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55『帝国キネマ撮影所 杵間所長・2』

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くノ一その一今のうち

55『帝国キネマ撮影所 杵間所長・2』 




 さあ、あちらに。


 杵間所長は、いくつもあるセットの一つを指さした。

 セットたちは撮影に都合がいいように立てられているので、てんでんばらばらの方角を向いている。大方は、横向きや後ろ向きで、なんのセットか分からない。

 そのセットも後ろ向きで、ベニヤ板に寸角の骨組みが剝き出しになって、ケーブルやコードが床を這い支木の人形立てにまとわりついている。

「あら」

 思わず声が出てしまう。

 表に周ると、そのセットは二間続きの洋間。広さの割に写るところだけ作られた天井は低く、大小四つのテーブルの上には本やら地図やら、怪しげな、意味ありげなアイテムが乱雑に置いてある。

「ベイカー街221Bのセットです」

「ベイカー街……シャーロックホームズですね」

「ええ、ワトソンといっしょに住み始めたころの、シリーズ初期のホームズのアパートです」

「ホームズをお撮りになるんですか?」

「いつか撮りたいと、セットを組んでみたんです。将来的には『怪人二十面相』や『少年探偵団』なんかも撮りたいんですけど、そのためには本家本元のホームズをと思いましてね。いやはや、まだ脚本も上がっていないし、役者も目途が立っていません」

「でも、なんか本格的……あ……なんかいい匂いがしますね」

「ホームズはヘビースモーカーでして、一説では大麻やコカインとかもやっていたようなので、まさか本物は使えませんが、調合してそれらしい匂いをさせています……ちょっとくどいですね、窓を開けましょう」

 窓を開ける杵間所長。

 ガチャリと窓が開くと、とたんに街の喧騒が飛び込んでくる。ドアの外ではアパートの住人が階段を上り下りする気配がして、空気までが生き生きしてくる。

 振り返ると、入ってきた方も完全に壁ができていて、照明器具がいっぱいぶら下がっていた頭上も、アパートの天井になっている。もうセットではなく完全にシャーロックホームズの世界になっている。

 ええ?

 窓の外も書割ではなくて、本当に倫敦の街と空が広がって、まるでVR、いや現実の世界だ。

「これがキネマの世界なんです。観たいもの観せたいものに渾身の力を注げば、こうなります」

 すごい、これは忍術に通じるところがあるかもしれない。

「そのいちさん、こちらに来ると、すぐに撮影所の周囲を走って様子を探られたでしょ」

 う、見透かされている。

「どうでしたか、撮影所のことはつぶさにご覧になられたでしょう?」

「はい、役目の一つですから」

「でも、どうですか、撮影所の周囲の様子はご覧になれましたか?」

 あ?

 そう言えば、撮影所の中を調べるのに夢中で、その外側と言われると、道が傾斜していたことと崖があったことぐらいしか思い出せない。

「……どうやら、外の風景はお目に留まらなかったようですね」

「はい、忍者としてはお恥ずかしい限りです(-_-;)」

「いいえいいえ、それがわたしの狙いですから。そのいちさんには申し訳ありませんが、ちょっと嬉しいです」

 ちょっと癪だけど、面白くなってきた。

「それで、木下家とのことではご協力願えるんでしょうか?」

「むろんです」

「えと……」

「なぜ、鈴木家に肩入れするか……ですね?」

「あ、はい」

「ワクワクするじゃないですか。この大阪で忍び同士の戦いが繰り広げられるというのは」

「え?」

「活動屋は、ワクワクするのが好きなんですよ。ワクワク、ハラハラ、ドキドキというのは原動力です。そのために、この撮影所は外部とは完全に切り離されています。ここから出撃して、勝っても負けても、ここに戻ってきてください。敵は、キネマ橋からこっちには入れません」

「はい」

「この東洋一のスタジオには想像力の翼があります。想像力があれば、敵の正面を突くことも裏をかくこともできます。そのいちさんや、そのお仲間のワクワク、ハラハラ、ドキドキは、傍で見ているだけで我々活動屋の活力になっていくんです」

「はい」

「フフ、まだ腑に落ちないというお顔ですね」

「あ、いえ」

「そのいちさんを目の前にしていると、なんだか、有能な新人女優さんを見つけたような気がします。期待しています」

「ありがとうございます」

「お部屋は本館の二階に用意しています。『に』の字の縦棒の真ん中のあたりです。食事は一階に食堂があります。突き当りに購買がありますからご利用ください」

「はい」

 それから、撮影所のあれこれや、近隣のお話を楽しく聞かせてもらった。

 パッと見は、そこらへんのおじさんという感じなのに、喋らせるととても面白い。これも、映画という創造の世界に居るからだろう。

「では、そろそろご案内しましょう」

「はい」

 立ち上がったとたんに、ベーカー街のアパートは、セットに戻ってしまった。

 天井なんか無くって、照明器具がいっぱいだし、後ろは壁が消えて薄暗いスタジオに続いている。



 途中、さっきの受付の前に出ると、来た時には気付かなかった『新人女優募集』のポスターが目についた。

 いかにも女優……という感じではなく、女学校を出たばかり、緊張しながらも笑顔を見せているオカッパ頭の女の子。

 胸に願書のを抱きしめて、ちょっと笑えるぐらいに初々しい。名前のところは長瀬映子と分かりやすい。

 長瀬撮影所の映画の子だものね。

「最初は、こういう真っ新な子がいいんです。女優としての色は、本人とわたしたちの化学反応で着いてきますから」

 化学反応をバケ学反応と発音、ちょっと笑ってしまう。

「むろん、そのいちさんのような、しっかり自分の色を持った中堅どころも大歓迎ではあります」

 ギシギシと木製の階段を上がる。

 油びきの匂いがして、油びきの階段や廊下なんて初めてなのに、とても懐かしい感じがした。 

 

☆彡 主な登場人物

風間 その        高校三年生 世襲名・そのいち
風間 その子       風間そのの祖母(下忍)
百地三太夫        百地芸能事務所社長(上忍) 社員=力持ち・嫁持ち・金持ち
鈴木 まあや       アイドル女優 豊臣家の末裔鈴木家の姫
忍冬堂          百地と関係の深い古本屋 おやじとおばちゃん
徳川社長         徳川物産社長 等々力百人同心頭の末裔
服部課長代理       服部半三(中忍) 脚本家・三村紘一
十五代目猿飛佐助     もう一つの豊臣家末裔、木下家に仕える忍者
多田さん         照明技師で猿飛佐助の手下
杵間さん         帝国キネマ撮影所所長
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