上 下
29 / 30

29『それぞれの秋・4』

しおりを挟む
秋物語り

29『それぞれの秋・4』        


 主な人物:水沢亜紀(サトコ:縮めてトコ=わたし) 杉井麗(シホ) 高階美花=呉美花(サキ)

 ※( )内は、大阪のガールズバーのころの源氏名



 水を一滴垂らすと、捻りまくったストローの袋が断末魔のように身もだえした。

 美花が言い出し、二人でジュースのストロ-の袋で遊んでいるところ。

「亜紀の方が苦しそうね……?」
「元気が良いって、言い方もある……」

 珍しく麗抜きで美花がわたしを呼び出した。バイトがあったんだけど「少し遅れます」と電話を入れてある。今日の話は長引きそうな予感がしたからだ。
 案の定、美花はノラリクラリで、本題に入らず、ストロ-の袋遊びになってしまった。

「ね……小さな声で、あたしの本名言ってくれる?」

 ストローの袋が身動きしなくなって、美花が言った。

「え……?」

 本名は知っているけど、口に出して言ったことはない。学校がおせっかいに本名宣言を勧めたときも、美花のことは通名で通してきた。それが、わたしたちには自然だったから。二年生になって学校でも通名に戻しちゃったんで、余計に本名で言うことなど無かった。

「ね、早く言ってみて」
「呉美花(オ ミファ)」
 小さいけど、真剣に言ってやった。
「もっかい、普通にね。亜紀硬すぎる」
 美花は目をつぶった。
「……オ ミファ」
「フフフ……」
「なによ、そっちが言わせて笑うことはないでしょ!」
「ごめんごめん。やっぱ変だ」
「わたしが?」
「ううん、美花が。人に言われたらどうかなって実験」
「で、国に戻って、どんな感じだったのよさ?」
「う~ん……こんな感じ」

 美花は、氷が半分溶けたジュースのグラスをストローでかき回した。ジュースは飲みきっていたので、透明な水に氷がクルクル回っているだけだ。

「親類のおじさんはね、溶けた氷は、また凍らせばいいって言うの。でも、あたしって、もう四世でしょ。凍らせても、元の氷とは成分が違う。冷凍食品にも書いてあるでしょ『一度解凍したものを氷らせないでください』って」
「美花、ずいぶん大人びた話ができるようになったのね」
「一過性の突然変異」
「アハハ」
「けっきょく、あたしって水なんだ……ってことが、亜紀と向かい合ってるとよく分かる」
「どーいう意味?」
「亜紀とか麗と同じ器に入ってると楽なんだ」
「え……?」
「水だから、どんな器にでも収まっちゃうけど、水としては好みの器もあるんだって分かった」

 美花は、ちょっと吹っ切れた顔になった。

「お家の方とかは?」
「なんにも言わないよ。心の中までは分かんないけどね」
「立ち入ったこと聞くけど、なんで韓国に行ってみようって思ったわけ?」
「説明むつかしい……強いて言えば……ひい婆ちゃんかな」
「ひい婆ちゃん、なにか言ったの?」
「ううん。うちの家族で韓国での生活経験あるの、ひい婆ちゃんだけじゃん。で、ひい婆ちゃんに久々に会いに行って……ひい婆ちゃんね、ボンヤリしたときの顔、あたしに似てんの。ハハ、どこから見ても普通の年寄りなんだけどね。ま、それがキッカケっちゃ、キッカケかな?」
「やっぱ、美花の話は、よう分からんわ」
「だろうね、自分でも分かんないもん。でも、亜紀にしゃべったら、すっきりした。こんな話、麗はめんどがるからね」
「美花らしいわ……」
「やっぱ、分かってないのが、あたしらしいのよ。ごめん、バイト前に時間とらせて」
「ううん、いいよ」

 美花もこれからバイトだ。二人で喫茶店を出た。

「あ、忘れてた。帰りの飛行機で、吉岡さんといっしょだった!」
「え……!?」
「ごめん、自分のことばっかで、また詳しく話すわ」

 そそくさと、美花は横断歩道を渡った。
 
 最後に一番気になる言葉を残しやがって……。
しおりを挟む

処理中です...