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53『正念寺の光奈子・3・地獄に墜ちろ!』

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ミナコ転生

53『正念寺の光奈子・3・地獄に墜ちろ!』        




 仏教と言えば地獄極楽がセットだが、浄土真宗には、極楽はあっても地獄は存在しない。

 これは、子どもの頃から聞かされた教義であるが、光奈子は、たまに「地獄に墜ちろ!」と思う奴がいる。
 
 今回は、三年生の林田先輩だ。演劇部で、たった一人の男子部員。

 温厚=ホンワカを旨とする光奈子が「地獄に墜ちろ!」と思うのは、よっぽどである。あの生指の梅沢先生にもそこまでは思わなかった。

「おれ、今度の役降りるから」

 この一言で、光奈子は「地獄に墜ちろ!」思ったのである。

 林田は、顧問の篠田先生と春休みにぶつかった。先生に一言もなく地区の合同公演に出たからである。

「なぜ、あたしに言わないのさ。知らないところで事故やケガされても、責任はうちの学校なんだよ、あたしが責任とるんだよ。それに、その間、クラブどうすんの? あんた、もう三年生になるんだよ!?」

 その時は、大げさだなあぐらいに思っていたが、今度のひなのの事では先生は、始末書を書いて訓告処分になった。梅沢先生の「教師公務員論」には、賛成できないけど、扱いは公務員のそれ、いや、それ以上。

 もう一つ許せない理由がある。

 ひなのは、この芝居の道具に使う布地の見積もりを取りに行って事故に巻き込まれたんだ。林田が降りたら、この芝居は成り立たない。つまり、ひなのは犬死にしたのと同じになる。

「なんで犬死になんだよ。もし、オレが降りないでコンクールに落ちたら、そっちこそ犬死にじゃんか。ひなのだけじゃない、みんな無駄な努力に終わっちまうんだよ」
「それは、違います。やるだけやって、だめだったら、ひなのだって納得します。やらずにやめちゃうなんて、ひなのが浮かばれません」
「それじゃ、まるで、オレが悪者みたいじゃないか」
「悪者です!」
「なんだと!」

 クラブのみんなは、シンとしてしまった。

「冷静に言うぞ。今の本じゃコンクールで最優秀はとれない。八月のアプレ公演の時に、そう思ったんだ。今なら間に合う。本を替えよう……て、言ったら、みんな、そういう顔するだろ。オレに腹案があるんだ。イヨネスコの『授業』 仲代達也さんが演って、大当たり。おれ、もう台詞覚えにかかってるんだ。これなら……」
「分かった、林田は、もうやる気ないんだ!」

 部長の福井さんが、沈黙を破った。

「そんなこと言ってねえよ。ひなのが見積もり取ってきた布地だって、別の芝居で使えるじゃんか」
「それは詭弁です。ひなのは、今の芝居で使いたかったんです。それに林田先輩は、仲代さんにかぶれて主役の教授演りたいだけじゃないですか!」
「藤井!」

「もういい! もう分かった!」

 篠田先生が立ち上がった。

「林田君、降りていいわ。あんた無しでも出来るように本書き換えるから。あとどうするか、みんなで話し合ってちょうだい。あたし、本の書き換えしてくる」

 篠田先生は、静かに部室を出て行った。すっかり傾いた西日が部室の中をタソガレ色に染め上げた。

「林田。あんたとはいっしょにやれない。退部してよ」

 福井部長が西日を背中にして言った。

「そりゃあ、残念だな。スタッフで残ってやってもよかったんだけどな」

 林田は、そう言うとカバンを持ってドアに手を掛けた。

「地獄に墜ちろ……」

 福井部長が呟いた。

「地獄、上等じゃね。役者は、何事も経験だしな」

 残った部員は四人だったけど、結束を誓って、その日は解散した。

 ジャンケンで勝ったので、あたしが篠田先生に報告に行った。四人で行ったら泣き出しそうだったから。

「がんばろうね!」

 先生は、そう言って、手が痛くなるほど握手。シノッチもむかついているんだ。

 駅までの帰り道、信号に全部引っかかって、準急に乗り損ねた。

「アチャー……!」

 オッサンみたいに言って、光奈子はベンチに腰掛けた。

「ハハ、乗り遅れか」

 なんと、隣に林田がいた。

「オレも、各停乗り遅れ……おれは地獄行きだからな」
「地獄なんて、ありません。人間死んだらみんな極楽に行くんです」
「ほんとかよ?」
「うちの宗旨じゃ、そうなってます。善人なおもて往生す、言わんや悪人をや……です」
「悪人正機説だな」

 明らかに、バカにした言い方だった。

「極楽、チラ見してみます?」
「チュートリアルか?」
「あの西日の下のあたりを、よーく見て下さい」

 林田は、目を細め、手を庇にして太陽の下を見た……にやついた顔が、恍惚とした表情になった。光奈子も意外だった。極楽なんて、親鸞さんでさえ見たことがない。

「ウワ!」

 林田は声にならない叫びを上げた。西日の中でもハッキリ分かるほど顔色が悪い。

「どうでした、極楽?」
「と、とんでもねえ……!」

 そう言って林田は、真っ青な顔で、入ってきた各停に乗っていってしまった。

 光奈子は、自分の力に、まだ気が付いてはいなかった……。

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