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9『真夏の災難』

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真夏ダイアリー

9『真夏の災難』    



「小野寺潤さんじゃ、ないですか……?」

 昨日の事件は、この一言が始まりだった。

「え……いや、わたしは……」

 あとの言葉が出てこない。女子高生の一団は、なんか、ものすごく熱い眼差しになっちゃうし、芸能雑誌コーナーの近くに居た人たちの多くがわたしのことを見始めた。

「サインしてください。あたし、さっきの間に合わなかったから!」

「ねえ、潤ちゃん!」

 小野寺潤さんから、潤ちゃんに、彼女たちは一気に距離をつめてきた。うしろからも何人かが寄ってくる。

『バイオハザード』だったら絶体絶命。とにかく、わたしは、そのゾンビの集団から逃げ出した。

「だからあ、わたしは、そのジュンちゃんとかじゃなくて、冬野真夏なんです!」

「キャー!」

 名前を言っても効果は無かった。なんだか火に油を注いだようになって、ティーンの子たちに、いや、二十代のオニイサンとおぼしき人たちまで追いかけてくる。

「だから、冬の真夏だって!!」

「キャー、ほんもの、ほんもの!」

 わたしは、パニクって、レジ横のスタッフオンリーのドアに直進した。チラッと、玉男と省吾がポカンと口を開けて見ているのが見えた。しかし、わたしは直後、そのドアからした声に引かれていった。

「こっち、こっち!」

「わたし、冬野真夏……」

「分かってるから、こっち!」

 そのオニイサンは、グレーのタートルネックに、黒のブルゾンという出で立ちだったけど。ゾンビに追いかけられたヒロインが、あやうくイケメンのレスキューに会ったみたいに、そのドアの中に向かった。

「バックヤードの向こうに車回してあるから、直ぐに乗って!」

「わたし、冬野真夏……」

「ああ、まだまだ続くぞ。さあ、出してくれ!」

 ワゴンに押し込まれると、そのレスキューさんも助手席に乗ってきて、ワゴンは急発進した。

「あの、冬野真夏……」

「たいへんだぞ、これから『ふゆのまなつ』は」

「もう、十分大変なんですけど」

「そのために、オレがいるんだ。頼む十分だけ寝かせてくれよ」

 それだけ言うとレスキューさんは、スイッチを切ったみたいに寝はじめた。

「着きました」

 運ちゃんの声でレスキューさんは、パチッと目を覚まし、まだ完全に止まりきっていないワゴンの助手席のドアを開け、止まると同時に後部座席のドアを開けて、わたしを引きずり出して、ビルに。

 ビルの入り口には、レスキューさんと同じ姿のオネエサンがドアを開けて待っている。

「さ、早く!」

 引きずり込まれる瞬間に、ビルの看板が目に入った。

――HIKARI PRODUCTION――

 芸能面にはウトイわたしでも知っているプロダクションの名前が、メタリックな光沢で光っていた。

「すぐにプロモ用のスチール撮影だから、五分で着替えて。保多ちゃーん。潤のメイクお願い」

「あの、わたし」

「自分でメイクしてちゃ間に合わないの。我慢して」

「だから、冬野真夏……」

「そうよ、みんなそれに向かって突撃してんだから!」

 なんか殺気だっていて、わたしは飲み込まれてしまった。リハーサル室と書かれた部屋にぶちこまれると、タマゲタ。わたしでも知っているAKR47のメンバーが、振りやら立ち位置の確認の真っ最中。

「潤、ごくろうさま。でも押してるから、早くしてね」

 リーダーの大石クララが、振りの確認をしながら早口で言った。AKBに迫る勢いを見せているAKR47のリーダーぐらいは、わたしでも知っている。
 あっと言う間に、リハーサル室の端っこのカーテンで囲われたコーナーで、着せ替え人形になりかけたとき、入り口で声がした。

「え……潤!?」

 その声に反応して、メイク兼コーディネーターの保多というオネエサンが、カーテンを開けて、自分の口もアングリと開けた。

「ひどいよ吉岡さん。わたし置いて行っちゃうなんて」

 わたしと、同じようなパーカーブルゾンを着た子が立っていた。

「……潤が二人も居る」

 誤解はすぐに解けたけど、わたしはタマゲっぱなし。

 HIKARIプロの会長が、自伝的エッセーを出した。それが『冬の真夏』ってタイトルで、それに合わせて、AKRが同じタイトルの新曲をリリース。
 で、会長は表に出ずに新曲でセンターになった新人の小野寺潤て子が、ジュンプ堂のサイン会に回された。
 新人といっても、ファンの中では、もう有名で、オシヘンする人も多いとか。この秋にリリースされた『コスモストルネード』から選抜メンバーに入っている。わたしも曲は知っていたけど、十四人もいる選抜メンバーの新人の子までは覚えていない。

 で、問題は、この小野寺潤が、フェミニンボブにしたわたしとソックリだってこと。

 それまでの、爆発セミロングじゃ、誰にも分からないけど……そこまで思い浮かべて気が付いた。

 ハナミズキの大谷チーフが感動して写真を撮ったのが分かった。大谷チーフは、最初から小野寺潤を意識して、わたしのヘアースタイルを決めたんだ。

 AKR47のメンバーは、忙しい中なんだけど、面白がって、わたしと潤を真ん中にして写真を撮って、サインまでしてくれた。

 わたしが女子高生で、試験中だと分かると「がんばってね」と言って直ぐに解放してくれた。潤のパーカーブルゾンは、色がビミョーに違うだけの同じものだった。潤は間違われちゃいけないって、愛用のダテメガネと帽子をくれた。
 帰り際には会長の光ミツルさんが、吉岡ADを連れてきて謝ってくださった。AKRの会長さんが直々に頭を下げんので恐れ入っちゃった。そして、わたしは光会長の不思議な目の輝きを見た。でも、すぐに業務用の笑顔になっちゃったんで、忘れた……。

 玉男と省吾が心配してメールをくれていた。

――一言じゃ説明できないから、明日のオタノシミ♪――と返した。

 で、今日のテスト最終日は無事に終わり、三人野球をしながら、省吾と玉男に説明。二人ともびっくりしたり、驚いたり。学校でも、なんだか評判になり、何人も写メっていったり握手をしたり。

 お母さんには、まだ話はできていなかった。夕べは仕事で遅くなり、話したのは、作り置きのオデンを食べながらの夕食の席。

「へえ、そんなことがあったんだ!?」

 お母さんは、面白がってくれたけど、一瞬目が鋭く光った。それは光ミツル会長の目の輝きに通じるものであると、その時気が付いた。

 その夜って、今だけど、わたしパソコンで小野寺潤を検索した……。

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