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092『円突と寅次郎』
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漆黒のブリュンヒルデQ
092『円突と寅次郎』
芳子がアメリカに発った。
平日なので、見送りはわたしだけかと思ったが、小栗結衣も出発ゲートで待ち受けていて、意外の情の厚さに驚いた。
小栗は、わたしの後を襲って生徒会長になった奴だが、我の強い美少女。自分以外は道具としか思っていないようなところがあったが、ハグしながら流した涙に嘘はなさそうだ。
小栗の意外な情の厚さに、一歩引きさがって見送るだけにしたのだが、一人駅に向かう背中に声を掛けてきた。
「ありがとうございます、先輩。下見にも付いて行ってくださったんですね。先輩には盾を突くようなことばかりでしたけど、先輩の足跡があったからこそ進んでこられました。ほんとうにありがとうございました」
そう言って、深々と頭を下げ、他の見送りの者たちとバスで帰って行った。
わたしの実績など、この世界に来るにあたって父のオーディンがでっち上げた設定にすぎない。
父の分も含めて申し訳なく思いながら豪徳寺の駅から世田谷城址公園まで来てしまった。
堡塁跡、木漏れ日の揺蕩い……単に、木の葉の隙で濾過された日差しが風に揺れているだけなのだが、その揺蕩いに身を晒していると、いささか心地いい。虚実綯い混ぜられた次元の狭間に、少し疲れが出ているのかもしれない。
ソヨ
大方のそれに逆らって、一叢の木漏れ日が逆に戦いだ。
あやかし!?
身構えると、一薮向こうの木立から人が現れた。
草色の国防服の襟は黒、鉄兜に首からはメガホンを吊っている。
警防団か?
あの大空襲では十万もの犠牲者が出ている、中には、避難誘導や無駄な消火に命を落とした警防団や消防団の者もいた。
「あ、怪しい者じゃありません。いや、警防団員を拝命したあくる日の事で、いや、もう、ろくに役に立たないまま逝っちゃったものでして、いや、お恥ずかしい」
「おまえ、生前の事を憶えているのか?」
「あはは、まだらの飛び飛びでございますよ。なにもお役に立つことは憶えてやしません。いまもね、塾に行こうと足を運んでおりましてね、キョロキョロしておりましたら、こんなところに出てきちまって、いや、めんぼくありません」
なんだか調子がいい。付けるべき名前は浮かんでいるんだけど、ちょっと躊躇う。
「口が立つようだが、そういう仕事なのか?」
「はい、二つ目ではございますが、三遊亭円突と申します」
「二つ目?」
「あはは、噺家、落語家でございますよ。二つ目というのは真打の一つ手前、軍隊で言うと上等兵、会社で言えば係長ぐらいのものでございましょうか」
「なるほど、しかし、円突とは妙な高座名だな」
「あはは、でしょうねえ、師匠が『円の一字をもってくりゃいいんだ、一つ自分でアイデア言ってみろ』って、おっしゃるもんですからね、それでってんで、試しに言ってみたんでさ」
「突には、なにか由来でもあるのか?」
「いや、時局がら、元気な方がいいだろうってんで『突撃』『突破』の突をね、師匠には笑われましたがね、へへへ」
「いや、それだけではないだろう、鼻が笑っているぞ」
「おっと、いけねえ」
驚いて鼻を隠すと、実に愛嬌がある。
「なんだか、日光の見ザルのようだな」
「あはは、干支も申年でやすからね。こいつは、ひとつ答えずばならねえか」
いつの間にか、高座の噺家と客という塩梅になってきた。
「なにね、まだ、弟子入りして、まだ高座名もついてねえころに、師匠の荷物持ちで京都に行ったんですけどね。そこの楽屋で漫才師の弟子といっしょになりやして、そいつと駆け出し同士意気投合しやしてね、そいつ、師匠から名前を頂戴したところで、若いくせに丸眼鏡にチョビ髭が似合うやつでしてね……立山エンタツっていうんですよ。じゃ、俺も高座名いただく時には、あやかって……円の一字は外せねえから下の二文字、タチツテトのタは遠慮して……チ、ツ、テ、ト……よし、円突だ! あははは」
「あははは、なんだそれは( ´艸`)」
「あはは、でも、人には一発で憶えてもらえましてね……で、その三日目に大空襲って寸法ときた!」
「「あははは」」
悲しい話なんだが、こいつが喋ると春風が吹いたようで、つい笑ってしまう。
―― おーい、円突君、そんなところにいたんですかぁ ――
声のする方を向くと、公園の入り口で、ひょろりとした侍がニコニコと立っている。
「いやあ、先生、道に慣れないもんで、ちょいと迷ってしまいました」
「この道を、まっすぐ一丁ほど行ったら見えてくる。急いでください、円突君」
「はい、ただいま。それじゃ、お嬢さん、またいつか」
「ああ、また話を聞かせてくれ」
鉄兜とメガホンをカチャカチャいわせながら、円突は行ってしまった。
「いや、先日は松本がお世話になりました。未熟な者たちですが、ご容赦頂いて助かりました」
「失礼だが、あなたは?」
「あ、勝手に朋輩のような気になって失礼いたしました。吉田寅次郎と申します。ヒルデさんのことは常々聞き及んでおりましたが、ついご挨拶が遅れて失礼いたしました」
「吉田寅次郎……殿」
「この先で塾を営んでおります、ヒルデさんから見れば悠長なことに見えるでしょうが、可能性のある者には自分で名を取り戻してもらおうと……ヒルデさんの御趣旨には反するでしょうが、どうか思目こぼしのほどを……あ、いかん、講義の時間が迫っております。これにて……」
「こちらこそ時間を取らせてしまいました、失礼します」
「気が向いたら、わたしの塾にもお越しください」
「はい、きっと!」
風が木々の梢を揺らしたかと思うと、吉田寅次郎の姿は風の中に消えてしまった。
☆彡 主な登場人物
武笠ひるで(高校二年生) こっちの世界のブリュンヒルデ
福田芳子(高校一年生) ひるでの後輩 生徒会役員
福田るり子 福田芳子の妹
小栗結衣(高校二年生) ひるでの同輩 生徒会長
猫田ねね子 怪しい白猫の猫又 54回から啓介の妹門脇寧々子として向かいに住みつく
門脇 啓介 引きこもりの幼なじみ
おきながさん 気長足姫(おきながたらしひめ) 世田谷八幡の神さま
スクネ老人 武内宿禰 気長足姫のじい
玉代(玉依姫) ひるでの従姉として54回から同居することになった鹿児島荒田神社の神さま
お祖父ちゃん
お祖母ちゃん 武笠民子
レイア(ニンフ) ブリュンヒルデの侍女
主神オーディン ブァルハラに住むブリュンヒルデの父
092『円突と寅次郎』
芳子がアメリカに発った。
平日なので、見送りはわたしだけかと思ったが、小栗結衣も出発ゲートで待ち受けていて、意外の情の厚さに驚いた。
小栗は、わたしの後を襲って生徒会長になった奴だが、我の強い美少女。自分以外は道具としか思っていないようなところがあったが、ハグしながら流した涙に嘘はなさそうだ。
小栗の意外な情の厚さに、一歩引きさがって見送るだけにしたのだが、一人駅に向かう背中に声を掛けてきた。
「ありがとうございます、先輩。下見にも付いて行ってくださったんですね。先輩には盾を突くようなことばかりでしたけど、先輩の足跡があったからこそ進んでこられました。ほんとうにありがとうございました」
そう言って、深々と頭を下げ、他の見送りの者たちとバスで帰って行った。
わたしの実績など、この世界に来るにあたって父のオーディンがでっち上げた設定にすぎない。
父の分も含めて申し訳なく思いながら豪徳寺の駅から世田谷城址公園まで来てしまった。
堡塁跡、木漏れ日の揺蕩い……単に、木の葉の隙で濾過された日差しが風に揺れているだけなのだが、その揺蕩いに身を晒していると、いささか心地いい。虚実綯い混ぜられた次元の狭間に、少し疲れが出ているのかもしれない。
ソヨ
大方のそれに逆らって、一叢の木漏れ日が逆に戦いだ。
あやかし!?
身構えると、一薮向こうの木立から人が現れた。
草色の国防服の襟は黒、鉄兜に首からはメガホンを吊っている。
警防団か?
あの大空襲では十万もの犠牲者が出ている、中には、避難誘導や無駄な消火に命を落とした警防団や消防団の者もいた。
「あ、怪しい者じゃありません。いや、警防団員を拝命したあくる日の事で、いや、もう、ろくに役に立たないまま逝っちゃったものでして、いや、お恥ずかしい」
「おまえ、生前の事を憶えているのか?」
「あはは、まだらの飛び飛びでございますよ。なにもお役に立つことは憶えてやしません。いまもね、塾に行こうと足を運んでおりましてね、キョロキョロしておりましたら、こんなところに出てきちまって、いや、めんぼくありません」
なんだか調子がいい。付けるべき名前は浮かんでいるんだけど、ちょっと躊躇う。
「口が立つようだが、そういう仕事なのか?」
「はい、二つ目ではございますが、三遊亭円突と申します」
「二つ目?」
「あはは、噺家、落語家でございますよ。二つ目というのは真打の一つ手前、軍隊で言うと上等兵、会社で言えば係長ぐらいのものでございましょうか」
「なるほど、しかし、円突とは妙な高座名だな」
「あはは、でしょうねえ、師匠が『円の一字をもってくりゃいいんだ、一つ自分でアイデア言ってみろ』って、おっしゃるもんですからね、それでってんで、試しに言ってみたんでさ」
「突には、なにか由来でもあるのか?」
「いや、時局がら、元気な方がいいだろうってんで『突撃』『突破』の突をね、師匠には笑われましたがね、へへへ」
「いや、それだけではないだろう、鼻が笑っているぞ」
「おっと、いけねえ」
驚いて鼻を隠すと、実に愛嬌がある。
「なんだか、日光の見ザルのようだな」
「あはは、干支も申年でやすからね。こいつは、ひとつ答えずばならねえか」
いつの間にか、高座の噺家と客という塩梅になってきた。
「なにね、まだ、弟子入りして、まだ高座名もついてねえころに、師匠の荷物持ちで京都に行ったんですけどね。そこの楽屋で漫才師の弟子といっしょになりやして、そいつと駆け出し同士意気投合しやしてね、そいつ、師匠から名前を頂戴したところで、若いくせに丸眼鏡にチョビ髭が似合うやつでしてね……立山エンタツっていうんですよ。じゃ、俺も高座名いただく時には、あやかって……円の一字は外せねえから下の二文字、タチツテトのタは遠慮して……チ、ツ、テ、ト……よし、円突だ! あははは」
「あははは、なんだそれは( ´艸`)」
「あはは、でも、人には一発で憶えてもらえましてね……で、その三日目に大空襲って寸法ときた!」
「「あははは」」
悲しい話なんだが、こいつが喋ると春風が吹いたようで、つい笑ってしまう。
―― おーい、円突君、そんなところにいたんですかぁ ――
声のする方を向くと、公園の入り口で、ひょろりとした侍がニコニコと立っている。
「いやあ、先生、道に慣れないもんで、ちょいと迷ってしまいました」
「この道を、まっすぐ一丁ほど行ったら見えてくる。急いでください、円突君」
「はい、ただいま。それじゃ、お嬢さん、またいつか」
「ああ、また話を聞かせてくれ」
鉄兜とメガホンをカチャカチャいわせながら、円突は行ってしまった。
「いや、先日は松本がお世話になりました。未熟な者たちですが、ご容赦頂いて助かりました」
「失礼だが、あなたは?」
「あ、勝手に朋輩のような気になって失礼いたしました。吉田寅次郎と申します。ヒルデさんのことは常々聞き及んでおりましたが、ついご挨拶が遅れて失礼いたしました」
「吉田寅次郎……殿」
「この先で塾を営んでおります、ヒルデさんから見れば悠長なことに見えるでしょうが、可能性のある者には自分で名を取り戻してもらおうと……ヒルデさんの御趣旨には反するでしょうが、どうか思目こぼしのほどを……あ、いかん、講義の時間が迫っております。これにて……」
「こちらこそ時間を取らせてしまいました、失礼します」
「気が向いたら、わたしの塾にもお越しください」
「はい、きっと!」
風が木々の梢を揺らしたかと思うと、吉田寅次郎の姿は風の中に消えてしまった。
☆彡 主な登場人物
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福田るり子 福田芳子の妹
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門脇 啓介 引きこもりの幼なじみ
おきながさん 気長足姫(おきながたらしひめ) 世田谷八幡の神さま
スクネ老人 武内宿禰 気長足姫のじい
玉代(玉依姫) ひるでの従姉として54回から同居することになった鹿児島荒田神社の神さま
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