んでいくといい……」
卑弥呼さんは、活けたヒヤシンスの上三十センチくらいのところで、撫でるように手を回す。
すると、ヒヤシンスと自分が重なってしまって、いつの間にか、オレは卑弥呼さんに膝枕されてしまっている。
え……あ……ああ……
そして、急速に眠気が戻ってきて、アッと言う間に意識が無くなっていった……。
☆彡 主な登場人物
妻鹿雄一 (オメガ) 高校三年
百地美子 (シグマ) 高校二年
妻鹿小菊 高校一年 オメガの妹
妻鹿幸一 祖父
妻鹿由紀夫 父
鈴木典亮 (ノリスケ) 高校三年 雄一の数少ない友だち
風信子 高校三年 幼なじみの神社(神楽坂鈿女神社)の娘
柊木小松(ひいらぎこまつ) 大学生 オメガの一歳上の従姉 松ねえ
ミリー・ニノミヤ シグマの祖母
ヨッチャン(田島芳子) 雄一の担任
木田さん 二年の時のクラスメート(副委員長)
増田汐(しほ) 小菊のクラスメート
70『御籠りの五日間・4・ヒヤシンス』オメガ
夜中に目が覚めた。
御神渡りとかのために、豊楽殿の座敷は半分しか使えない。
その半分も、この二日で狭くなり、几帳を隔てて眠っているシグマと増田さんは手を伸ばせば届きそうなところで寝ている。
几帳というのは、ただ布がぶら下がっているだけなので、風が吹けば簡単に翻って、向こうが見えてしまう。
フワリ
寝返りを打つタイミングで座敷の空気がそよいで几帳が翻る。そこにシグマの寝顔がある。
こいつのΣ口は、本人が気にしているようなマイナスイメージじゃないと思っている、眠って薄く開いた口はΣなんかじゃないし。
小さく開いたO口だ。
あのΣ口は、起きている時のいろんな緊張感からくるものなんだと思う。
…………………………。
なんだか眠れそうにないので、そっと起きる。
作務衣の上だけを羽織って座敷を出る。
廊下に出ると、硝子戸の外がほんのりと明るい……夜明けが近いんだ。
草履をひっかけて外に出てみる。
夜明け前の空気に化かされたのか、このまま戻っては、みんなを起こしてしまうかもしれないと思ったのか、その両方か。
臆病だからよ
ハッと振り返ると、豊楽殿の北、たぶん樟、その下に卑弥呼さんが立っている。いや、立っていた。さっきからずっと立っていて、寝起きのあれこれ見られたような気がする。
耳元で聞こえる声と距離が合わないんだけど、卑弥呼さん以外に人は居ない。
そうよ
口の形で意味が知れると、卑弥呼さんは樟の向こうの薮に吸い込まれるように消えた。
「あ、あの」
追いかけると、薮の向こうは下りの坂になっていて、卑弥呼さんは、その坂を下って行ったのだ。
ためらわれたけど、誘われたような気がして、探りながら薮の向こうに足をすすめる。
あ………………。
そこは豊楽殿の座敷程の窪地で、窪地は一面薄紫色の百合を小さくしたような花で埋め尽くされていた。
初めて見る景色、だのに、なぜか懐かしい。
「ミサイルは落ちてこないようね」
花畑の向こうから卑弥呼さん。
「あの……ここは」
「夜明け前に、ひっそりと話をするにはいい場所でしょ」
「えと……話ですか」
「なにか起こるような気がして、あなたたちに来てもらったの」
「なにか起こる?」
「東京が壊滅するほどのなにかとかね、ひょっとしたら、あのミサイルかとも思ったんだけど、違ったみたい」
「ああ、大騒ぎしましたからね……でも、なんで僕たちなんですか?」
「風信子が声を掛けやすくて、一番条件が合っていたからよ」
「条件ですか」
「あなたたちは美斗能麻具波比(みとのまぐわい)にこだわりがない」
「みとの……」
「ああいうゲームがこだわりを持たずにできるのだから……たとえ東京が滅んでも、あなたたち二組から新しく始められると考えた……でも、心の垣根はまだまだ高かったようね」
「あ、僕たち、そういうのは……」
「いつでもいいというわけでもないの、この数か月、数年の内では、この五日間が一番いい。ああいうゲームに打ち込めるのは、けがれなきあかき心を持っているからこそだと思いますよ」
「あ、はあ……」
「古の歌に、こんなものがあります――小林(おばやし)に我を引き入れてせし人の於謀提(オモテ)も知らず家も知らずも――あかあかしているでしょ」
「えと、それって……」
古典は苦手だが、なんかとんでもないことをうたっているような気がする。
「太古の昔、歌垣(うたがき)というものがありました」
「うたがき?」
「盆踊り……フォークダンスが似てるかしら……秋祭りの時などに男女が集まって輪になって歌を謡いながら踊るのね……そして興がのってくると、一組二組とカップルができて藪や林の中に消えていく……」
「それって(^_^;)」
「そうよ……美斗能麻具波比……そして、夜が開けたら、相手の名前も顔も覚えていなかったわ……そういうあかあかとした心を詠んでいるのよ」
「は、はあ……」
なんか、すごいことを言ってるようで、まともにリアクションがとれねえ。
「ね、これからも、そのあかき心を育んでくださいな……」
そう言いながら、卑弥呼さんは手に持っていた球根を足許の清げなせせらぎ近くに活けた。
俺は、この時まで卑弥呼さんが球根を持っていたことには気づかなかった。
「ここの花は、ぜんぶヒヤシンス。この球根は弱っているので早めに戻してあげるのよ、物事は目に見えて悪くなったり弱ってからでは間に合わないからね……」
「えと、なんだか懐かしい感じのする場所っすね」
「夜明けには、まだ間があるわ、もう少し休んでいくといい……」
卑弥呼さんは、活けたヒヤシンスの上三十センチくらいのところで、撫でるように手を回す。
すると、ヒヤシンスと自分が重なってしまって、いつの間にか、オレは卑弥呼さんに膝枕されてしまっている。
え……あ……ああ……
そして、急速に眠気が戻ってきて、アッと言う間に意識が無くなっていった……。
☆彡 主な登場人物
妻鹿雄一 (オメガ) 高校三年
百地美子 (シグマ) 高校二年
妻鹿小菊 高校一年 オメガの妹
妻鹿幸一 祖父
妻鹿由紀夫 父
鈴木典亮 (ノリスケ) 高校三年 雄一の数少ない友だち
風信子 高校三年 幼なじみの神社(神楽坂鈿女神社)の娘
柊木小松(ひいらぎこまつ) 大学生 オメガの一歳上の従姉 松ねえ
ミリー・ニノミヤ シグマの祖母
ヨッチャン(田島芳子) 雄一の担任
木田さん 二年の時のクラスメート(副委員長)
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