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168『ピタゴラスゴールデン街・2』

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銀河太平記

168『ピタゴラスゴールデン街・2』緒方未来 




 扶桑の月面領土(正確には管理地)を3PAと書く。


 三つのPカルデラ(パスカル・プラトン・ピタゴラス)で3P。それにアルキメデスのAを合わせて3PA。

 英語読みしてスリーパ。

 月面開発勢力としては後発組の扶桑は、他の勢力からは警戒されて先代将軍さまのころまでは、これをもじってスリーパーと呼ばれていた。

 まあ、眠れる獅子的な感じ。

 それが、御当代の道隆さまが将軍位に就かれてからはスリッパと呼ばれるようになったんだよ。



 これにはエピソードがある。



 将軍位に就かれた道隆さまは、最初に征夷大将軍の大礼服でお写真をお撮りになったんだけど、誤ってスリッパのまま撮影されてしまった。黒皮のスリッパだったので、前の方から写したお写真では、ほとんど靴と区別がつかない。

 そのお写真が、全火星、全地球に配信されてから奥女中御年寄(御年寄と言ってもお婆さんじゃない、役職がそういう名前)が気づいて、ちょっと問題になった。

 一時は「撮り直し!」とか「担当女中を処分しろ!」とかの声が内外で起こった。

「いいよいいよ。僕の不注意だし、あのスリッパは気に入ってたし。一人ぐらい、こんな将軍がいてもいいでしょ」

 と、笑って済ませられ、その後も、上さまは、この黒スリッパを奥で使われている。

 この話が評判になると、それまでスリーパーと通称されていた扶桑の月面管理地はスリッパと親しみを籠めて呼ばれるようになった。

 

 そして、月面宙返りのポップな曲を聴きながら向かっているのが、ゴールデン街で一番古い居酒屋のスリッパ。

 もともとは、そのまんま3PAだったけど、道隆さまのエピソード以来『スリーピーエー』とは読まれずにスリッパと呼ばれている。

 慣れるまでに五回まよった路地を拾ってスリッパの見える通りに出てきた。

 ちょっと、店の中で言い争っている。



「ちょいと、うちはスリッパに履き替えてもらうのが決まりなんですよ。靴箱はそこですから、どうかお履き替えになって、ご入店くださいまし」

「ふん、なんで扶桑人でもない俺たちが扶桑のしきたりに倣わなきゃなんねえんだ!」

「そうだ、バカ将軍の言い訳が、ちょっとウケたからって、下衆な真似して、みっともねえじゃんよ」

「うちはね、四代さまのころから店出してるんですよ。そのころからご入店の際は下足を履き替えてもらうことにしてるで、よろしく願いますよ」

「俺たちゃ、人手不足のスリッパに来て生産性をあげてやってるんだ、四の五の言うんじゃねえ!」

「それなら、このゴールデン街には、他にもお店はございますから、どうぞ、そちらの方へ」

「んだとぉ、客を締め出そうってか!?」

「入店拒否たあ、言い度胸してんなあ」

「……………(-_-;)」



 だめだ、女将さんキレる!



「ねえ、ちょっと、あんたたち」

「あん?」

「なんだぁ?」

「女の出る幕じゃねえ!」

「あたし、ここの客で、医者なの。女将さんがお客に履き替えさせるのはバイ菌持ち込ませないためなのよ。月面は無菌だけど、人間が生活してるところには地球並みの雑菌がいっぱいいるんだからね」

 理屈が通る相手じゃないとは分かってるけど、いちおう筋道は通しておく。

「ああん……おまえ、俺たちのことを雑菌だっていうのかあ!」

「はいはい、じゃあ、表に出なさい」

「未来ちゃん、相手にしちゃダメよ!」

「大丈夫よ女将さん、わたしも火星育ち、ちゃんと相手を見て喋ってる。いちおう警務には連絡しといて」

「フン、警務が来る前にはぶっ倒して売り飛ばし……グホ( ゚Д゚)!」

「やると決めてから、能書き垂れてんじゃないわよっ!」

 ドゲシ!

「このあまぁ!」

「しつこい!」

「いっ、イデデデ」

「火星の医者はね、みんな一度はこういうとこで働くから、一応のスキルは持ってんのよ!」

 半分はウソ、もともと並みのちょっと上くらいにケンカはできる。ダッシュほどじゃないけど。

 ドス!

「ゲボ!」

「あんたは、関節外しとこう……ねっ!」

 グギ

「ウオオ!」

「こっちは、もう一発!」

 ドゴ!

「こっちもっ!」

 セイ!

 ……と、次にぶん回したキックは空中で停まってしまう。

 いや、だれかに掴まれてる!

「こういうじゃじゃ馬は、俺の好みだ……」

 しまった、もう一人いたんだ! ゴリラみたいに大きい、それも腕が立つ!

「ほれ」

「ウワアア!!」

 
 天地が180度ひっくり返った……

 

☆彡この章の主な登場人物

大石 一 (おおいし いち)    扶桑第三高校二年、一をダッシュと呼ばれることが多い
穴山 彦 (あなやま ひこ)    扶桑第三高校二年、 扶桑政府若年寄穴山新右衛門の息子
緒方 未来(おがた みく)     扶桑第三高校二年、 一の幼なじみ、祖父は扶桑政府の老中を務めていた
平賀 照 (ひらが てる)     扶桑第三高校二年、 飛び級で高二になった十歳の天才少女
加藤 恵              天狗党のメンバー  緒方未来に擬態して、もとに戻らない
姉崎すみれ(あねざきすみれ)    扶桑第三高校の教師、四人の担任
扶桑 道隆             扶桑幕府将軍
本多 兵二(ほんだ へいじ)    将軍付小姓、彦と中学同窓
胡蝶                小姓頭
児玉元帥(児玉隆三)        地球に帰還してからは越萌マイ
孫 悟兵(孫大人)         児玉元帥の友人         
森ノ宮茂仁親王           心子内親王はシゲさんと呼ぶ
ヨイチ               児玉元帥の副官
マーク               ファルコンZ船長 他に乗員(コスモス・越萌メイ バルス ミナホ ポチ)
アルルカン             太陽系一の賞金首
氷室(氷室 睦仁)         西ノ島  氷室カンパニー社長(部下=シゲ、ハナ、ニッパチ、お岩、及川軍平)
村長(マヌエリト)         西ノ島 ナバホ村村長
主席(周 温雷)          西ノ島 フートンの代表者
及川 軍平             西之島市市長
須磨宮心子内親王(ココちゃん)   今上陛下の妹宮の娘
劉 宏               漢明国大統領 満漢戦争の英雄的指揮官
王 春華              漢明国大統領付き通訳兼秘書

 ※ 事項

扶桑政府     火星のアルカディア平原に作られた日本の植民地、独立後は扶桑政府、あるいは扶桑幕府と呼ばれる
カサギ      扶桑の辺境にあるアルルカンのアジトの一つ
グノーシス侵略  百年前に起こった正体不明の敵、グノーシスによる侵略
扶桑通信     修学旅行期間後、ヒコが始めたブログ通信
西ノ島      硫黄島近くの火山島 パルス鉱石の産地
パルス鉱     23世紀の主要エネルギー源(パルス パルスラ パルスガ パルスギ)
氷室神社     シゲがカンパニーの南端に作った神社 御祭神=秋宮空子内親王
ピタゴラス    月のピタゴラスクレーターにある扶桑幕府の領地

 
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