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36『最初の任務・駐米日本大使館・2』
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真夏ダイアリー
36『最初の任務・駐米日本大使館・2』
野村大使が、ゆっくりと顔を上げた。
「冬野真夏さんだね。ま、そちらにおかけなさい」
大使は、中央のソファーを示し、自分も執務机から腰を移した。
太ぶちの丸メガネがよく似合うロマンスグレーのおじさんだ。退役海軍大将で、元学習院長、海外勤務も長いはずなのに、関西訛りが抜けないところなどは、田舎の校長先生という感じで好感が持てる。大使は、しばらく、わたしの辞令と履歴書を読んだ。
「なにか、不都合なところでも……」
「いや、すまん。ここのところ偉い人ばかり相手にしているもんでね。つい、くつろいでしまう……しかし事務官とは、うまく考えた役職名だ。どんな仕事をやってもらっても、不思議じゃないようになっている。東郷さんも気を利かしたものだ」
「正規の外交官じゃありませんけど、頭の小回りがいいようです」
「はは、なんだか人ごとみたいに言うね」
「いらない神経が発達していて、しゃべり出したら止まりません。ついさっきも、お巡りさんとケンカしかけて……」
「嫌な目には遭わなかったかい?」
「いいえ、最終的には、お友だちになれました」
「それは、なによりだ。近頃は日本人というだけで、不審尋問を受けて、警察にひっぱられることが珍しくないからね」
「まず、相手のコンプレックスをついて、怒らせるんです。人間怒ると、いろいろ隠していることが見えてきます。で、そのコンプレックスに寄り添うようにすれば、仲良くなれます。緊張と緩和です」
「はは、並の外交官より、人あしらいが上手いようだね」
「でも、実際はなんにも考えていません。その時、頭に浮かんだことを口走っているだけです。後付で説明したら、まあ、こんな感じかなあというところです」
「そのお巡りさんとは?」
「最初は横柄だったんです。すごく日本人に偏見持っているようで」
「で、コンプレックスはすぐに見つかったのかい?」
「言葉の訛りと雰囲気から、ポーランドの血が混ざっているなって感じました」
「で、お巡りさんに言ってしまったのかい?」
「ええ、あなたポーランドのクォーターでしょって」
「それで、どう寄り添ったんだね?」
「わたしのお婆ちゃんもポーランド人なんです」
「ほう……」
「つまらないことで、コンプレックス持ってるようなんで、ハッパかけてやりました」
「お説教でもしたのかな?」
「いいえ、自分もクォーターだって言って、笑顔で握手しただけです。大の大人が、つまらないことでコンプレックス持って、弱い日本人を見下しているのにむかついただけです」
「はは、おちゃっぴーだな、真夏さんは」
「ええ、そのお巡りさんにも、そう言われました」
「なかなかな、お嬢さんだ」
そのとき、ドアを開けて八の字眉毛のおじさんが、入ってきた。インストールされた情報から来栖特命大使だということが分かった。
「お。来栖さん」
「ノックはしたんですが、お気づきになられないようなので、失礼しました」
一見お人好しに見える来栖大使が緊張して、言った。
「君、悪いが席を外してくれたまえ。野村大使と話があるんだ」
「男同士の飲み会だったら、ご遠慮しますが、外務省からの機密訓電だったら同席します」
「君は……?」
「東郷さんから、この件については彼女を同席させるように……ほら、これだよ」
野村大使は、わたしに関する書類を来栖さんに見せた。
「しかし、こんな若い女性を……それに君はポーランドの血が……」
「四分の一。来栖さんの息子さんは、ハーフだけど陸軍の将校でいらっしゃいます。一つ教えていただけませんか。外交官の資質って、どんなことですか?」
「明るく誠実な嘘つき」
「明るさ以外は自信ないなあ。三つを一まとめにしたら、なんになりますか?」
「インスピレーション……かな、来栖さん」
「よかった、経験だって言われなくて。わたしは外交官じゃないけど、今度の日米交渉には、くれぐれも役に立つように言われてるんです、東郷外務大臣から」
「と、言うわけさ。来栖さん」
「では、申し上げます……」
「その前に、黙想しませんか。国家の一大事を話すんですから……」
そう言いながら、わたしは、メモを書いた。
――大使館は盗聴されています、筆談でやりましょう。
――了解。
――日本からの最終訓電の翻訳は正規の大使館員に限られます。
――ほんとうかね?
――そのために、私がきました。& 最終訓電は米政府への最後通牒。国務省への伝達は時間厳守。
「「おお……」」
事の重大性は分かってもらえたようだ。
――日本の外交暗号は米側に解読されています。
二人の大使は、顔を見交わした。
そして、野村大使はメモをまとめて暖炉で燃やした。メモは煙となり、たちまちワシントンの冬空に溶け込んでしまった……。
36『最初の任務・駐米日本大使館・2』
野村大使が、ゆっくりと顔を上げた。
「冬野真夏さんだね。ま、そちらにおかけなさい」
大使は、中央のソファーを示し、自分も執務机から腰を移した。
太ぶちの丸メガネがよく似合うロマンスグレーのおじさんだ。退役海軍大将で、元学習院長、海外勤務も長いはずなのに、関西訛りが抜けないところなどは、田舎の校長先生という感じで好感が持てる。大使は、しばらく、わたしの辞令と履歴書を読んだ。
「なにか、不都合なところでも……」
「いや、すまん。ここのところ偉い人ばかり相手にしているもんでね。つい、くつろいでしまう……しかし事務官とは、うまく考えた役職名だ。どんな仕事をやってもらっても、不思議じゃないようになっている。東郷さんも気を利かしたものだ」
「正規の外交官じゃありませんけど、頭の小回りがいいようです」
「はは、なんだか人ごとみたいに言うね」
「いらない神経が発達していて、しゃべり出したら止まりません。ついさっきも、お巡りさんとケンカしかけて……」
「嫌な目には遭わなかったかい?」
「いいえ、最終的には、お友だちになれました」
「それは、なによりだ。近頃は日本人というだけで、不審尋問を受けて、警察にひっぱられることが珍しくないからね」
「まず、相手のコンプレックスをついて、怒らせるんです。人間怒ると、いろいろ隠していることが見えてきます。で、そのコンプレックスに寄り添うようにすれば、仲良くなれます。緊張と緩和です」
「はは、並の外交官より、人あしらいが上手いようだね」
「でも、実際はなんにも考えていません。その時、頭に浮かんだことを口走っているだけです。後付で説明したら、まあ、こんな感じかなあというところです」
「そのお巡りさんとは?」
「最初は横柄だったんです。すごく日本人に偏見持っているようで」
「で、コンプレックスはすぐに見つかったのかい?」
「言葉の訛りと雰囲気から、ポーランドの血が混ざっているなって感じました」
「で、お巡りさんに言ってしまったのかい?」
「ええ、あなたポーランドのクォーターでしょって」
「それで、どう寄り添ったんだね?」
「わたしのお婆ちゃんもポーランド人なんです」
「ほう……」
「つまらないことで、コンプレックス持ってるようなんで、ハッパかけてやりました」
「お説教でもしたのかな?」
「いいえ、自分もクォーターだって言って、笑顔で握手しただけです。大の大人が、つまらないことでコンプレックス持って、弱い日本人を見下しているのにむかついただけです」
「はは、おちゃっぴーだな、真夏さんは」
「ええ、そのお巡りさんにも、そう言われました」
「なかなかな、お嬢さんだ」
そのとき、ドアを開けて八の字眉毛のおじさんが、入ってきた。インストールされた情報から来栖特命大使だということが分かった。
「お。来栖さん」
「ノックはしたんですが、お気づきになられないようなので、失礼しました」
一見お人好しに見える来栖大使が緊張して、言った。
「君、悪いが席を外してくれたまえ。野村大使と話があるんだ」
「男同士の飲み会だったら、ご遠慮しますが、外務省からの機密訓電だったら同席します」
「君は……?」
「東郷さんから、この件については彼女を同席させるように……ほら、これだよ」
野村大使は、わたしに関する書類を来栖さんに見せた。
「しかし、こんな若い女性を……それに君はポーランドの血が……」
「四分の一。来栖さんの息子さんは、ハーフだけど陸軍の将校でいらっしゃいます。一つ教えていただけませんか。外交官の資質って、どんなことですか?」
「明るく誠実な嘘つき」
「明るさ以外は自信ないなあ。三つを一まとめにしたら、なんになりますか?」
「インスピレーション……かな、来栖さん」
「よかった、経験だって言われなくて。わたしは外交官じゃないけど、今度の日米交渉には、くれぐれも役に立つように言われてるんです、東郷外務大臣から」
「と、言うわけさ。来栖さん」
「では、申し上げます……」
「その前に、黙想しませんか。国家の一大事を話すんですから……」
そう言いながら、わたしは、メモを書いた。
――大使館は盗聴されています、筆談でやりましょう。
――了解。
――日本からの最終訓電の翻訳は正規の大使館員に限られます。
――ほんとうかね?
――そのために、私がきました。& 最終訓電は米政府への最後通牒。国務省への伝達は時間厳守。
「「おお……」」
事の重大性は分かってもらえたようだ。
――日本の外交暗号は米側に解読されています。
二人の大使は、顔を見交わした。
そして、野村大使はメモをまとめて暖炉で燃やした。メモは煙となり、たちまちワシントンの冬空に溶け込んでしまった……。
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