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010『修学旅行・10・在日扶桑大使館』

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銀河太平記

010『修学旅行・10・在日扶桑大使館』   

 

 
 パスポートの台紙は、こうぞ・みつまた・がんぴという伝統的和紙の原料で出来ている。

 
 その三種類の繊維が複雑に絡み合っているさまは、あたかも人間の血管のようで、一つとして同じものはない。

「うわあ、だから偽造が難しいんだあ!」

 ミクがグループを代表するように歓声を上げた。

 大使館ビジタールームのコンソールには偽物と本物のパスポートの拡大ホログラムが映し出され、扶桑政府のセキュリテーの確かさを示している。

「情報はいくらでもコピーできますが、アナログデータの複製は難しいですからね。もし台紙の組成データをコピーしようと思ったら、パスポート一つに新築一軒分くらいのお金がかかります。それも、今みたいに光学検査されると、すぐに分かってしまいますからね。扶桑政府が、こんな二世紀も前の様式を踏襲しているのは、目に見える形で自分自身と国の繋がりを思っていただきたいからです」

「すみません、わたしの不注意で……」

 柔らかい表現をしてはいるが、言っている内容は手厳しい桔梗さん。

「そんなにしょげないで(^_^;)、せっかくの修学旅行だから、楽しく安全に過ごしてもらいたいという気持ちだけですから」

 そう言って、ポンと未来の膝を叩く。なんだか、保育所の先生を思い出す。

「パスポートを狙ったにょは、どんなわりゅい人たちなにょ?」

「分かりません、グラビテーションコントロールの最中はセキュリティーセンサーが効きません。本当ならセキュリテーシステムも確立してから使うべきテクノロジーなんでしょうねえ。イベントの僅かな時間だけという油断があったのだと思います」

「す、すみません」

「あ、責められるのは主催者や運営の方ですよ。修学旅行の最中に、あんな面白いイベントに出くわしたら、誰でも飛び込んでみたくなります。そういう好奇心は、わたしも好きですよ」

「ぼくたち、まだ修学旅行の初日なんですけど、帝都で気を付けておくようなことはありますか?」

 ヒコが身を乗り出す。

「そうねえ……御在位二十五年の祝賀行事で、ちょっと浮き立ってるから……あんまり冒険はしないようにね。それから……目の前のどら焼きは焼き立てだから、冷めないうちに召し上がれ」

「あ、いただきます!」

 大使館では『東京文化を学ぶ』という在日扶桑人のためのカルチャースクールをやっていて、ちょうど焼き上がったばかりのどら焼きをいただいたところなんだが、パスポートの事でいっぱいだった俺たちは手を付けないままだったのだ。

「お、おいしい!」

「うん、焼き立てということもあるんだろうけど、火星とは生地が違うような気がする」

「しょえは、地球と火星の重力さだと思うのよさ」

「え、重力でどら焼きの味が変わるのか?」

「かわよと思う、地球でも日本と南極じゃたこ焼きの味が違うって『南極ストーリー』に出てたわよさ」

「読んだんですかあ、あのタローとジローの話なんかよかったですよねえ(^▽^)」

 桔梗さんも食べながらのお喋りが好きなようだ。

「でも、御在位二十五年で祝賀行事というのは、ちょっと半端な気がしません? 扶桑じゃ、将軍の在位記念は十年と二十年でやりましたけど」

 パスポートが返ってきて、どら焼きでホッコリしたのか、ミクが賢そうな質問をする。

「うん……これは、日本の学者や知識人が言っていることなんだけど、今上陛下は女帝でしょ」

「歴代天皇の中でも、もっとも美しいお方だと、扶桑でも評判です」

 ヒコは若年寄の息子なので、こういう時の反応にそつがない。

「正しく言うと、史上初めての女系天皇でいらっしゃる。世の中の情勢が怪しくなってくると、女系天皇で皇統を乱してしまったことが災いしているという人たちもいる……そういう空気を一新したいっていう日本政府の意向が働いているって」

「ああ、やはり……」

 それ以上ははばかられるという感じでヒコは二つ目のどら焼きに手を伸ばした。

「そうだ、明日は靖国神社の例大祭。陛下が玉ぐしを奉納された後、パレードとかのイベントがあるから見て行かない? 今年は児玉元帥も陛下に供奉してお顔を見せられるとかいう噂よ」

「え、児玉元帥が!?」

 明日の予定が変わった。

 そのあと、桔梗さんに車を出してもらってアキバの交番に向かった。

 拾ってくれたのは、イベントの女性スタッフで、話好きな人なのでお巡りさんも交え、短い時間だったけど楽しく過ごせた。やっぱり、日本だ、いい人が多い。


 

 

 ※ この章の主な登場人物

大石 一 (おおいし いち)    扶桑第三高校二年、一をダッシュと呼ばれることが多い

穴山 彦 (あなやま ひこ)    扶桑第三高校二年、 扶桑政府若年寄穴山新右衛門の息子

緒方 未来(おがた みく)     扶桑第三高校二年、 一の幼なじみ、祖父は扶桑政府の老中を務めていた

平賀 照 (ひらが てる)     扶桑第三高校二年、 飛び級で高二になった十歳の天才少女

 ※ 事項

扶桑政府   火星のアルカディア平原に作られた日本の植民地、独立後は扶桑政府、あるいは扶桑幕府と呼ばれる
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