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1『その始まり・1』
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みなこ転生・1
『その始まり・1』
湊子は二人の自分と戦っていた。
十七の少女として、ごく当たり前に生き続けたいと願う自分。
早く楽になって、向こうの世界で、もうじきやって来るあの人を待ちたいと願う自分。
生き続けたいと願うのは、もうすでに非現実的で、覚悟のない弱い心からだと思った。
早く楽になりたいと願うのは、苦しみに負けて逃避することでしかないと思った。
わたしの取るべき道は、あの人の最後を見届け、全てを受け入れてから旅立つこと。湊子はそう思い定めていた。
「僕より先に逝くんじゃないよ……」
三日前、最後の見舞いに来てくれた健一は、久々に洗髪してもらった髪を撫でながら、そう言った。
「だいじょうぶ……」
そう答えるのがやっとだった。
三月十日の大空襲では、奇跡的に軽いヤケドしか負わなかった……見た目には。
でも、熱気と煤を吸い込んで、気管支がやられ、半月ほど咳が続いた。タンに血が混ざるようになって肺炎であると海軍病院の軍医に言われた。良い薬が無いことと、栄養失調であることが病状を進めたようだ。海軍少将の父は無理を言って、海軍病院に入院させてくれた。父の生涯で、最初で最後のわがままだったろう。
さすがに個室というわけにはいかず、新島竹子と同室だった。竹子も同じ女学校で、彼女も胸をやられていたのだ。竹子は、カーテンで仕切られた向こうのベッドで眠っている。毎朝目がさめると、目だけで話した。
――おはよう。今朝も生きてたね――
いま、竹子は静かに眠っている。
湊子は、発熱と胸の痛みで眠れなかった。付き添いの姉は、もう舟を漕いでいるだろう.
いつしか湊子は、熱に浮かされながら健一と交わした屁理屈遊びを思い出していた。
「X=3 Y=3をグラフに書いてごらん」
「なによ、国民学校の四年生でもできるわよ」
湊子は自信満々で、グラフ用紙に点を打った。
「間違ってるよ」
「え、どうして、どうしてよ!?」
「いいかい、X=3 Y=3というのは点なんだ。点というのは面積を持たない。湊子ちゃんが書いたのは虫眼鏡で見れば円だ。円には面積がある……だろう」
「そんなの屁理屈だ。学校ではこう習ったもん」
「海軍じゃダメだね。大砲の照準を決めるときは、この図の百倍は精密だよ。弾を撃って、0・1度の誤差は、三十キロ先の弾着地点では五百メートルの誤差になる」
「ええ、そんなに!?」
「そうだよ、だから何発も撃って修正しながら命中弾を出すんだ」
「そうなんだ。海軍さんはスゴイ!」
「今頃分かったか」
健一にポコンとされたのを思い出した。
二人の向かいで父が笑っていた。
「正解はね、これだ」
健一は何も書いていないグラフ用紙を見せた。
「え、なんにも書いてないですけど?」
「点というのは、頭のなかでしか認識できないもので、紙になんかは書けない。ただ、このグラフ用紙を見て思いこむしか手がない。真実って、そんなもんだ」
「ハハハ、じゃ、山野、これはできるか?」
お父さんは、針とマッチ棒を持ち出した。
「この針の穴に、マッチ棒を通せっていうんでしょ。まず湊子さんから」
「こんなもの、通るわけないじゃないですか、お父さんも健一さんも湊子をバカにして!」
湊子は、父と新品少尉にからかわれたようで、むくれてしまった。
「僕なら、戦艦長門でも通してしまう」
「え、あんな大きな物!」
「こう、やるんですよ……」
健一は、針の穴を思い切り目に近づけた。
「ほら、湊子さんが入った!」
健一とまともに目が合った。健一は針の穴を通して、しっかりと湊子を掴まえてしまった。
あれから三年近くがたち、今では懐かしい思い出になってしまった。
湊子は、思い出に感謝した。これで、今夜は無事に目の覚める眠りにつけそうだ。
この眠りに身をゆだねたら……もう目が覚めないかも……。
ギイイ……
そのとき、病室のドアにかすかな気配を感じた……。
『その始まり・1』
湊子は二人の自分と戦っていた。
十七の少女として、ごく当たり前に生き続けたいと願う自分。
早く楽になって、向こうの世界で、もうじきやって来るあの人を待ちたいと願う自分。
生き続けたいと願うのは、もうすでに非現実的で、覚悟のない弱い心からだと思った。
早く楽になりたいと願うのは、苦しみに負けて逃避することでしかないと思った。
わたしの取るべき道は、あの人の最後を見届け、全てを受け入れてから旅立つこと。湊子はそう思い定めていた。
「僕より先に逝くんじゃないよ……」
三日前、最後の見舞いに来てくれた健一は、久々に洗髪してもらった髪を撫でながら、そう言った。
「だいじょうぶ……」
そう答えるのがやっとだった。
三月十日の大空襲では、奇跡的に軽いヤケドしか負わなかった……見た目には。
でも、熱気と煤を吸い込んで、気管支がやられ、半月ほど咳が続いた。タンに血が混ざるようになって肺炎であると海軍病院の軍医に言われた。良い薬が無いことと、栄養失調であることが病状を進めたようだ。海軍少将の父は無理を言って、海軍病院に入院させてくれた。父の生涯で、最初で最後のわがままだったろう。
さすがに個室というわけにはいかず、新島竹子と同室だった。竹子も同じ女学校で、彼女も胸をやられていたのだ。竹子は、カーテンで仕切られた向こうのベッドで眠っている。毎朝目がさめると、目だけで話した。
――おはよう。今朝も生きてたね――
いま、竹子は静かに眠っている。
湊子は、発熱と胸の痛みで眠れなかった。付き添いの姉は、もう舟を漕いでいるだろう.
いつしか湊子は、熱に浮かされながら健一と交わした屁理屈遊びを思い出していた。
「X=3 Y=3をグラフに書いてごらん」
「なによ、国民学校の四年生でもできるわよ」
湊子は自信満々で、グラフ用紙に点を打った。
「間違ってるよ」
「え、どうして、どうしてよ!?」
「いいかい、X=3 Y=3というのは点なんだ。点というのは面積を持たない。湊子ちゃんが書いたのは虫眼鏡で見れば円だ。円には面積がある……だろう」
「そんなの屁理屈だ。学校ではこう習ったもん」
「海軍じゃダメだね。大砲の照準を決めるときは、この図の百倍は精密だよ。弾を撃って、0・1度の誤差は、三十キロ先の弾着地点では五百メートルの誤差になる」
「ええ、そんなに!?」
「そうだよ、だから何発も撃って修正しながら命中弾を出すんだ」
「そうなんだ。海軍さんはスゴイ!」
「今頃分かったか」
健一にポコンとされたのを思い出した。
二人の向かいで父が笑っていた。
「正解はね、これだ」
健一は何も書いていないグラフ用紙を見せた。
「え、なんにも書いてないですけど?」
「点というのは、頭のなかでしか認識できないもので、紙になんかは書けない。ただ、このグラフ用紙を見て思いこむしか手がない。真実って、そんなもんだ」
「ハハハ、じゃ、山野、これはできるか?」
お父さんは、針とマッチ棒を持ち出した。
「この針の穴に、マッチ棒を通せっていうんでしょ。まず湊子さんから」
「こんなもの、通るわけないじゃないですか、お父さんも健一さんも湊子をバカにして!」
湊子は、父と新品少尉にからかわれたようで、むくれてしまった。
「僕なら、戦艦長門でも通してしまう」
「え、あんな大きな物!」
「こう、やるんですよ……」
健一は、針の穴を思い切り目に近づけた。
「ほら、湊子さんが入った!」
健一とまともに目が合った。健一は針の穴を通して、しっかりと湊子を掴まえてしまった。
あれから三年近くがたち、今では懐かしい思い出になってしまった。
湊子は、思い出に感謝した。これで、今夜は無事に目の覚める眠りにつけそうだ。
この眠りに身をゆだねたら……もう目が覚めないかも……。
ギイイ……
そのとき、病室のドアにかすかな気配を感じた……。
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