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第一章
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サリナは、背筋を伸ばして机に向かい、本を読んでいた。それは最近頭角を表した経済学者が著した本で、なかなかに興味深い内容だった。まだ十四才のサリナがこれを読んで、しかも理解していると知ったら、著者も驚いただろう。だが、サリナにとってはなんということもなかった。
時々首をひねっては、机の上の帳面に、気になった部分を書き留めていく。
心弾む時間、というわけではない。サリナにとって、心弾むことなどめったになかった。だが、なかなかに満足のいく、有意義な時間ではあった。
が、ノックの音が、その時間の終わりを告げ、サリナはドアの外に聞こえないよう、小さく溜息をつくのだった。そちらに身体を向けて笑顔を作り、
「どうぞ、お入りなさい」
と言えば、まだ幼い少年がドアを開けて入ってくる。栗色の巻毛。あどけない大きな瞳に涙を浮かべている。いつ見ても可愛らしい容姿をした少年だ、とサリナは冷静に思う。
「義姉上」
少年はサリナに歩み寄り、その足に縋って膝に頭を載せる。サリナはほとんど義務的に、その巻毛を撫でてやった。
「義姉上、さっき、旅の人が話してたの。西のモリブ村の人達が、たくさん死んでしまったそうです。獣に襲われたんですって」
「そうなの……」
モリブ村といえば、良質な材木が取れるので有名な村だった。人を送って再建するにしても時間がかかるだろう。これから木材が高騰するかもしれない、今市場に出ている分だけでも、早めに確保しておくよう、両親に進言せねば、とサリナは考える。
膝の上の子どもは、ぽろりと涙をこぼした。
「死んでしまった人たちが、かわいそうです」
そう言われて、サリナはハッとする。
──そうか、ここは、悲しむべき場面なのか。
そう気づいて、サリナもできる限り悲しそうな顔をつくる。
「本当にね。生き残った人達のために、できる限りの援助をしましょう」
それでも自分の口から、『かわいそうね』とは口に出せなかった。思ってもいないことを口に出すのはいけないことだと、今は亡き祖父は言っていた。
サリナが生まれたのは、王族の血を引く貴族の家、パドレディン家だ。一族は誠実と利他の精神を家訓とし、たとえ自分が損をしても人のために尽くしてきた。
サリナも、幼い頃からその家訓を教えられ、そのたびに素直に頷いてきた。胸に残る違和感のことは、誰にも言ってはいけないのだと感じていた。
──サリナには、きっと、人の心が分からないのだ。
殴られたら嫌だろう、というのは分かる。罵倒されたら腹が立つだろう、というのも何となく分かる。それは自分に損害を与えられるということだからだ。だが損得を越えて、誰かを愛するとか、憐れむとか言う気持ちが、サリナには分からなかった。
ただ、世間一般で善行とされることを学び、それを行うことで、自分の冷たい心を周囲から隠してきたのだ。
今サリナの膝に縋るこの少年、ハルマを義弟としたのも、その一環だった。
「僕も、義姉上に助けてもらっていなかったら、きっと死んでいました」
事故で両親をなくし、孤児となったハルマは、サリナの遠縁に当たった。当時は、皮膚がただれる病にかかっていた。病が伝染ると言われ、誰からも引き取り手がなく、粗末な小屋に隔離されていた。
だが、サリナはその病が伝染るものではないこと、最新の医療を受けさせれば治ることを、本を読んで知っていた。だから、ハルマを引き取ることを両親に進言したのだ。だって、それが『善行』であるからだ。
以降、彼はサリナの義弟となり、サリナを姉として慕ってくれている。心優しく育った彼が、サリナにこうして人としてあるべき感情を示してくれるようになったことは、助かっている。
「さあ、もう泣かないで。モリブ村の人達への援助について、お父様とお母様と相談しましょう」
あと、材木の確保のことも。
サリナはハルマの手を取って立ち上がり、手をつないで両親のもとへ行く。
いつもは家族の団らんの場所になっている居間は、ピリピリした空気に包まれていた。両親は見たこともないほど険しい顔をしている。
「──モリブ村は、『闇の森』のすぐ隣だ。それが獣に襲われるなど、もう二十年もなかったのに」
「まさか、『獣の王』が──」
『闇の森』、『獣の王』。どちらも聞いたことがなくて、サリナは興味を持って耳を澄ませる。
だが、両親はサリナとハルマに気づくと、ハッとした顔で話をやめてしまった。
「サリナ、ハルマ。──大丈夫。心配することはないのだ」
安心させるように笑った父の顔は、まだこわばっていた。ハルマはそれに気づいた様子もなく、勢い込んで言った。
「義父上、義母上。生き残った人たちのためになにかしようと、義姉上とお話していたんです」
「おお、それはいい。さっそく、寄付と支援物資の用意をさせよう」
父はわずかに相好を崩して、ハルマの髪を撫でる。母もそれを優しい目で眺めている。
サリナは、今言いだして良いものやら分からなかったが、とにかく告げねばならぬと思い、口を開く。
「それと、父上。モリブ村産の材木は近々高騰するでしょう。市場で確保しておいた方がよいかと」
途端に父が顔を顰め、サリナは自分がまた誤ったことを知った。
「今、そんな話はやめろ。──それと、準備をしておきなさい。近々、王城から招集が来る。王家の血を引くもの、全員が集められるのだ」
サリナは礼儀正しく膝を折り、礼をした。ハルマは父の腕に抱きかかえられている。
自分がこうして、家族の中からはじき出されているような気分になるのは、初めてのことではなかった。
時々首をひねっては、机の上の帳面に、気になった部分を書き留めていく。
心弾む時間、というわけではない。サリナにとって、心弾むことなどめったになかった。だが、なかなかに満足のいく、有意義な時間ではあった。
が、ノックの音が、その時間の終わりを告げ、サリナはドアの外に聞こえないよう、小さく溜息をつくのだった。そちらに身体を向けて笑顔を作り、
「どうぞ、お入りなさい」
と言えば、まだ幼い少年がドアを開けて入ってくる。栗色の巻毛。あどけない大きな瞳に涙を浮かべている。いつ見ても可愛らしい容姿をした少年だ、とサリナは冷静に思う。
「義姉上」
少年はサリナに歩み寄り、その足に縋って膝に頭を載せる。サリナはほとんど義務的に、その巻毛を撫でてやった。
「義姉上、さっき、旅の人が話してたの。西のモリブ村の人達が、たくさん死んでしまったそうです。獣に襲われたんですって」
「そうなの……」
モリブ村といえば、良質な材木が取れるので有名な村だった。人を送って再建するにしても時間がかかるだろう。これから木材が高騰するかもしれない、今市場に出ている分だけでも、早めに確保しておくよう、両親に進言せねば、とサリナは考える。
膝の上の子どもは、ぽろりと涙をこぼした。
「死んでしまった人たちが、かわいそうです」
そう言われて、サリナはハッとする。
──そうか、ここは、悲しむべき場面なのか。
そう気づいて、サリナもできる限り悲しそうな顔をつくる。
「本当にね。生き残った人達のために、できる限りの援助をしましょう」
それでも自分の口から、『かわいそうね』とは口に出せなかった。思ってもいないことを口に出すのはいけないことだと、今は亡き祖父は言っていた。
サリナが生まれたのは、王族の血を引く貴族の家、パドレディン家だ。一族は誠実と利他の精神を家訓とし、たとえ自分が損をしても人のために尽くしてきた。
サリナも、幼い頃からその家訓を教えられ、そのたびに素直に頷いてきた。胸に残る違和感のことは、誰にも言ってはいけないのだと感じていた。
──サリナには、きっと、人の心が分からないのだ。
殴られたら嫌だろう、というのは分かる。罵倒されたら腹が立つだろう、というのも何となく分かる。それは自分に損害を与えられるということだからだ。だが損得を越えて、誰かを愛するとか、憐れむとか言う気持ちが、サリナには分からなかった。
ただ、世間一般で善行とされることを学び、それを行うことで、自分の冷たい心を周囲から隠してきたのだ。
今サリナの膝に縋るこの少年、ハルマを義弟としたのも、その一環だった。
「僕も、義姉上に助けてもらっていなかったら、きっと死んでいました」
事故で両親をなくし、孤児となったハルマは、サリナの遠縁に当たった。当時は、皮膚がただれる病にかかっていた。病が伝染ると言われ、誰からも引き取り手がなく、粗末な小屋に隔離されていた。
だが、サリナはその病が伝染るものではないこと、最新の医療を受けさせれば治ることを、本を読んで知っていた。だから、ハルマを引き取ることを両親に進言したのだ。だって、それが『善行』であるからだ。
以降、彼はサリナの義弟となり、サリナを姉として慕ってくれている。心優しく育った彼が、サリナにこうして人としてあるべき感情を示してくれるようになったことは、助かっている。
「さあ、もう泣かないで。モリブ村の人達への援助について、お父様とお母様と相談しましょう」
あと、材木の確保のことも。
サリナはハルマの手を取って立ち上がり、手をつないで両親のもとへ行く。
いつもは家族の団らんの場所になっている居間は、ピリピリした空気に包まれていた。両親は見たこともないほど険しい顔をしている。
「──モリブ村は、『闇の森』のすぐ隣だ。それが獣に襲われるなど、もう二十年もなかったのに」
「まさか、『獣の王』が──」
『闇の森』、『獣の王』。どちらも聞いたことがなくて、サリナは興味を持って耳を澄ませる。
だが、両親はサリナとハルマに気づくと、ハッとした顔で話をやめてしまった。
「サリナ、ハルマ。──大丈夫。心配することはないのだ」
安心させるように笑った父の顔は、まだこわばっていた。ハルマはそれに気づいた様子もなく、勢い込んで言った。
「義父上、義母上。生き残った人たちのためになにかしようと、義姉上とお話していたんです」
「おお、それはいい。さっそく、寄付と支援物資の用意をさせよう」
父はわずかに相好を崩して、ハルマの髪を撫でる。母もそれを優しい目で眺めている。
サリナは、今言いだして良いものやら分からなかったが、とにかく告げねばならぬと思い、口を開く。
「それと、父上。モリブ村産の材木は近々高騰するでしょう。市場で確保しておいた方がよいかと」
途端に父が顔を顰め、サリナは自分がまた誤ったことを知った。
「今、そんな話はやめろ。──それと、準備をしておきなさい。近々、王城から招集が来る。王家の血を引くもの、全員が集められるのだ」
サリナは礼儀正しく膝を折り、礼をした。ハルマは父の腕に抱きかかえられている。
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