『獣の王』

今野 真芽

文字の大きさ
上 下
9 / 13

第八章

しおりを挟む
 宮殿には地下牢があった。サリナはその地下牢の外から、牢の中で怯え、震えているアニスを見下ろしていた。アニスの足元には子兎がおり、慰めるように寄り添っている。子兎がそうしたいと望んだので、サリナも許したのだ。
「……『村に帰せ』とはどういうことか、教えてちょうだい」
 声だけは冷静にそう聞いたが、内面は、冷静どころではなかった。アニスは震えながらも、その美しい黒曜石の瞳でサリナをまっすぐに見つめた。その腹は一見平坦に見えるが、そこには赤子が宿っているのだと、アニスは言う。
「お願いします。決して森から出ることはしません。森の入り口で子どもを産み、村の人達に預けたら、すぐに戻ってきます」
 その哀願は美しさと相まって哀れをそそるものだったが、サリナは心動かされることはなかった。冷たい目で、サリナを見下ろす。
「それを私に信じろと? あなたが逃げたら、私は獣に堕ちるのに」
 アニスはぐっと言葉を詰まらせたが、やがて言葉を発した。
「私のお腹の子は、死んだ恋人の子です。私を守ろうとして、『闇の森』の獣達に殺されました」
 目線で続きを促すと、アニスは話を続けた。
「妊娠が分かったのは、またあなたが来る前。ここに連れて来られてからです。『獣の王』は愛を持たぬ存在。子どもが生まれたら、きっと殺されてしまうと思いました。だから私は、あなたを誘惑しようと思いました。早い内にあなたと寝て、あなたとの子どもだということにしたら、子どもも生かしてもらえるだろうと。でも……」
「新たな『獣の王』としてやって来た私は女だった。──だから、私に気に入られようとしたの? ああ、それとも私の気を緩ませ、その隙に逃げようと?」
 アニスは目を見開き、大きな声を出した。
「違います! いいえ、確かに、子どもを生むときは森の端まで逃げるつもりでした。でも、あなたと過ごす時間は、本当に楽しかった、少しずつ私を癒やしてくれた、それは本当です! だから決して森から出はしません。そして必ず戻ってくる、信じて!」
 サリナはため息をついた。
「……『獣の王』の妻は、処女(おとめ)がなるものだと猿が言っていた。処女でないことを話したら、あなたは助かったのではないの?」
「言いました。でも、あの猿が──多少のことはいい、一番美しい女を寄越せと。村の皆は、契約違反だと怒りましたが、猿は聞きませんでした。古の契約により、人間は、剣と矢をもって獣に攻撃することが許されていない。──戦いは、一方的な殺戮でした」
 死んでしまった人達のことを思い出したのか、アニスは俯いた。その頬を一粒の雫が伝って、顎から滴り、牢の冷たい床に落ちた。
 サリナは、アニスから目を逸らした。アニスを森の端まで逃がすことの危険性はあまりに高かった。だがそれ以上に、秘密を持たれていたこと──そして、アニスがおそらくこっそり逃げようとしていたことは、サリナをひどく傷つけ、怒らせた。
 いつの間にか、アニスを自分の妻、自分に属する者と考えていた自身に気づく。
「とにかく、私に頭を冷やす時間をくれ。それまではここで──」
「あ──」
 アニスの上げた声に、サリナは振り返る。
 アニスは腹を押さえて身体を丸め、うずくまっていた。
「お腹、いた、産まれる──っ」
「アニス!?」
 サリナは思わず牢の格子を掴み、揺さぶる。鉄の格子がガチャンと音を立てた。
 アニスの足元に寄り添っていた子兎が、サリナに駆け寄って見上げた。
「『獣の王』よ。どうか、私の母を呼ばせてください。母は兎の姿をしておりますが、元々は産婆でした」
 サリナはとっさに牢の鍵を開けて子兎を外に出した。
「急いで!」

 牢では不衛生だろうと、アニスを抱きかかえてアニスの部屋まで運ぶ。本で読んだ知識に従い、とにかく火を起こし、湯を沸かしているうちに、元産婆の兎が宮殿にたどり着いた。その指示に従ってサリナは動く。アニスもまた、産婆の兎に励まされるまま、いきんで、呼吸を繰り返し、とうとう赤子を産み落としたのだった。その赤子は、随分な早産で生まれたにもかかわらず、元気な産声を上げた。男の子だった。

 アニスも赤子も眠ってしまい、疲れ切ったサリナは廊下に出て座り込んでしまう。その傍らに座る影があった。猿だ。
 猿は囁く。
「なんということでしょう。王を裏切る不貞の女。王妃にふさわしくありません」
「……おまえが、彼女の恋人を殺して、彼女を無理やり連れてきたのでしょう」
「処女でないのは存じておりましたが、まさか妊娠しているとは」
 猿は臆面もなく言った。
「──憎いのでしょう? あなたを騙していた彼女が。あなたから逃げようとしていた彼女が。殺してしまえばよろしいのです。あの赤子ともども、爪で身体を切り裂き、牙を突き立てて、その柔らかい身体を喰らえば、どれほど美味いことでしょうなぁ──ねぇ、『獣の王』よ」
 猿はニンマリと笑った。
「あなたが殺すのを禁じられているのは、獣だけで、人間ではないですよ」
 あの賊の血に酔った時のことを思い出す。
 あんな薄汚い男たちの血が、あれほどに芳しかったのだ。アニスの血は、果たしてどれだけ芳醇な香りを漂わせているだろうか──。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

木の実と少年

B.Branch
ファンタジー
木の実に転生した女の子と村の少年と愉快な仲間達のお話です。 《木の実の自己紹介》 黄金の実という万能で希少な木の実に転生。 魔力多めですが、所詮は木の実なので不自由なことだらけです。 いつか美味しいご飯を口から食べるのが夢です。 《少年の自己紹介》 父は村で自警団の隊長をしています。すごく格好いいので憧れです。 平凡に生きていたはずが、なぜか騒々しい面々と出会い平凡とは程遠くなってきました。 普通の日々を送るのが夢です。 ※楽しいお話を目指していますが、から滑り気味です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

東の国の狼憑き

納人拓也
ファンタジー
巨大交易都市エルクラット、その都市に住むミーシャは人々と違う存在――亜人専門医の下で医師になるための修行をしていた。しかし彼女を助けてくれた男――人狼の一斬がある日、若い女が食い殺されるという<人喰い>事件に巻き込まれ、容疑者となってしまう。 町の人狼達に疑いが掛かる中、調査をしていくミーシャと仲間達……一体犯人は誰なのか。恐怖する人々と、人々から脅威とされ<人喰い>と呼ばれる人狼達――これはある少女と仲間達の、覚悟と決意の物語。 2020年10月31日からリライト作業に入っております。 11月1日 リライト版のプロローグ公開 表紙画像は下記のフリー素材から利用規約に従い、お借りしております。 https://www.pixiv.net/artworks/64164780 (麻婆豆腐 様) ※小説家になろう・カクヨムでも連載中。pixivには一括投稿&サンプル掲載。 ※リアルの都合で週1更新に切り替えました。何時になるかは完全ランダムですが大体夜。作者の体調や展開の都合上で早くなったり遅くなったりしますのでズレたらすみません。 ※作者以外の引用・転載、自作発言、動画配信、翻訳しての配布は固く禁止させて頂きます。

【完結】少年王の帰還

ユリーカ
ファンタジー
 ——— 愛されるより恐れられよ。  王の崩御後、レオンハルトは六歳で王に祭り上げられる。傀儡の王になどなるものか!自分を侮った貴族達の権力を奪い、レオンハルトは王権を掌握する。  安定した政のための手駒が欲しい。黄金の少年王が目をつけた相手は若き「獣」だった。 「魔狼を愛する〜」「ハンターを愛する〜」「公爵閣下付き〜」の続編です。  本編でやっとメインキャラが全員参加となりました。  シリーズ4部完結の完結部です。今回は少年王レオンハルトです。  魔封の森に封じられた魔神とは?始祖王とは?魔狼とは?  最後の伏線回収です。ここまで何とかたどり着けて感無量です。  こちらも最後までお付き合いいただけると嬉しいです。  細かい設定はさらっと流してます。 ※ 四部構成。  一部序章、二部本編はファンタジー、三部は恋愛、四部は外伝・無自覚チートです。 ※ 全編完結済みです。 ※ 第二部の戦闘で流血があります。苦手な方はご注意ください。 ※ 本編で完結ですが、後日談「元帥になりたい!!!」ができてしまいました。なぜ?  こちらはまだ未完ですが、楽しいので随時更新でゆるゆるやりたいと思います。

とあるおっさんのVRMMO活動記

椎名ほわほわ
ファンタジー
VRMMORPGが普及した世界。 念のため申し上げますが戦闘も生産もあります。 戦闘は生々しい表現も含みます。 のんびりする時もあるし、えぐい戦闘もあります。 また一話一話が3000文字ぐらいの日記帳ぐらいの分量であり 一人の冒険者の一日の活動記録を覗く、ぐらいの感覚が お好みではない場合は読まれないほうがよろしいと思われます。 また、このお話の舞台となっているVRMMOはクリアする事や 無双する事が目的ではなく、冒険し生きていくもう1つの人生が テーマとなっているVRMMOですので、極端に戦闘続きという 事もございません。 また、転生物やデスゲームなどに変化することもございませんので、そのようなお話がお好みの方は読まれないほうが良いと思われます。

異世界でネットショッピングをして商いをしました。

ss
ファンタジー
異世界に飛ばされた主人公、アキラが使えたスキルは「ネットショッピング」だった。 それは、地球の物を買えるというスキルだった。アキラはこれを駆使して異世界で荒稼ぎする。 これはそんなアキラの爽快で時には苦難ありの異世界生活の一端である。(ハーレムはないよ) よければお気に入り、感想よろしくお願いしますm(_ _)m hotランキング23位(18日11時時点) 本当にありがとうございます 誤字指摘などありがとうございます!スキルの「作者の権限」で直していこうと思いますが、発動条件がたくさんあるので直すのに時間がかかりますので気長にお待ちください。

婚約破棄?一体何のお話ですか?

リヴァルナ
ファンタジー
なんだかざまぁ(?)系が書きたかったので書いてみました。 エルバルド学園卒業記念パーティー。 それも終わりに近付いた頃、ある事件が起こる… ※エブリスタさんでも投稿しています

処理中です...