龍の軛

今野 真芽

文字の大きさ
上 下
6 / 11

宴の土産

しおりを挟む
 虹音の鱗は、現れたり引いたりするようになってきた。良い兆候なのか分からず書物を調べたが、变化が安定するまではそういうものらしい。
 背の羽根の方はだいぶしっかりしてきて、部屋の天井くらいまでなら飛べるようになった。羽根の根元がむず痒いらしく、露草に撫でられるのを好んだ。飛べるようになった虹音が今度は天井の燭台まで壊すのではないかと白月は戦々恐々とし、しつこいくらいに露草に頼んでは、とうとう露草に嫌な顔を──布をかずいていて表情は見えないまでも、その歪んだ唇から分かる──された。
 そうした中、『龍の宴』に行く日も近くなる。白月は書物で『龍の宴』について調べ、集まる龍たちが種々の手土産を持ち寄るのだとの記載に青くなった。何も用意していない。
 どうしたものかと、露草に相談したら、いつも有能な露草は、
「宴と言うからには酒が必要でしょうし、龍には人間の砂糖菓子など珍しいのではないでしょうか」
 と助言をくれた。
 そこで白月は、人間の街に買い出しに行くことにした。楠達が見つかれば一番良かったのだが、先日ここに立ち寄ったばかりで、今は遠くの国に行っているはずだと、露草は言う。
「隊商が懇意にしていた商店は存じております、そこなら阿漕な商売はしないはずかと」
 そこで露草に道案内をしてもらうこととし、そうしたら虹音と紫蛇だけ屋敷に残せない。結局、街には皆で行くこととした。
 街の近くまでは、皆を白月の背に乗せて飛び、そこから少し歩いて、貸馬車屋で御者付きの馬車を借り上げて乗る。やがて、街の賑わいが近づいてきた。
 白月はお尋ね者、虹音は時折現れる鱗を隠す必要があり、頭から布を巻いて顔を隠した。露草は元々、布で顔を隠している。だが、日差しの強い砂漠では、顔を隠すことを慣習としている一族も多く、一行はさほど目立たなかった。
 紫蛇は物珍しげに、大通りに並ぶ屋台の数々と、そこで賑やかな掛け声とともに立ち働く人々の姿を見回していた。
「俺のいた村にも、時々市が立ちましたが、ずっと賑やかです」
「虹蛇王国でも、一、二を争うくらい大きな市場だかね」
 白月が答えれば、近くの屋台の男がそれを聞きとがめたらしく、
「嫌だねぇ、お嬢ちゃん。虹蛇の国で一番、いや、世界一と言ってくれなきゃ。ほら、食いな」
 と焼いた烏賊の足の切れ端を楊枝に刺して寄越してくれた。虹音がそれを食べて、きゃっきゃと喜ぶ。
 結局屋台で烏賊の串焼きを人数分買って、食べながら歩けば、露草の案内で件の商店にたどり着いた。
 店員達は露草の姿を見覚えており、白月が楠の知人で露草の現在の雇い主と聞くと、丁寧に頭を下げ、珍しい酒や砂糖菓子をいくつも並べてくれ、試させてくれた。虹音は砂糖菓子にご満悦で、もっと食べたいと言うので、小さい玻璃の瓶に入ったものを一つ買ってやる。露草は優しくも厳しく、
「少しずつ食べるのですよ」
 と虹音に言い聞かせ、虹音は素直に頷いて、白月は求められるがまま買い与えた考えなしの自分に少しばかり恥じ入った。
 紫蛇と虹音は子どもで、露草は酒に弱いというので、酒の試飲は白月だけがした。正直、成人にはまだ遠く、酒を飲むのは初めてだが、今は龍の身だ。固いことはいいだろう。
 小さな盃に一口分ずつ入れられた酒を、次々飲み干していく。ほとんどは違いがよく分からなかったが、一つの酒を口に含んだ時、その馥郁とした香りと、深みのある甘みに目を見開いた。そんな白月に、店員が笑みを浮かべる。
「お目が高い。その酒は、随分珍しいもので、とある奥地にある虹色の水から作られているのです」
「虹、虹、虹音の虹!」
 と虹音が喜ぶ。その酒に決め、砂糖菓子も、虹音が一番美味しいというものに決めると、虹音は喜んではしゃいだ。
「妹さんを可愛がっておられるのですな」
 と言われ、白月は苦笑するしかなかった。酒樽と砂糖菓子の山は、屈強な店員達が、街の外れに止めた貸し馬車まで運んでくれた。馬車が荷物でいっぱいになり、いざ出発しようとした時、白月はくらりと頭がくらむのを感じた。足元がふらつく。顔がぽーっと赤くなった。
「白月様……酔われたのですね」
 そうか、これが酒に酔うという感覚なのか、と自覚はするが、自覚したところでどうしようもない。馬車の傍らに、ぺたりと座り込んでしまう。
「酔われた状態で馬車に乗るのはよくありません。虹音様を連れて飲み物を買ってまいりますので、紫蛇様はここで白月様についていてくださいまし」
 紫蛇が頷いて、露草と虹音は街の方へ戻っていく。
 大丈夫かと声をかけてくれる紫蛇には悪いが、気遣う声も今は煩わしく、軽く手を振って、黙ってくれと伝え、膝を抱えて座り込み、うなだれる。紫蛇は黙ってくれたが、そこにさらに煩い声がかけられた。
「おい、そこの女! 大丈夫か! 具合でもわるいのか!」
 その声量だけでも頭がガンガンするというのに、さらに悪いことには、聞き覚えのある声だった。白月が上目でその男を睨めば、彼も白月に気づいたようだ。
 焔だった。
 焔は白月を認め、明らかに動揺して立ち尽くす。
「おまえ……具合が、その……」
「酔っているだけだ。今は斬りかかってくるなよ」
「今なら、俺に倒されるほど弱っているのか」
「いや、手加減が効かず、殺してしまうだろう」
 淡々と言った白月に、焔はしばし沈黙したが、やがてため息をつき、白月の隣に腰を下ろした。紫蛇が白月を守るように、白月と焔の間に陣取り、焔を睨む。
「少年、そう睨むな。──そうだな。確かに、お前が本気なら、とうに俺は殺されていただろう。それで気づいてもよかったんだ。おまえは誰も殺していないということに」
 あんな馬鹿馬鹿しい詮議だったのだ。もっと早く気づいても良かったと思うが、今はそう言ってやる余裕がない。
「ほら、水だ。飲めば少しは楽になろう」
 と差し出された水袋をひったくり、遠慮なく、少しぬるい水をぐびぐびと喉に流し込む。毒を盛られる心配はしなかった。この男がそんな手段を使うとは思えなかった。
「悪かった。白月。あれから、母を問い詰めたんだ。元々おまえの美貌を妬んでいたところに利益をちらつかされ、言われるがまま偽証をしたそうだ。──当家の不名誉だ。俺は今、おまえの無実を証明するために動いている。おまえが王国に戻れるように」
 白月は思わず、一瞬自分の不調を忘れた。
「──はぁ!? 何を勝手なことを」
 誰がそんなことを望んだ。白月は今の暮らしが──招かれざる客人達、特に虹音を除けばだが──気に入っていた。王国に戻ろうなどと考えたこともない。
 声を荒げた白月に、焔もまた、白月を睨む。
「仮にも貴族の姫が、あんな場所でひとり寂しく暮らしているのを放っておけるか」
「私は龍だ。人間と一緒にするな!」
「強がらなくても良い」
「強がっていない!」
 言い争いは平行線で、決着は着かないかに思われた。が、ずっと白月と焔の間に挟まり、存在を忘れられていた紫蛇が、声を上げる。
「あの!」
 その声に二人が沈黙したのを確認して、紫蛇は焔を見た。
「あの──あなたの気持ちは分かります。痛いほど。でも、あなたは、白月さんの気持ちを置き去りにしている。それじゃあ、彼女を殺人犯と思っていた今までと、何も変わらないのだと、俺は思います」
 訥々と話すその声には、だが、人の心を動かす真摯さがあった。焔は黙り、そして、立ち上がった。
「──とにかく、俺はおまえの無実を晴らす。それは当家、引いては我が王国の恥だからだ。それだけは、決して譲れん。俺はもう行く。ここに来たのは、騎士団の任務のためで、もう休憩時間も終わりだ──元気でな」
 歩き去っていく焔の背中を、白月はぼんやりと見送っていた。
 しばらくすると露草と虹音が果汁の入った瓶を片手に帰ってきた。酸味のあるそれを飲むと、気分が少し楽になり、四人は家路についたのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

君は妾の子だから、次男がちょうどいい

月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。

いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持

空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。 その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。 ※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。 ※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

【完結】ある公爵の後悔

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
王女に嵌められて冤罪をかけられた婚約者に会うため、公爵令息のチェーザレは北の修道院に向かう。 そこで知った真実とは・・・ 主人公はクズです。

10年間の結婚生活を忘れました ~ドーラとレクス~

緑谷めい
恋愛
 ドーラは金で買われたも同然の妻だった――  レクスとの結婚が決まった際「ドーラ、すまない。本当にすまない。不甲斐ない父を許せとは言わん。だが、我が家を助けると思ってゼーマン伯爵家に嫁いでくれ。頼む。この通りだ」と自分に頭を下げた実父の姿を見て、ドーラは自分の人生を諦めた。齢17歳にしてだ。 ※ 全10話完結予定

蔑ろにされた王妃と見限られた国王

奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています 国王陛下には愛する女性がいた。 彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。 私は、そんな陛下と結婚した。 国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。 でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。 そしてもう一つ。 私も陛下も知らないことがあった。 彼女のことを。彼女の正体を。

どうも、死んだはずの悪役令嬢です。

西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。 皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。 アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。 「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」 こっそり呟いた瞬間、 《願いを聞き届けてあげるよ!》 何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。 「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」 義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。 今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで… ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。 はたしてアシュレイは元に戻れるのか? 剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。 ざまあが書きたかった。それだけです。

処理中です...